A・セナの名言「この世に生を受けたことが最大のチャンス」

2月13日(火)7時0分 NEWSポストセブン

1991年のブラジルGP Sutton Motorsport Images/AFLO

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 落合信彦氏による本連載ではケネディ、サッチャーと世界を動かした政治家の言葉を取り上げてきた。だが、世界を動かすのは政治家だけではない。偉大なスポーツ選手もまた、経験に裏打ちされた言葉を通じて、世界を、人々の心を動かすのだ。


 今回は落合氏が、音速の貴公子と呼ばれ、伝説として語り継がれる天才F1ドライバー、アイルトン・セナの言葉を紹介する。落合氏は1991年8月、ハンガリー・グランプリ直前にハンガロリンク・サーキットの中で、1時間半に及ぶインタビューを行った。


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 努力を怠る人間ほど成功者を妬み、「あいつは運が良かったのだ」「恵まれた環境にあったのだ」と陰口を叩く。人間とは弱い生き物だとあらためて感じざるを得ないが、実は、F1の絶対王者・セナこそ、徹底的に妬まれ陰口を叩かれた人物だった。


 彼の成功を素晴らしい家庭環境やチャンスに恵まれた幸運によるものだと言う者たちが絶えなかった。確かに、彼は裕福な家庭に生まれた。実業家として成功した父は、セナが4歳の時にゴーカートを買い与えている。私はストレートにそのことを問うた。チャンスをまったく与えられない者も多いではないか、と。彼の回答は明確だった。


「それは違う。皆平等にチャンスは与えられている。この世に生を受けたということ、それ自体が最大のチャンスだろう。すべてこの世に生まれてきた者は、神からそれなりの能力と肉体的力、そして生きる目的を与えられている。神はこの上なく公平なものだ。どのような人間にもタレント(才能)を与えてくれている」


 敬虔なカトリック教徒だった彼は、死と隣り合わせの世界で、努力を惜しまなかった。才能とチャンスを与えられているにもかかわらず、酔って後輩に暴行しているどこかの力士とは大違いだ。そもそも、土俵にあがれば真剣勝負の力士たちが、和気藹々と酒を酌み交わしていること自体がおかしい。


 ストイックに努力するセナを周囲は完璧主義者と呼んだ。実態は違ったのだが、彼はその言葉を好きだと言った。


「完璧主義という言葉は好きだ。そうありたいと願っている。だが、私も同じ人間だ。完全ではあり得ない。ただそうなるよう努めるしかない。それには与えられた状況の中で自己のベストを尽くすこと、極限からの戦いに挑むこと。この考えは私の血の中にあり、性格にしみ込んでいる」


 残念なことに、最近、日本の若者たちの中にベストを尽くさずに80点、60点といった及第点で仕事を済ませようとする者が少なくないと聞く。人間は易きに流れる。だが、セナは違った。


「時には努力を怠りたいような気持ちに陥る時もある。そんな時、私を駆り立ててくれるのが責任感だ。まず私にパフォーマンスのチャンスを与えてくれるために働いてくれる人々に対する責任感。(中略)また多くの人々から見られているという責任もある。(中略)さらに言えば自分自身に対する責任、自分の能力に対する責任を自覚することも大事だと思う」


※SAPIO2018年1・2月号

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