不利なルール変更を批判しなかったジャンプ・船木和喜の矜持

2月20日(火)7時0分 NEWSポストセブン

長野五輪ではラージヒルと団体で金メダルを取った

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 どんなスポーツにも「ルール」が存在し、競技そのものが定義づけられる。選手たちはルールを前提に鍛練を重ね、競い合う。ところが時に、“前提”としていたルールが変わることがある。それによって大番狂わせが起き、悲劇のドラマも生まれてきた。たとえば、1990年代前半、W杯3季連続総合王者となった萩原健司氏を中心に、ノルディック複合で日本は世界で最も強い国だったが、度重なるルール変更によって1998年長野五輪では団体5位に沈んだ。ルール変更は他の競技でもあった。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする。


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 ルール改正を機に低迷期に入ったのはスキーのジャンプも同様だ。船木和喜がラージヒルと団体で金メダルを獲得した長野五輪の翌1999年、スキー板の長さが「身長×146%」と規定され、小柄な日本人は長いスキー板を履けなくなった。さらに、スーツのゆとり幅も制限されるようになった。板の長さやスーツのだぶつきは、ジャンプ中に浮力を得る上で重要な要素である。


 複合同様に“お家芸潰し”のルール改正という見方がされてきたが、これに異論を唱えるのが最大の被害者と目されてきた船木本人だ。彼は42歳となった今も現役のジャンパーである。


「長野以前もヘルメットの形や大きさ、スキー板の厚さや重さまで、色々なルール変更があった。その理由は、技術が進化し、飛距離が伸びて危険度が増したことにあります。道具を規制することで飛びすぎを防ぐんです。長野五輪以降、確かに日本は成績が落ち込んだ。それをメディアの方々がルールのせいにしてくれた。それは僕らにとって救いではありましたが、僕らが新しいルールに対応できなかっただけなんです」


 空中の姿勢が微動だにせず、長野五輪で5人の審判全員が20点満点を付けた“世界一美しい”船木の飛型点も、長野以降は得点が伸びなくなった。


「自分にとって大きなルール改正でした。空中で手を動かしたら0.5点の減点だったものが動かしても良いというルールになり、テレマーク(着地姿勢)に関しても、手の位置や足の幅などの減点対象が変わったことで、自分の飛型は17〜18点ほどになってしまった」


 続けて、「ルール改正の度に、選手はさらなる進化が求められる」と語った。それはすべてのスポーツに共通するだろう。


 最後までルール変更を批判しなかった船木に元世界一の矜持が垣間見えた。


※週刊ポスト2018年3月2日号

NEWSポストセブン

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