外木場義郎さんの「喜」 練習で泡吹き倒れても「ベンチで休ませとけ」土台支えた広島の猛練習…巨人が恐れた男たち

2025年2月27日(木)5時10分 スポーツ報知

68年8月25日、巨人戦のマウンドで躍動する外木場。この年、最優秀防御率のタイトルを獲得した

 巨人と名勝負を繰り広げてきたレジェンドの連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第2回は元広島のエース・外木場(そとこば)義郎さん(79)が「喜怒哀楽」を語る。完全試合1度を含む3度のノーヒットノーランは、伝説の沢村栄治(巨人)に並び、2リーグ制後(1950年以降)では唯一の大記録。V9巨人にもノーヒッターをやってのけ、75年の広島初優勝にも貢献した剛腕が、記憶をたどった。(取材・構成=太田倫、湯浅佳典)

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 64年の9月に、私はカープに入団した。プロならセ・リーグしかないと考えていた。長嶋茂雄さん、王貞治さんという2人のすごい打者と勝負してみたかった。実は高校時代に最初に見に来たのが巨人のスカウトだったらしい。当時は並の投手。縁がなかった。

 社会人の電電九州時代に誘いがあったのは5球団。広島、大洋、近鉄、東映(現日本ハム)、東京(現ロッテ)だった。私は阪神、とりわけ村山実さんの大ファンだったが、これも縁がなかった。

 16年の現役生活では優勝も経験し、記録も残し、沢村賞という勲章も得た。それらはもちろんだが、試合で投げられる喜びも、何ものにも代えがたい。1軍の舞台にたどり着くことさえできず消えていく投手を、たくさん見てきたからだ。

 入団時の監督は白石勝巳さんだった。巨人草創期の名ショートで、カープの元祖スター選手。当時は広島市内にある三篠(みささ)寮に選手と一緒に住んでおられた。入寮直後、白石さんに呼び出された。部屋に入ると、監督は日本刀の手入れの真っ最中だった。ぽんぽんと刀身に粉をつけながら「おう、来たか」。おもむろに刀を置くと、度肝を抜かれている私に説いた。

 「プロの世界は並の練習ではなかなか1軍には行けない。努力だけは絶対怠らずに頑張りなさい」

 入団したての選手に、1軍監督直々の激励は珍しい。どうやらちょっとは期待されているらしい…。

 のちの大きな喜びの土台となったのは、カープ伝統の猛練習だった。投げ込み、走り込みの量はケタ外れ。地獄といっても過言ではなかった。特に根本陸夫監督【注1】の1年目だった68年、私はキャンプで1日に最高600球投げ込んだことがある。さすがに水くらいは飲ませてくれたが、休憩などない。3時間半かけて投げ切った。最後は腕を振っている感覚はなくなる。下半身で投げるコツが自然と体に染み込んだ。

 シーズン中も猛特訓は続く。あまりの厳しさに、夏場、同僚が練習中に泡を吹いて倒れたことがある。救急車どころか「ベンチで休ませとけ」。そんな時代だった。それでもコーチの「この練習をやっていけば必ずいい投手になれる」という言葉を信じ、必死についていった。

 【注1】広島、西武、ダイエーで監督、フロントなどを歴任。特にフロントとしては「球界の寝業師」と称され、辣腕(らつわん)をふるった。

 ◆外木場 義郎(そとこば・よしろう)1945年6月1日、鹿児島県生まれ。79歳。出水では甲子園出場なし。電電九州を経て広島入り。75年には20勝を挙げて広島初Vに貢献し、沢村賞と最多勝。最優秀防御率1度(68年)。79年に引退。引退後は広島、オリックスで投手コーチを務めた。2013年殿堂入り。現役時代のサイズは175センチ、73キロ。右投右打。

スポーツ報知

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