「人生の半分を犠牲にした」規格外のパワーで異彩を放った元西武カブレラの今 母国で語ったNPB時代「日本で規律を学んだ」

2025年3月4日(火)6時30分 ココカラネクスト

西武など3球団を渡り歩いたカブレラ。観客の度肝を抜くパワーで日本球界を彩った。(C)産経新聞社

 記録はさることながら、何よりも記憶に残る助っ人だった。かつて西武、オリックス、そしてソフトバンクと渡り歩いたアレックス・カブレラである。

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 規格外のフィジカルが目を引いた。まるで丸太のような腕と胸板、そして強靭な足腰を誇ったカブレラは、2001年に西武に入団。1年目から49本塁打を放つと、2年目には当時の日本タイ記録となるシーズン55本塁打をマーク。タフィ・ローズ(当時近鉄)とのド迫力の本塁打王争いは球界を大いに賑わせた。

 背中を後方に反る独特の構えと豪快なスイングでも人気を博した。そんな巨漢砲は西武での7年間で通算923安打、273本塁打、686打点と球団の歴代助っ人でも最多のスタッツを記録。西武退団後はオリックスとソフトバンクでプレーし、NPBでの12年間で通算357本塁打、OPS.990の好成績を収めた。

 いまだ日本球界で色褪せない存在であるカブレラ。もっとも、NPBでのプレーは本人にとってもかけがえのないものとなっているようだ。現地時間3月1日にベネズエラ人ジャーナリストのシャーリー・バルナージさんのインタビューに応じた名助っ人は、西武移籍当時にメジャーでチャンスを掴めずにキャリアを模索していたことを告白。「異文化」であった日本でのキャリアを振り返った。

「野球は厳しいビジネスだ。時として多大なる忍耐と自己犠牲が必要なるんだ。そういう意味でも日本での生活は良かったんだ。あそこは非常に構造化された国であり、自分は規律と組織について学んだ。そのおかげで、人間としても、選手としても成長することができた」

 引退後は和牛を輸出する農場経営とともに、母国ベネズエラの野球発展に尽力しているというカブレラ。「人生の半分以上を犠牲にしたが、満足感もたくさんあった。もし生まれ変わっても、僕は野球選手になりたい」と語った元スラッガーにとって、日本での生活は大きな財産となっている。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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