Jリーグを築いた得点王!福田正博の「目標達成への道のり」取材レポート

2023年3月8日(水)16時0分 FOOTBALL TRIBE

福田正博 写真:Getty Images

1990年代のサッカー日本代表メンバーといえば、伝説の名プレイヤーが勢揃い。FW三浦和良(1990-2000)、MFラモス瑠偉(1989-1995)、FW中山雅史(1990-2003)、そして現在代表監督を務めるMF森保一(1992-1996)他にも数多く挙げられる。93年には日本初のプロサッカーリーグとしてJリーグが開幕し、国内でサッカーというスポーツが爆発的な人気を博し始めた。


このサッカーブーム真っ只中の時代に日本人初のJリーグ得点王に輝いた人物が、かつての浦和レッズの象徴的存在としても知られる元日本代表FW福田正博である。2002年に現役引退後は、サッカー解説や指導業などを務め、現在もサッカーを普及させる為多数のメディアで活躍中だ。


そんな福田氏による「目標達成への道のり」をテーマにした講演会が、3月5日に宮城県東松島市で開催された。ここでは、講演会で語られた福田氏の経験に基づいたいくつかのエピソードを紹介しよう。散りばめられている福田流のサッカー哲学が読み取れるだろう。




福田正博氏講演会の様子 写真:Molly Chiba

福田正博プロフィール


福田正博(ふくだ・まさひろ)神奈川県出身:1966年生まれ



  • 1989年:三菱(現浦和レッズ)に入団

  • 1993年:日本代表選手としてW杯アジア地区最終予選を経験。代表時代には45試合9得点を記録。

  • 1995年:Jリーグで50試合32ゴールの記録を打ち出し(リーグ通算228試合93得点)「日本人初のJリーグ得点王」の呼び名を手にする。

  • 2002年以降:現役引退を発表後、解説や指導、サッカーの普及活動などサッカーをサポートする側へと移行する。2008年からは浦和レッズのコーチとして復帰し、翌年フォルカー・フィンケ監督下でも指導者として経験を積み、契約満了で2010年に退団。2011年から本格的に解説者として数多くのメディアで活躍中。




元日本代表 FW三浦知良 写真:Getty Images

三浦知良が持つカリスマ性


福田氏がサッカーを始めたのは、本人の人生の中におけるほんの些細なきっかけからだったという。小学校時代、引っ越し先でサッカー好きの学校の先生に出会い、なんとなく一緒にボールに触れ合うようになるうちに興味を持ち始めたそうだ。


そこから数十年後の1990年に、日本代表に選抜されるまでに成長を遂げた福田氏。日本代表時代(1990-1995)を振り返って、同じ代表メンバーの1人であり、56歳にして今なお現役を続けるFW三浦知良(UDオリヴィエンセ/ポルトガル)の存在が相当大きかったと語る。


「三浦カズとは同じポジション(FW)であり、同じ年齢。競争相手として当時は本当に悔しさもあったけれど、良きライバルとしてあの時カズが居たからこそ、今の自分があると思う」


プロのサッカー選手として選ばれる時点で、高い精神力や体力や技術など様々な能力を持ち合わせていることは、ある意味当たり前の状態と考える福田氏。しかし、三浦には他のプロ選手との大きな違いがあった。「周囲を惹きつけ影響を与えるカリスマ性」だ。三浦はそこがずば抜けているとして、同志として今でも一目置いているそうだ。




元日本代表 FW福田正博 写真:Getty Images

「プロとしての成功」とは?


プロ選手になるまでの道のりは易しいものではないため、苦労してやっとプロの肩書きを手に入れた後は、その名誉が「目標達成」として完結してしまう選手も少なくない。では三浦が特別なカリスマ性を持ったプロ選手だとして、プロとなった後に成功する人と、そうで無い人との大きな違いとは何なのだろうか?福田氏は、その差は本当に少しのことだと語る。


「プロの選手として常に抱いていなければならないことは『野心』と『情熱』の2つ。これがあるかどうかが重要。そして、プロとして成功したと言える1つのポイントとして、選手として長く仕事を続けられたかどうか」


長く続けるためには、内側から湧き上がる野心と情熱という感情が必要となる。人間が好きなものなどに向き合った時に燃え上がる感情こそ「情熱」で、それをエネルギーとして「野心」が芽生え挑戦していく。この原理で考えるとプロ選手は、如何にサッカーが好きかどうか?がキーワードとなりそうだ。これはまさに史上最高齢の54歳でJ1リーグでプレーした経験を持ち、世界最高齢での得点ギネス記録を持つ三浦の率先して体現していることであると言えよう。


元浦和レッズ ホルガー・オジェック監督 写真:Getty Images

2人の海外監督からの影響


福田氏は、非常に影響を受けた人物として自身が関わった2人の海外監督を挙げた。


1人目は、日本代表時代に代表監督に就任したオランダ出身のハンス・オフト監督(1992-1993)である。「オフトの視点は、いつも選手の良い点をとても見てくれていた。特に、得意なことをやらせてくれたという事、そして、あるものを最大限に活かすという事、この2つが今までの監督とは違った指導方法だった」と福田氏は語る。


この方法から同氏が見出したのは、得意なことを活かすことで選手は自然と成功体験を得やすくなり、それが自信へと繋がっていくということ。自信が持てるようになると、苦手なことにも挑戦しようとする勇気が生まれてくるということ。前向きな循環が自然と構成されるということだった。


2人目は、浦和時代(1992-2002)に指導を受けたドイツ出身のホルガー・オジェック監督(1995-1996、2007-2008)だ。「オジェックがいなかったら、今の立場の自分は居なかったと思う」と力強く語る福田氏。95年に同監督が就任する前は、自身の強みや得意なことを活かしきれず不調が続いていた。しかし同監督は就任後各選手に明確な役割を与え、福田氏には「君は点を取ること」と、試合中に何を重視してプレーをすれば良いのかをしっかりと伝えたという。


そして福田氏が重要だと感じたことの1つに、同監督が選手をちゃんと評価することを挙げている。「オジェックは選手の役割を明確にするだけでなく、常に選手たちを見ているし、見ているからということを選手に気づかせちゃんと評価をしてくれる。それを感じた時に大きな安心感を得ることができた」と語った。実際に当時の福田氏は、同監督就任後に勢いを上げてリーグで得点を挙げ、遂に日本人初の得点王(1995)となったのである。




福田正博(当時浦和レッズ)写真:Getty Images

運を引き寄せるヒント


講演の終盤に、福田氏は「運」について少し話をしてくれた。サッカーはコイントスからスタートするというのもあって、意外と運との繋がりがあるという。


運を引き寄せる為のヒントとして、例えば選手が対戦相手や環境を安易に変えることはできないが、唯一自分自身をはコントロールできること。ネガティブな言葉を言い換えて「自分はやればできる。もっと頑張れる」など、自分をポジティブな状態にしていくこと。そして何より、笑顔が自分にとっても相手にとっても心の余裕に繋がることが挙げられた。


この方法は、サッカーに限らず様々な業界に通じ、生活のヒントにもなりそうだ。講演を通じての福田氏自身の笑顔とポジティブな言葉選びは、現役時代から現在、そして今後への運を引き寄せていると感じた。これからの活躍にも大注目だ!

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