横浜Fは「舐められていた」。だから消滅した。サポーターグループのリーダーが知る真相【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

3月14日(火)10時29分 フットボールチャンネル

横浜F、サポーターズグループの女性リーダー

 かつて、横浜フリューゲルスというJクラブがあった。Jリーグ発足当初の10クラブに名を連ねた同クラブは、1999年元日の天皇杯制覇をもって消滅。横浜マリノス(当時)との合併が発表されてから2018年で20年となる。Jリーグ発足から5年ほどで起きたクラブ消滅という一大事件を、いま改めて問い直したい。(取材・文:宇都宮徹壱)

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 インタビューの場所に指定されたのは、欧州各国の大使館があることで有名な、セレブ感が漂う都内のスポットだった。「このあと娘の保育園のお迎えがあるんです」と語るのは、私と同世代の伝説的な女性サポーター。一瞬、母親らしい笑顔を見せる。

 横浜フリューゲルスのサポーターズクラブ『ASA AZUL』の元リーダー、川村環。当時も今も珍しい女性リーダーだった彼女は、グループ内では「姐さん」と呼ばれ、類まれなリーダーシップと人望によって慕われる、ゴール裏界隈ではかなりの有名人であった。そして何より彼女には、誰よりもフリューゲルスを愛しているという強烈な自負があった、

 1999年元日の天皇杯決勝での優勝を最後に、「横浜マリノスとの合併」という形で消滅してしまった横浜フリューゲルス。「最近はアラサーの世代でも、フリューゲルスのことを知らない人が増えていることに危機感を覚えますね」と語る彼女は、われわれの取材のオファーに快く応じてくれた。

 なお、今回のインタビューでは「球団」という言葉がたびたび出てくる。もちろん「クラブ」という意味であり、こうした野球用語がそぐわないことは重々承知している。

 とはいえ90年代のJリーグでは、まだまだ「クラブ」という概念が定着しておらず、「球団」という野球用語が幅を利かせていたのも事実。よって、そのまま活かすことにしたことをお断りしておく。

一発でハマったフリューゲルスの試合

 生まれは愛知県の瀬戸市です。地元にいた頃は、サッカーはもちろん、スポーツにまったく興味がなかったですね。Jリーグが始まるときは、こっちで就職したばかりの頃かな。マスコミが「間もなく開幕!」みたいな感じで煽っていて、ちょっと観てみたいなと思って。

 実は私、誕生日が5月15日なんですよ。そう、Jリーグ開幕の日と一緒なんです! 国立の試合はチケットが取れなくてTV観戦だったんですけど、それからはよくスタンドで観戦していましたね。

 あの当時、チケットが手に入らなくて、仕方なくチケット屋などで売っているのを買ったりしたのですが、今では信じられないくらい高かったんですよ。ヴェルディ川崎とか人気があったから、指定席は2万8000円とかしましたよね。ゴール裏など安いのでも6000円、他のチームでも指定席なら2万円位は普通でしたね。

 最初の頃は、詳しいルールも知らずに観ていましたけど、試合というよりヴェルディのゴール裏がすごく楽しそうに見えたんですよ。当時はサンバ隊が応援していたんですが、みんなすごく楽しそうで、どうやったらあの中に入れるんだろうかって考えていました。

 ただ、ヴェルディはカッコよくて、いいサッカーをしている感じはあったんだけど、何となくミーハーっぽく見られるのは嫌だなと(笑)。じゃあ、地元のグランパスはというと、運勢占いで「赤は良くない」って書いてあったので却下。当然、レッズもアントラーズもダメ。

 そんな中、フリューゲルスは白メインの青だったし、悪いイメージはまったくなかったんですよね。しかも、たまたま学生時代の同級生がフリューゲルスのサンバ隊に入っていて、「一緒にやらない?」って声をかけてくれたんです。

 初めて観たフリューゲルスの試合は、いきなりアウェイでしたね。長良川でやったグランパス戦。見よう見まねでしたけど、私もサンバの楽器をやらせてもらって、一発でハマりました。

 私、世代的にディスコのお立ち台とかにいた人なんですけど(笑)、あれとはぜんぜん違う楽しさがありました。そこから一気に火が点いた感じになって。当時のJリーグは、毎週のように土曜・水曜開催だったんですけど、ほぼほぼ毎試合行くようになりました。

サポーター仲間はもはや疑似家族だった

 仕事ですか? 営業だったので、ホワイトボードにしれっと「横浜」とか書いて、どこかでユニに着替えて三ツ沢に行くみたいな(笑)。水曜のアウェイは、有給だと足りないので、偽装の冠婚葬祭を作り上げました(笑)。そのうち職場で「TVに映ってたよ」とか言われて。

 ほら、当時は地上波でもJリーグがいっぱい流れていたじゃないですか。あんまり真剣に応援していたから、職場でも半ば公認みたいな感じになっていたんです。でも、そのうち有給もなくなったし、いろいろ言い訳を考えるのが疲れたので、途中で会社は辞めてしまいました。

 当時のフリューゲルスの応援って、すでに2つのグループに分かれていたんです。球団公認の『横浜JETS(ジェッツ)』と非公認の『TIFOSI(ティフォージ)というのがあって、私はJETSのほうに入っていました。JETSはサンバによるブラジルスタイルの応援だったんですけど、TIFOSIのほうはヨーロッパスタイルだったんですね。

 彼らの言い分としては「ウチはゾーンプレスだし、フリューゲルスもドイツ語だから、応援もヨーロッパだろう」と。それも一理あるけど、当時の外国人選手はブラジル人が多かったから、サンバで応援するのが自然だと私は思っていました。

 応援の考え方が根本から違っていたから、JETSとTIFOSIの仲は良くなかったですね。お互いに関わろうともしない。どちらも勝手に応援するから、音が被って汚くなるんですよ。だからグチャグチャな応援でしたね(苦笑)。

 選手のほうも、ひとつにまとまってほしかったみたいです。そのうち、オフィシャルサポーターズクラブを運営している会社が手を引くことになって、JETSは(95年シーズン終了後に)解散することになったんです。

 ただ、運営会社が撤退してもJETSにいたサポーターの受け皿は必要だったし、使っていた楽器も安く譲ってくれるという話だったんです。それで96年に新しく『ASA AZUL(ポルトガル語で「青い翼」)』というサポーターズクラブを立ち上げて、JETSの残党が20人くらい集まったんですね。

 で、その年の新年会か、前の年の忘年会か忘れたんですけど、「リーダーは環ちゃんにお願いしたい」って話になって、私がASA AZULを仕切ることになったんです。

1998年10月29日、早朝に電話が鳴って…

 女性がリーダーをやることについてですか? うーん、コールリーダーは男のほうがいいと思うし、実際にそうしていたんですけど、あの時は他に仕切れる人がいなかったというのが実際のところでしたね。

 むしろ自分が5人欲しかった。それくらいグループをまとめるのが大変だったんですよ。自分より年上の人たちとか、高校生くらいのやんちゃな男の子たちとかもいましたから。くだらないことでケンカしたり、恋愛沙汰の末にフラレて応援に来なくなったり(笑)。

 何か問題があるたびに「姐さん、大変です!」ってなるわけですよ。当時は私、年上の人からも「姐さん」って呼ばれていました(笑)。私の家族は妹がひとりいるだけですけど、何だか弟や妹がいっぱいいるみたいな、ある種の疑似家族みたいな感じになっていましたね。

 サンバ隊の演奏がサマになってきたのも、ASA AZULになってからですね。当時、サンバの応援をしていたのは、ヴェルディとエスパルスとフリューゲルスだったんですけど、ウチは立ち遅れていたんですよ。今から考えると自己流だったし、楽器もアフリカの打楽器みたいなのを使っていたし(笑)。

 それがこの頃から、ブラジル人の演奏家のレッスンに通うようになったんです。私自身、ブラジルの音楽を良く聴くようになって、すっかりハマりましたね。タイコの出だしも「今日はセルメン(セルジオ・メンデス)からいこうか」みたいな感じで。

「あの日」のことはよく覚えていますよ。朝の4時くらいに自宅の電話がかかってきたんです。当然、留守電ですよ。そしたら「姐さん、フリューゲルスが大変だ! すぐにTV点けて!」って声が聞こえてきて。

 電話してきたのが、コンビニでバイトしている子だったんですけど、早朝に届いた新聞の見出しを見て、慌てて電話してきたんですね。それで急いでTVを点けたら、早朝の情報番組が早刷りのスポーツ紙を紹介していたんですけど、「フリューゲルス消滅」とか書いてあって。どういうことか、まったく理解できなかったですね。

「浦和や鹿島だったら、こういうことにはならなかった」

 とりあえず6時まで待って、それからある球団職員に電話しました。「いったいどういうこと?」って聞いたら、「新聞に書いてあるとおり、マリノスと合併します」。「じゃあ、新しい名前は?」「F・マリノスです」──。あの時点で、すでに『横浜F・マリノス』になることが決まっていたんですよね。

 朝7時にもなると、あちこちから電話がかかりまくりでしたよ。私、けっこう顔が広くて、他サポからも「環、いったいどうなってるの?!」とか電話がかかってきて、「こっちが聞きたいよ!」って感じでしたけど(苦笑)。

 その日の夜に新横浜の全日空スポーツで、登録サポーターズクラブの代表者向けの説明会があるというので行ってきました。集まったのは30人くらいでしたかね。けっこういきり立っている人もいましたけど、私はわりと冷静でした。

 社長が言うには、佐藤工業が業績不振でスポンサーから離れると。全日空だけでは支えきれないので、新たなパートナーを探したんだけど見つからなかったと。Jリーグに相談したら、日産さんも大変みたいだから一緒になったらどうだと提案されたと。「(合併は)決まったことだから仕方がない」みたいな言い方だったんですけど、こっちにしてみれば「はあ?」って感じでしたよ。

 結局、この人に何を言っても仕方がないことがわかったので、何人かでJリーグに行って川淵(三郎)チェアマンに直談判することにしたんです。マリノスのサポーター有志も、一緒に行きました。合併に納得できないという意見の人は、マリノスの側にもけっこういたんです。

 チェアマンは会ってくれました。とりあえず、合併を撤回してくださいという嘆願書を直接渡したんですけど、会うなり涙ぽろぽろで。そしたら、何て言ったと思います?

「正直、これほど大事になるとは思わなかった。これが浦和や鹿島だったら、こういうことにはならなかった」──。

 要するに、レッズやアントラーズは荒っぽいサポーターが多いから、ということなんです。またしても「はあ?」ですよ。

 ASA AZULでは、他のサポーターとは絶対にケンカしないように、私が徹底指導していたんです。ケンカになったら、球団にも他のお客さんにも迷惑がかかるから。もちろん、細かいいざこざはあったけど、それでもフリューゲルスのサポは品行方正なイメージを保っていたわけですよ。

 そしたら、「あいつらは大人しいからマリノスとくっついてくれるだろう」って、結局は舐められていたんですよね。だったら暴れておけばよかったって(苦笑)、ちょっと後悔しています。

<後編につづく。文中敬称略>

(取材・文:宇都宮徹壱)

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