鹿児島ユナイテッドの不祥事で明らかになった“合併クラブはつらいよ”

2025年3月17日(月)14時0分 FOOTBALL TRIBE

鹿児島ユナイテッド 写真:Getty Images

J3の鹿児島ユナイテッドの徳重剛代表が、電磁的公正証書原本不実記録などの疑いで3月5日に書類送検されたことが明らかになった。5年前、当時J参入を目指していた鹿児島ユナイテッドの運営主体の1つ「社団法人鹿児島プロスポーツプロジェクト」の登記申請をめぐり、役員だった男性1人が辞任したとするウソの登記申請をしたとされる。2023年9月にウソの辞任届を作成された男性が刑事告発していた。


鹿児島ユナイテッドは2014年、Jリーグ参入を目指して徳重代表が設立した「FC KAGOSHIMA」と、本件を告発した元理事の男性が所属していた「ヴォルカ鹿児島」の2つのチームが統合する形で発足。徳重代表は発足当時からチームの運営に中心的に関わり、現在クラブの代表を務めている。


ここでは、鹿児島ユナイテッドの不祥事の詳細をまとめると共に、同クラブ以外にJリーグ入りを目指すために合併を果たしたクラブの数々のケースを示し、いかにして融和を図り対立を回避してきたかを検証したい。




徳重代表と告発した男性の証言内容


徳重代表は、3月11日までに鹿児島ユナイテッドの広報を通じてコメントを出し、その中で登記手続きの経緯を説明。「その際の本人への確認不足などにより登記手続きに不備があったと指摘された」などとコメントし、「今後も専門家などの助言をいただきながら再発防止に努めたい」と、まるで他人事のような言葉を残している。


刑事告発した元理事の男性は、11日に『鹿児島読売テレビ』の取材で「全く身に覚えがなかったので “マジか…”というのが正直な気持ち。あ然としたというか言葉にならなかった」と語った。なぜ不実記載が判明したかについては「個人的な理由でたまたま登記を確認したところ、既に理事としての名前はなく辞めたことになっていた」という。


徳重代表と告発した男性は運営方法を巡って度々意見が対立していたようだ。男性は「今回の不透明な手続きを含め、代表による利己的な運営が続いている。正常な状態に改善してほしい」(12日『南日本新聞社』)「合併してから徳重代表が独占し、自分がやりやすい組織を作り上げた」(11日『鹿児島読売テレビ』)と証言している。


この事件を受けて、12日に塩田鹿児島県知事は「事実関係がどうなっているのかよく分からないので、今のところそれについてどうこうと言うことではない。シーズン中なので選手の皆さんには試合に集中して頑張ってもらいたい」とし、さらに「応援している県民の気持ちを考えれば、コンプライアンス関係はしっかりしていく必要がある」と注文を付けた。




鹿児島ユナイテッド サポーター 写真:Getty Images

鹿児島ユナイテッド合併前の経緯と対立


徳重代表が設立した「FC KAGOSHIMA」と元理事の男性が所属していた「ヴォルカ鹿児島」が合併し、2014年に発足した鹿児島ユナイテッドは、2016シーズンからJリーグに参入。昨2024シーズン、2度目のJ2を戦っていたものの前回と同様にわずか1年で降格し、今2025シーズンは再びJ3を戦っている。


クラブ運営には、鹿児島県や鹿児島市からはスポーツ振興の補助金など税金も投入されている。内訳は全体の事業費年間1,550万円のうち、クラブへの広告費が約半分にあたる750万円にも上る。「不備があった」では済まされないだろう。徳重代表の処分は明らかにされていないが、サッカー界追放どころか、本業の公認会計士においても重い懲戒処分が下る可能性もある。


1959年に「鹿児島サッカー教員団」として創設された「ヴォルカ鹿児島」は、1973年の九州リーグ創設時から参加し、一度も降格することなく活動を続けてきた長い歴史を持つクラブだ。


一方の「FC KAGOSHIMA」は2010年創立。元々は鹿屋体育大学サッカー部の学生が中心となって創設した「鹿屋体育大学クラブ」が母体で、後に社会人選手にも門戸を開き「FC KAGOSHIMA」へと発展。2011年に九州リーグに昇格した。


「ヴォルカ鹿児島」と「FC KAGOSHIMA」は同じ県内で活動しながらも、独自の運営方針やサポーター文化を持ち、九州リーグにおいてライバル関係だった。しかし、Jリーグ参入には財政基盤の強化や地域の統一的な支援が必要という考えに至り、2012年に統合の話が持ち上がったものの、運営や債務に関する意見の相違から一度は破談に終わった。


その翌年の2013年に改めて協議が再開され、Jリーグ側からも「申請の一本化」が望ましいとの指導を受けたことが後押しとなり、両クラブは統合を決断。2013年12月に新チーム名を「鹿児島ユナイテッドFC」と発表し、2014年から活動を開始。正式には「ヴォルカ鹿児島と合併したFC KAGOSHIMAが名称を変更した」という形が取られ、同年12月4日のJFL(日本フットボールリーグ)理事会で入会が承認されたという経緯がある。


しかしながら、長い歴史を持ち、地元の古参サポーターに支えられていた「ヴォルカ鹿児島」と、若い選手や新たなファン層を獲得し急成長した新興勢力の「FC KAGOSHIMA」では出自の違いがあまりにも大きく、統合後も運営方針など巡る意見の相違が絶えなかったと言われている。


そんな中、FC KAGOSHIMA側だった徳重代表が代表に就任したことで、ヴォルカ鹿児島側が影響力を失ったと感じ、反撃の機会を狙っていたとする見方もされている。実際、被害を訴えた男性はヴォルカ鹿児島側の人物で、この事件はクラブ内の主導権争いの延長線上にある可能性すらあるのだ。


それはサポーターも同じで、統合後も「ヴォルカ派」と「FC KAGOSHIMA派」のサポーター間の感情的な対立が残り、X上の投稿でも「両者の関係は仲が良いとは言えなかった」との声があり、クラブ内部の亀裂がサポーター間の分断にまで至っているといえよう。


いずれにせよ、この事件はクラブ内部の不和が完全に解消されていなかったことを示し、クラブの運営に対する信頼に影を落とす出来事として、いかにクラブ合併が難しいかを明らかにした事象だ。


カターレ富山 写真:Getty Images

カターレ富山、藤枝MYFCの合併例


では現在Jリーグを戦うクラブの中で、Jリーグ入り前に合併した歴史を持つクラブを見てみよう。


J2



  • カターレ富山(2007年合併):北陸電力サッカー部アローズ北陸とYKK APサッカー部

  • 藤枝MYFC(2010年合併):藤枝ネルソンCFと静岡FC

  • 水戸ホーリーホック(1997年合併):FC水戸とプリマハムフットボールクラブ土浦

  • V・ファーレン長崎(2004年合併):有明SCと国見FC


J3



  • ヴァンラーレ八戸(2006年合併):八戸工業SCと南郷FC

  • 福島ユナイテッド(2006年合併):福島夢集団JUNKERSとFCペラーダ福島

  • ギラヴァンツ北九州(2001年合併):新日本製鐵八幡サッカー部と三菱化学黒崎FC

  • テゲバジャーロ宮崎(2009年合併):エストレーラ宮崎FCと宮崎産業経営大学FC


この中で“大型合併”と呼べるのは、当時ともにJFLで切磋琢磨していたアローズ北陸(富山市)とYKK AP(黒部市)の統合により誕生したカターレ富山だろう。Jリーグ入りを目指す中で、県や富山県サッカー協会が間に入り、強く後押ししたことが大きく寄与した。本拠地の都市が異なることで多少の摩擦はあったが、内部分裂と呼べるほどの対立が表面化することはなかった。


富山が2021年に迎えた現社長の左伴繁雄氏は、両クラブに縁もゆかりもない上、横浜F・マリノス社長(2001-2007)、湘南ベルマーレ専務(2008-2015)、清水エスパルス社長(2015-2020)を歴任した“プロのサッカークラブ経営者”だ。左伴氏の社長就任をきっかけにJ3にどっぷりと漬かっていたチームも徐々に成績を上げ、昨2024シーズンのJ2昇格プレーオフを勝ち抜き、実に11シーズンぶりにJ2昇格を果たした。そして今2025シーズン、昇格組にも関わらずJ2序盤戦の台風の目となっている。鹿児島とは正反対の成功例と言えるだろう。


藤枝MYFCの場合は、「ネットオーナーシステム」という全く新しいシステムを導入したことで注目された。静岡サッカー界における藤枝市と静岡市のライバル関係や、ネットオーナーシステムを推進した藤枝ネルソンCFとNPOによる運営だった静岡FCの間で運営方針の相違があったものの、「Jリーグ参入」という大目標のために万難を排し手を組んだことで、清水エスパルス、ジュビロ磐田に続く静岡第3のJクラブとして存在感を放っている。


ただSNS上で「静岡FCには限りなく黒に近い黒な人物がいた」「寝耳に水の話だった」「合併時の調整がスムーズではなかった」との書き込みがあったように、藤枝ネルソンCF側に不信感があったことが垣間見え、決して合併交渉が一筋縄では行かなかったことを伺わせる。




水戸ホーリーホック 写真:Getty Images

水戸、長崎、北九州、その他の合併例


水戸ホーリーホックの場合は、JFLに所属していたプリマハムFC土浦の解散に伴い、FC水戸が吸収したが、プリマハムFC土浦のJFLの参加資格を引き継ぐために、形式的にはFC水戸が吸収された形を取った。


V・ファーレン長崎は、有明町(現島原市)の有明SCと、長崎県立国見高等学校サッカー部OBを中心に結成された国見FCが統合したクラブが前身となっている。ともにアマチュアの“同好会”であったことから、合併はスムーズだったと思われる。


ギラヴァンツ北九州のケースでは、北九州サッカー協会が間に入り、新日本製鐵八幡サッカー部と三菱化学黒崎FCの対等合併を実現させ、前身のニューウェーブ北九州が創立された。


ヴァンラーレ八戸、福島ユナイテッド、テゲバジャーロ宮崎は、一方のクラブがもう一方のクラブを吸収するような形を取りながらも、吸収された側を“セカンドチーム”として存続させるなど、知恵を絞りながら禍根を残さない工夫がなされている。


また、世界に目を移せば、プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドや、セリエAのローマ、ラ・リーガのアスレティック・ビルバオなど、欧州5大リーグの名門クラブも合併の歴史がある。地方クラブともなれば、集合離散の歴史が連綿と続いている。




鹿児島の事件は、合併クラブを運営することの難しさを示す事例となってしまった。しかし、お互いに歩み寄り、落としどころを見付けることで成功した富山や藤枝のようなケースは、これからJリーグ入りを目指し、合併を試みようとしているクラブの指標となっていくのではないだろうか。

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