ジョーブ博士「1日に百何十球も投げる甲子園は悪しき伝統」

3月17日(月)7時0分 NEWSポストセブン

 スポーツ医学の権威として、世界的に知られるフランク・ジョーブ博士が他界した(享年88)。「再起不能」といわれた選手を何人も復活させてきた“ゴッドハンド”は、かねてから日本球界へ「警告」を発していた。スポーツライターの永谷脩氏が、ジョーブ博士との思い出をリポートする。


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 ジョーブ博士は2008年に引退し、サンタモニカで悠々自適の生活を送られていると聞いていた。今年1月、ヤンキース入りをする田中将大がメジャーの身体検査を受けたのが、博士が共同出資していた「カーラン・ジョーブ医院」と知った時、まだまだ日本球界との縁があるのかと思っていた矢先の訃報だった。


 私がジョーブ博士の連載取材のために、ロス郊外にあるセンチネラ病院を訪れたのは1989年のことだ。最初は手紙と電話で取材依頼をしたが、色よい返事が得られなかった。そこでアポ無しで米国まで出かけ、秘書の女性に日本人形のお土産を渡し、取り次ぎを頼むと、最初は躊躇していたが、「1時間後に来てくれ」ということで“交渉”は成立した。


 当時、ジョーブ博士はセンチネラ病院の勤務医ではなく、その一室を借りる形で手術やドジャースの顧問医などをしていたので、個人の判断で話が通じたことも幸いしたのだと思う。


 その後、博士が行なっていた5日間ほどの短期セミナーを2度受ける機会を得た。今となっては、その時にもらった受講修了証と、記念品の病院名入りの置き時計がいい思い出になっている。博士はこれを渡してくれる時、「世の中には取り替えができるものと、取り替えができないものがある。これはできるもの」と言って笑っていた。


 博士はその取り替えができない「不可能」を「可能」にする人物だった。靱帯を修復する「トミー・ジョン手術」の第一人者として、多くの野球選手を復活に導いている。手術の名前は、最初に手術を受けたヤンキースの名投手、トミー・ジョンにちなんでつけられた。


「どんな世界でも“休み”を入れることが大切。どんなに忙しくても、私にはコーヒーを飲むという休養が必要なようにね」


 取材の帰り際、そう言って、コーヒーを飲んでいた姿を思い出す。そして日本から来た私に対して、こんな言葉を付け加えた。


「日本には甲子園という悪しき伝統がある。1日に百何十球も投げたうえ、翌日に連投するので、私のところに来る時にはヒジが曲がっていたり、肩の筋が切れたりしている連中ばかりだ。


 アメリカにはそういう大会はないし、リトルやシニアの大会でも球数制限などの規則がある。ただ、親たちが早く結果を求めて、隠れて何球も投げさせたりするので、最近はヒジを壊してやってくる子供が多くなってきた。洋の東西を問わず、結果を急ぎすぎるとロクなことがありませんネ」


 日本では国民的行事ともいわれる甲子園。「壊れたものを治すのは私の仕事」とは言いながら、「決して喜んでやっているのではない」と言い切っていた。数々の選手たちの成功報告を受けて、一時、日本の某球団が大金を積んで専属医として呼ぼうとしたことがあったが、博士が拒否したのは、「喜んで執刀しているわけではない」という強い意志があったからかもしれない。


 そういえば、トミー・ジョン手術を受けた日本人は、ほとんどが甲子園のヒーローだった。現在、同じく甲子園で「怪物」と謳われた松坂大輔(メッツ)は、術後3年を経て、ようやく以前の“らしさ”を取り戻したように思える。彼も、高校時代からの投げすぎが遠因にあるといわれている。


 トミー・ジョン手術の成功率は90%以上ともいわれている。しかし、「手術するのは簡単だ。しかし選手の不安と我慢を考えたら、悪しき甲子園の伝統はあのままでいいのか」と、25年前に警鐘を鳴らしていた、ジョーブ博士の言葉が思い出される。


※週刊ポスト2014年3月28日号

NEWSポストセブン

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