今年の阪神 たけし軍団に2-4で負けた暗黒時代の不吉な影想起

3月18日(火)11時0分 NEWSポストセブン

 阪神がおかしい。オープン戦では最下位を争うなど、昨年2位だったとは思えない体たらくぶりなのだ。縦縞軍団に何が起きているのか。そこにはあの長く苦しかった「暗黒時代」(1980年代中盤〜2000年代前半)の再来を思わせる、不吉な影が差していた。

 

 オープン戦7連敗は球団ワーストタイ記録。球春間近い3月11日になってようやく初勝利を挙げ、虎党はホッと胸をなで下ろした。

 

 思えば今年はキャンプから、嫌なムードが漂っていた。話題になるのは、“臨時コーチ”の掛布雅之氏ばかりで、チームはさっぱり新聞の話題にも上らない。久しぶりに記事が出たと思ったら、新外国人・ゴメスの騒動。「家庭の事情」とやらで来日が2度も延期されたうえ、「微熱が出た」といって紅白戦を休む。結局3月半ばになっても、能力は未知数のままだ。

 

「ハズレの臭いがプンプンする助っ人やなあ。去年のコンラッドも最悪やったし。大丈夫かいな」

 

 そんな70代ファンの嘆きも、もっともだ。

 

「まァ、1回勝てたからエエわ。しかし、なんか昔に戻ったみたいやなあ」

 

 そう、オープン戦とはいえこの状況、なんだか懐かしい思いがしないだろうか。「最下位争い」、「ハズレ外国人」、「1勝してホッとする」……、虎党なら“あの頃の匂い”を感じるはずだ。いわゆる「暗黒時代」である。

 

 1987年から2002年にわたる17年間、阪神は最下位10回、5位2回という酷い低迷期にあった。そういえば今季で3年目を迎える和田豊監督は1985年に入団、2001年引退。つまり現役3年目から暗黒時代に突入した人物が、監督“3年目”を迎えるのだ。これも不吉な予兆か? 忘れたくても忘れられない、あの忌まわしい記憶がいま甦る──。


 1985年の日本一の余勢で、1986年はAクラス(3位)に留まった。しかし1987年は投手陣が崩壊。頼みの4番・掛布も.227という絶不調でチームは勝利から見放され、7 月7 日には借金を30まで増やし、早々と最下位を決めた。この年は、今でも球団ワーストとなる勝率.331を記録する。

 

 続く1988年。監督が吉田義男から村山実に交代したこの年も、開幕直後に不測の事態が起きる。5月、主砲・バースが、「長男の病気」のため帰国。その後の交渉もうまくいかず、そのまま退団したのだ。チームの不振は続き、2年連続で最下位。おまけに掛布がシーズン終盤に引退を発表し、大砲2本を失った阪神は、本格的な低迷期に突入した。


「思えばこのバースの一件がケチのつき始めでしたな。交渉がこじれた末に、当時の球団代表が飛び降り自殺。嫌な事件が何かを暗示するかの如く、ここから暗い時代へのベルが鳴りました」(在阪スポーツ紙元幹部)

 

 チームの雰囲気も激変したという。1985年優勝メンバーの岡田彰布氏の証言。

 

「1985年組がバースをはじめ、1人、2人と球団と揉めていなくなる。その後はとても野球をやっている雰囲気ではなかった。若手を起用するが、実力が伴っていないし、その分ベテランが割を食って雰囲気も悪くなる。柱になる選手がおらず、日本一メンバーの人気にこだわって補強もしなかったツケも出て、明らかにチーム力が落ちていた」



 1989年は助っ人・フィルダーが38本塁打と気を吐き5位。しかしこのフィルダー、9月には三振に怒って自ら叩きつけたバットで骨折したうえ、契約で揉めて1年で退団。「バースの再来」と沸いていたファンをぬか喜びさせた。



 1990年は再び最下位となり、翌1991年も開幕5連敗でスタート。6月には10連敗を喫するなど低迷し続け、文句なしの最下位に沈んだ。オフに行なわれたイベントでは、たけし軍団と野球をして2-4で負けた。


 ファン感謝デーでの“お遊び”だとはいえ、一応プロ対アマのはず。この試合に出ていた、亀山つとむ氏が語る。


「ええ、確かに負けました。軟式だったうえ、投手はコーチがやり、内野を外野手、外野を内野手が守備していたという事情はあったが、いえばいうほど言い訳になる(笑い)。当時はPL学園より弱いなんていわれていましたね」


※週刊ポスト2014年3月28日号

NEWSポストセブン

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