華麗なるアスリート一族の血は競技力に影響しているのか? 橋岡優輝が走幅跳のエースになるまで

3月25日(木)12時10分 REAL SPORTS

2019年8月、男子走幅跳の橋岡優輝はAthlete Night Games in FUKUIで27年間破られていなかった森長正樹の日本記録、8m25を7cm更新した。同大会で城山正太郎が橋岡の記録をさらに上回る8m40を跳び、日本記録保持時間はわずか40分間だけとなったが、長い間止まっていた日本の走幅跳種目の時計が、当時20歳の橋岡の跳躍で再び動き出した瞬間だった。父は棒高跳の元日本記録保持者、母は走幅跳、三段跳、100mハードルなどで活躍、従兄弟にシント=トロイデンVV(サッカー ベルギー1部)の橋岡大樹と、アスリート一家に生まれ育った橋岡はいかにして陸上跳躍種目のホープとなったのか?

(インタビュー・文=大塚一樹[REAL SPORTS編集部]、本文写真=GettyImages)

「消去法」で決めた陸上部への入部

「休み時間とか放課後に野球をやったりサッカーをやったり、スポーツは好きでしたけど、部活に入ってがっつりという感じではなかったんですよね」

走幅跳で日本歴代2位の記録を持ち、2019年の世界陸上競技選手権大会ドーハで8位入賞。世界で戦える若き日本のエース橋岡優輝の子ども時代は、意外にも「のんびりした」感じだったという。

「小学校3、4年生までは、他の子より足が速かった記憶はあるんですけど、高学年になるにつれて、周りの子たちも成長してきて(笑)。そんなにずばぬけて足が速いということもなくなって、足の速さでいうと上の下か中の上か、クラスの振り分けによっては、リレーのアンカーにならないくらいの速さでした」

両親はともに陸上経験者、親戚にも陸上やサッカーなどスポーツで結果を残したアスリートが数多くいる。華麗なるアスリート一族に生まれた橋岡だが、陸上に取り組んだのは中学に入ってからだったという。

「それも、積極的にというわけじゃなくて、部活に入らなければいけなかったからという消極的な理由なんですよね。球技は小学生からやっている子たちのほうが技術があるし、すごい負けず嫌いな自分の性格上、最初から後れを取っているのに始めるのがすごく嫌で。

 なので、足の速さにはちょっとだけ自信があったので陸上部に入ることにしたんです。両親がやっていたこともちょっとはあったかもしれませんね」

両親や親族がプロ選手だったり、日本記録を残すようなアスリートだった場合、幼少期から英才教育的にその競技に打ち込むケースも少なくない。しかし橋岡は、両親が陸上をやっていたことは「知ってはいたけど意識したことはなかった」と語る。

「陸上やったら? とか、そういうのは全くなかったですし、特に何を言われたこともなくて。あ、『勉強しなさい』は言われていましたね(笑)。運動に関しては、僕自身が体を動かすことが大好きだったので、遊びながらやっている感じで、何か競技を勧められたとか、野球とかサッカーでも少年団とかクラブに入るようなこともなかったんですよね」

なかば「消去法」で陸上部を選んだ時も、両親は特に何も言わなかった。

「何かしら相談はしたとは思うんですけど、本当に覚えていないぐらいのことで、何か部活に入らないといけないんだけど、何やろうかな? くらいの相談ですよね。『何でもいいんじゃない? やりたいことをやれば?』と言われたような気がします」

四種競技で得た結果がオリンピックへの道を切り開いた

陸上を始めて最初に取り組んだのは、100mだった。中学2年生の時にハードルに転向したが、並行して塾通いをしていたこともあって、「ちょっとサボりがちというか、真面目な部員ではなかった」のだという。

転機となったのは、練習不足からくる体力不足を補うために始めた四種競技だった。

「それも顧問の先生にやらされたというか(笑)、塾通いで練習ができない分の体力作りとして、混成種目をやったらいいんじゃないかという形で始めて、そっちで結果が出せたんです」

中学3年生の時、110mハードル、砲丸投げ、走高跳、400mの4種目で競う四種競技で全国中学校体育大会3位という結果が出た。この時、「なんとなく」陸上をやっていた橋岡に心境の変化が訪れた。

「この時に、陸上の何かしらの種目でオリンピックに出場してメダルを取りたいと漠然とした夢というか、種目は全く決まっていないですけど何かでオリンピックに出たいと思うようになりました」

「どんな種目でもいいからオリンピックに出たい」という気持ちが、「走幅跳でオリンピックを目指す」と具体化したのはいつなのか? 橋岡が走幅跳一本に絞ったのは、高校2年生の時。これもまた結果が先に出た格好だった。

「高校2年生の時に、インターハイ(全国高等学校総合体育大会)で4番になって、18歳以下で争われる日本ユース(陸上競技選手権大会)の試合に出たり、そういう経験があってオリンピックが現実の目標になったというか走幅跳で出たいと思うようになっていきました」

「跳ぶ楽しさはずっとあった」なぜかたどり着いた両親と同じ跳躍種目

東京・八王子高校進学と同時に走幅跳に転向した橋岡は、天性の跳躍力を開花させ、本人がオリンピックを意識し始めたという高校2年生時には、日本陸上競技連盟が国際舞台での活躍を期待する若手を選抜して支援する「ダイヤモンドアスリート」に選ばれている。3年生の時にはインターハイ制覇、記録的にも世界が見えてきた。

たくさんの種目の中から橋岡が走幅跳を選んだのはなぜなのだろう?

「小学校6年生の時に授業で走幅跳をやって、すごく楽しかった記憶があったんです。中学校でもやってみたい気持ちはあったんですけど、中学校には砂場遊びするような砂場しかなくて、競技ができる環境ではなかった。走幅跳を始めるチャンスが来なくて、ずっとやってみたいという思いは、くすぶっていました。高校に入る時に、混成種目が4種目から8種目に増えることもあって、走幅跳にチャレンジするタイミングじゃないかなと」

小学生の時に「跳ぶ楽しさ」はすでに感じていた。友達よりもいい記録が出せた喜びもあったが、もっと根本的な「跳ぶことの楽しさ」を感じたのだという。

「全く強制されたこともないし、勧められたこともない」と繰り返す橋岡だが、くしくも走高跳をやっていた父、三段跳びを得意にしていた母と同じ跳躍系種目を選んでいた。

「中学校の四種競技でも走高跳が一番好きな種目でしたし、成績もよかった。結果が出ている楽しさもありつつ、跳躍種目が好きだ、跳ぶのが楽しいというのはずっとあった気がしますね」

走幅跳転向後、全国的にも注目される選手になった橋岡。それまでほとんど干渉してこなかった両親もさすがにアドバイスくらいはしたはずだと水を向けたが、橋岡は「助言を受けた記憶はやっぱりない」とつれない。

「両親は顧問の先生に任せるというスタンス。競技に関しても助言は本当になかったですし、日常会話の中で陸上の話が出てくることもなかったですね。ごくたまに、父が撮影した自分の大会のビデオを見ている時に『ここは腰を高くしたほうがよかったね』とぽつりと言うことはありましたけど」

ファウルで記録がなくなる……走幅跳に求められる「調整力」

日本大学進学後は、大きな目標だった8mの壁を1年生にして突破。世界とオリンピックが一気に近づいた。2019年には、27年更新されることのなかった森長正樹の記録を上回る8m32を記録。40分後に城山正太郎にさらに更新されてしまったが、27年間止まっていた時計を動かしたこと、バルセロナ、シドニーオリンピック代表で、日大の先輩、そして大学時代の恩師でもある森長以降、世界で戦える走幅跳選手がなかなか生まれないことについて橋岡はどう考えているのだろう。

「記録更新のチャンスがある人はたくさんいたと思うんです。でもやっぱり森長先生の8m25という記録はすごい記録だなとも思います。1992年の記録ですけど、この記録をコンスタントに跳べれば、現在でも十分に世界で戦っていけるんですね。記録が止まっているというと、世界とさらに差が付いているという印象はありますけど、そういうことでもないんです。とはいえ、今後は自分たちがどんどん、記録的にも成績的にも日本の走幅跳の歴史を動かしていけたらいいなと思っています」

ちなみにリオオリンピックの金メダリスト、ジェフ・ヘンダーソン(アメリカ)の優勝記録は8m38。8m25は、4位に相当する。

走幅跳は、どんなに実力があっても「ファウル」を犯してしまえば記録が認められないという特殊性もある。

「つま先が1cmでも出ていたらファウル、もうそこで記録はなくなってしまいます。あれだけ走ってきて、20cmの間に収めるという難しさもあるので、いろいろな選手を見てきて調整力が大切だなと感じます」

物理の法則でいえば、遠くに跳ぶためにはスピードが必要だ。しかし、スピードを跳躍力に変えるためには、踏み切りのタイミングを合わせる必要がある。疾走しながら踏み切りの足を合わせ、20cmの白板内で跳躍する。橋岡のストロングポイントは、この調整力にあるという。

「助走のスピードを殺さずに、跳躍を垂直方向にうまく引き上げる。助走と跳躍の力を合わせる部分ですかね。助走でどれだけスピードを上げても、踏み切りでスピードが落ちてしまうこともあるし、スピードが跳躍につながらないところもあるんです」

踏み切りを意識して歩幅を合わせれば窮屈なフォームになり、スピードも落ちる。橋岡は踏み切りの骨は「リズム」にあるという。

「僕の場合はもう高校3年間をかけて、助走のリズムを作ったんですよね。頭の中にあるというか、自分の体に染み付いているもので、説明しづらいんですけど。僕は助走を20歩で行うんですけど、それを8歩、6歩、6歩というふうに区間で分けていて、最初の8歩は大きい力を使いながら、スピードに徐々に乗せていく。マニュアル車でいうと1速の状態ですね。中間のところは、しっかりと地面を踏むようにしながらも、徐々にスプリントの走り方に持っていくつなぎのパート。最後の6歩は、自分マックススピードで踏み切りに向かうイメージ。その中でも、一歩一歩のリズム、接地の感覚が自分の体の中に染み込むように作ってきたという感じですね」

8m32は失敗ジャンプ。記録はまだまだ伸ばせる

東京オリンピックで目指すのはメダル。日本記録更新は「ある程度これくらいは出るだろうな」という予感があったという橋岡。さらなる記録の更新、オリンピック本番での大跳躍に期待がかかるが、実は現在の自己最高記録でもある8m32は、失敗ジャンプだったというから驚きだ。

「8m32は失敗跳躍でした。助走の距離がうまく合わなくて、少し詰まった踏み切りをしてしまったんです。結果として、うまく力を垂直方向に変換できず、体が水平方向に流れてしまったんです。得意な踏み切りで失敗してしまったんですね」

橋岡本人にしてみれば、8m32は「出てしまった」記録。踏み切りがうまく決まっていれば、その直後に記録された現在の日本記録、8m40を上回る記録が出ていた可能性もある。

「基礎的な部分で海外のトップ選手と少し差があると感じているので、足先の技術に頼るのではなく、総合的な体力の部分、走力、絶対的なスピードを底上げして、オリンピックでいい結果を出したいと思います」

オリンピックに向けて手応えを感じているという橋岡に、自分が競技をする上で「遺伝」を感じるかという質問をぶつけた。選手として大成するかどうかは環境面の影響が大きいという論説もあれば、遺伝子情報によって競技の「向き不向き」適性はある程度把握できるという研究結果もある。実際に中国などでは遺伝子解析検査によって競技適性を見るプロジェクトも始まっている。

「速筋と遅筋の割合だったり、体の構造を見ていけばもしかしたら何らかの影響があるのかもしれませんが、特に感じたことはないですね。親から受け継いだもの……。競技については本当に何も教えてもらっていないし、考えてもあまり思い当たらないです」

ここまで自らが出した結果に導かれるように走幅跳に行き着き、オリンピックでメダルを狙える選手に成長した橋岡。両親からの影響はほとんどないという彼だが、理屈ではない「体を動かすことの楽しさ」とりわけ「跳躍の楽しさ」は、言葉はなくとも両親から受け継いだものなのかもしれない。


<了>

PROFILE
橋岡優輝(はしおか・ゆうき)
1999年1月23日生まれ、埼玉県さいたま市出身。さいたま市立岸中学校で陸上を始め、 東京・八王子高校で走幅跳に転向。日本大学では、元日本記録保持者の森長正樹氏に師事。父は棒高跳の元日本記録保持者、母も走幅跳と三段跳と100mハードルの元中学記録保持者。母方の叔母は100mハードル経験者で、その夫はシドニーオリンピック男子走幅跳代表選手である渡辺大輔。シント=トロイデンVV(ベルギー1部)の橋岡大樹、アルビレックス新潟シンガポールの橋岡和樹は従兄弟。


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