インディカー開幕戦中止決定までのドキュメント。ギリギリで下った“正しい判断”

2020年3月26日(木)13時42分 AUTOSPORT web

 2020年のインディカー・シリーズ開幕戦セントピーターズバーグの取材に備え、2月28日に米フロリダ入りしたとき、現地はまだのんびりしていた。


 フロリダ州オーランドのすぐ北、セントピーターズバーグまでクルマで2時間ほどの、少しなじみのある小さな街のロングステイ用ホテルには多くの工事関係者が宿泊。アメリカではよく見る光景で、去年までと何も変わっていなかった。


 翌朝のビーチには春休みの学生たちが押し寄せ、デイトナのバイクウイークが真っ盛りとあって、フリーウェイでも街でも田舎道でも多くのオートバイが走っていた。


 これらもフロリダでは毎年恒例のごく普通の光景。州内の感染者はまだゼロ。中国政府の武漢市封鎖や、日本国内の感染者数が100人を超えたというニュースを見たとき、「アメリカは日本からの渡航客も拒否する!」と思い、慌ただしく航空券を手配し、開幕戦の2週間以上前にアメリカに入る安全策をとったが、現地の雰囲気はそうした危機感とは無縁のようだった。


 成田〜ヒューストン間、ヒューストンからの国内線は、結構な混み具合ではあった。1990年の湾岸戦争中、ガラガラの飛行機でロサンゼルス入りしたら、入管通過後もまだ荷物がターンテーブルに出てきていないということがあったが、当時と比べれば、今回は平時そのものだった。


 ただ、不思議なことに、到着初日からドラッグストア、スーパー、1ドルショップには、マスクもハンドサニタイザー(手指消毒液)もほぼ見当たらなかった。


 ネットショップを見ても、在庫は軒並みゼロ。除菌用ジェルを一軒のドラッグストアで見つけて確保したが、数日後にはそれらの商品が品薄というニュースがテレビで流れるようになった。帰国までマスクとハンドサニタイザーを目にすることはなかった。


 到着3日目あたりから暑くなってきて、昼間なら日焼けをするぐらいに。温暖な気候ものんびり感を助長するなか、現地での用事を済ませ、インディカーの開幕に備えていた。すると3月4日、フロリダでもついに新型コロナウイルス(COVID-19)感染者が2人発生。それも、セントピーターズバーグのとなり街のタンパだ。


 ちょっといやな予感はしたが、「インディカーもプロモーターも開幕戦を予定どおり開催する意思満々」とのニュースを見て、ふたたび楽観的に考えていた。


 3月9日、MLB(メジャーリーグベースボール)がコミッショナーと球団オーナー全員による電話会議を行ない、「プレシーズンゲーム開催中だが、10日からロッカールームおよびクラブハウスへのメディアなどのアクセスを限定する」と発表。予定どおり3月26日にシーズンを開幕させる希望を、この時点で彼らはまだ抱いていた。


 続いて、バスケットボールのNBA、アイスホッケーのNHL、サッカーのMLSが共同声明を発表。オーナー会議を開いたNBAはシーズン真っただなかだというのに全試合を中止し、即刻のシリーズ中断を決断した。選手に感染者が出てしまったのだ。NHLとMLSもNBAの動きに追随した。


 オーランドはゴルフの聖地でもあり、インディカー開幕戦の前の週には『アーノルド・パーマー・インビテーショナル』が開催された。セントラルフロリダは暑すぎない3月がベストシーズン。数多くあるゴルフコースには、国内外からの大勢のゴルファーたちが集まり、賑わいをみせていた。


 そんななか、PGAはフロリダ州南部で開催するメジャー級のビッグイベント『ザ・プレイヤーズ選手権』を1日目終了時点で中止に。続く数イベントの延期も同時に発表した。


 女子ゴルフもメジャーの1戦『ANAインスピレーションズ』(開催地はカリフォルニア州)を含む3試合の延期を発表した。なかでも衝撃が大きかったのは、4月開催が恒例の、ゴルフの世界ナンバーワンイベント『マスターズ』の延期が早々に発表されたこと。彼らの決断は早かった。


 これに影響を受けたのか、バタバタとイベントやシリーズの中止、延期がアナウンスされるように。アメリカでの新型コロナウイルス感染は39州で確認され、その数は1000人に迫っていた。


 全米で大人気の大学バスケットボールはNCAAトーナメント中止が決定。MLBもプレシーズンゲームを無観客とすることに。ディズニーワールドやユニバーサルスタジオはこの週末までの営業とし、3月いっぱいは休園とした。


 こうしてアメリカには危機感が広がりつつあったが、それらの休園の発表後に人々が殺到したり、春休みの学生であふれるビーチは賑わったままだったりと、それを意に介さない人々もかなりの割合でいた。


■トランプ大統領のヨーロッパ渡航禁止、国家非常事態宣言で状況急変


 11日にはドナルド・トランプ米大統領が「ヨーロッパからの渡航禁止」を突如宣言。アメリカ全体の状況が大きく変わり始めていた。翌週にはセブリングでFIA WEC世界耐久選手権第6戦が予定されていたが、ヨーロッパからチームが来られなくなるため、自動的にキャンセルに。


 IMSA伝統のセブリング12時間は10月に延期された。同週末開催が“売り”であるし、来られないドライバーたちも少なくないだろうから、仕方がなかった。


 通常どおり開催する予定と強気でいたNASCARも、12日のアトランタでのプラクティス開始直前、このレースと次戦ホームステッド‐マイアミを無観客で開催することを決定。この日はF1開幕戦オーストラリアが金曜終了時点でキャンセルされたことが報じられ、インディカーも開幕戦を無観客とし、トップカテゴリーのインディカーのみを2デイ・イベントに変更した。


 インディカーだけは金曜をオフにし、クルーたちもガレージに来ないよう通達。パドックがインディカーとは別でオープンエアのサポートレースはプラクティス、予選、レースの一部までを金曜に押し込んで開催することになった。


 ドライバーに接することの多いメディアに対しては、ほかのメジャースポーツ同様、インディカーも「取材できるメディアを限定する」とした。セントピーターズバーグでサーキットへのアクセスを許されたのは、テレビ関係者、年間パス所持者、地元の新聞やラジオのスタッフあたりまでに。


「あなたに出していた取材許可は、前代未聞で不測の事態となっているため、取り消します」とのメールが多くのメディアメンバーに配信され、OKが出た取材者にもサーキット入り直前に健康チェックが行なわれることになった。「咳が出たり、呼吸に異常があったりはしませんか?」「この14日間にクルーズ船に乗っていませんでしたか?」「この14日間に、ヨーロッパ、中国、イラン、日本、韓国、香港、台湾、タイ、シンガポール、ベトナムに行っていませんか?」などの質問に答えるフォームを提出することになったのだ。


 驚いたのは、感染者数の少ない日本や台湾などが上記のリストに入っていたこと。日本に対しては、その後大胆な政令を次々と出したアメリカ政府がこの時点でも危険レベルという判定を下していなかったのだが……。


 民主党の大統領候補選挙で日本人記者にパスが出なくなったという記事を見たのもこのころ。今年初めてコース入りした13日はアメリカ入国後15日目。何の問題なくチェックをクリアし、取材を許可された者が着けるバンドをもらえたが、残念な印象は残った。


 13日12時前には、NASCARがアトランタとホームステッド‐マイアミの開催延期を発表。この後すぐに、インディカーが開幕4戦のキャンセルを発表した。


 そして13日15時過ぎ、トランプ大統領が国家非常事態を宣言。トランプ氏は前日まで「新型コロナウイルスは風邪やインフルエンザ以下で、恐れるべきものなどではない」などと強気の姿勢をとり続けていたが、急転直下の宣言となった。


 もしインディカーが予定どおりのスケジュールでプラクティスを始めていたら、大統領がアメリカ中の人々に向けて重大発表を行なっているタイミングで初日最速ドライバーが会見……という非常識な事態に陥っていた。


 マイク・ペンス副大統領は元インディアナ州知事。そのあたりのネットワークから、「のんきにレースをやっていると、気まずい事態を招くことになる」といった情報やアドバイスが入ったと考えてもおかしくない。


 インディカーは開幕4戦のキャンセルを発表した際、代替日程が見つかれば、できる限りオリジナルの17戦に近いイベント数を開催したいという意向も持っていたようだが、非常事態宣言により、その可能性はなくなった。いずれにしても、インディカーはギリギリのところで正しい判断を下したと言えるだろう。


 佐藤琢磨は開幕戦中止を受け、「本当に残念だけど、人々の健康や命が大事なので、仕方のない決定だと思います。いま考えているのは、アメリカに残り、開幕のときを待つということ。テストに関するレギュレーションがどうなるかは分かりませんが、急にテストができることになったとき、日本から入国した人は2週間の検疫期間が必要といったことになったら困りますからね。開幕前のテストでのデータを見直したり、トレーニングをしたりして、感染しないよう充分に注意しながら、開幕に備えます」と話していた。


 インディカーは、IMS(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ)での第5戦GMRグランプリでシーズンを開幕させる意向で、第104回インディ500も予定どおりに開催することを目指すという声明を出している。NASCARもシリーズ再開はインディカーと同じ5月第2週からにする予定と発表した。


 非常事態宣言に、私はそれなりの衝撃を受けた。しかし、アメリカの人々はさほどでもない様子だった。レースが行なわれるはずだった土日、私はアメリカに残っていたが、少なくともフロリダの人々は宣言の前と変わらない生活をしているように見えた。


 ビーチには学生たちがあふれたままだったし、帰国便搭乗日の16日のオーランド空港はテーマパーク帰りのお客で早朝から混雑していた。宣言前にスポーツが次々とシャットダウンしていくなかでも、アメリカ人の多くは“ニューヨーク州やワシントン州の一部は特殊な例”と、深刻な現実とは捉えていなかったのかもしれない。


 16日から多くの州でバーなどが営業禁止となり、レストランも閉店要請、あるいは認可されている許容人数の半分まででの営業、テイクアウトやデリバリーのみでの商売とするよう指示が出された。


 大統領の主張を後押ししていたメディアも一転、危機を叫び始めている。残念ながら、私がアメリカを飛び立った時点では、あれだけスポーツが好きな国でも、レースを含むスポーツイベントの開催に向けた明るい動きがすぐに出るだろうとは考えることができなかった。



AUTOSPORT web

「中止」をもっと詳しく

タグ

「中止」のニュース

「中止」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ