ベティスは巨人の球場で何を学んだのか?サッカーと野球の壁を超えた視察
2025年3月26日(水)17時0分 FOOTBALL TRIBE

スペインのラ・リーガ第28節終了時点で6位と健闘を見せるレアル・ベティス。2年連続となる欧州カップ戦出場も狙える順位に位置し、UEFAカンファレンスリーグ(UECL)では1997/98UEFAカップウィナーズカップ以来となるUEFA主催大会での8強入りを果たしている。
そんなベティスの国際部門の使節団が、3月11日から14日まで来日。11日に東京ヴェルディの練習施設を訪れ、翌12日にはプロ野球、読売ジャイアンツ(巨人)の二軍専用球場・ジャイアンツタウンスタジアムを中心に、水族館やレストランを併設するアミューズメント施設「TOKYO GIANTS TOWN(東京ジャイアンツタウン)」を訪問した。この模様はベティスの公式サイトのみならず、東京Vおよび読売巨人軍の公式サイトでも詳報されている。
ベティスと東京Vは2024年7月にパートナーシップ提携を結んでおり、この訪問はベティスの国際化プロジェクト「ベティス・ウィーク」の一環として行われたもので、ここまでは海外クラブと提携を結んでいるJクラブではよくある話だ。特筆すべきは、全くの異業種であるプロ野球の施設を訪れ何を得ようとしたのかという点だ。
ここでは、サッカーと野球という競技の壁を超えた視察によって、何がもたらされるかを検証したい。

ベティスと日本のつながり
1907年にセビージャの内部分裂がきっかけで誕生したベティス。労働者階級の支持を受けているとされており「ベティコ」と呼ばれるサポーターは熱狂的で「Viva Betis manquepierda(頑張れベティス、たとえ敗れようとも)」を合言葉に無償の愛を注ぎ続けている。一時は3部にまで降格した暗黒期も経験したが、1934/35シーズンには1部優勝も経験。ラ・リーガ1部から3部までのカテゴリー全てで優勝経験のある唯一のクラブでもある。
日本との繋がりでいえば、2018/19シーズンに元日本代表MF乾貴士(現清水エスパルス)が所属したクラブだ。しかし乾はリーグ戦、カップ戦合計10試合無得点に終わり、わずか半年でデポルティーボ・アラベスに期限付き移籍した。
ホームスタジアムのエスタディオ・ベニート・ビジャマリンの収容人数は約6万人で、平均入場者数は約5万1,000人。平均収容率が約85%にも上る人気クラブだが、その数字にあぐらをかくことなく競技の枠を超えてビジネスモデルを学ぼうとする姿勢には頭が下がる。
スペイン南部アンダルシア州の州都セビージャ市は歴史的にも日本と深い繋がりがある。今から遡ること約400年前の1611年、伊達政宗の命を受けた家臣・支倉常長をはじめとする慶長遣欧使節団がスペインに渡り貿易を試みた。しかし一行がスペインに上陸した頃、日本では徳川家が江戸幕府を開き、キリスト教は禁じられ、交易においても鎖国政策が取られた。その報を受けたスペイン王室は彼らを正式な使者とは認めず、貿易の許可は得られなかった。
その7年後に帰国した支倉常長はキリスト教の洗礼を受けていたためキリシタンとして弾圧され失意のうちに命を落とした一方で、使節団の一部はスペインに残ることを選択し、彼らの子孫が「ハポン(スペイン語で「日本」)」姓を名乗った。セビージャ近郊のコリア・デル・リオ市周辺には今でもハポン姓が700人ほどいると言われている。

施設運営をはじめとする多角的な視点での学び
そんなベティスが訪れた「TOKYO GIANTS TOWN」は、二軍用新球場を含んだスポーツエンターテインメント複合施設として、株式会社よみうりランドによって建設された。ベティスにも新たな練習施設「シウダ・デポルティーバ・ラファエル・ゴルディージョ」の建設計画があることで参考にしたと思われる。
東京ジャイアンツタウンの山本裕臣ゼネラルディレクターから説明を受けた国際事業責任者のイグナシオ・ピニージャ・カスタニェダ氏と広報担当のイグナシオ・ボレゴ・ロペス氏は「これまで見た施設でもトップクラス。若い選手の育成に力を入れていることが理解できた」とコメントした。
この視察によって、最先端のスポーツエンタテインメント施設の設計や運営ノウハウを学び、自クラブの新練習施設の計画に生かす試みがなされたと思われる。また、巨人が持つ強力なファンベースや試合以外のエンタメ要素を取り入れた施設運営から、観客体験の向上に関するインスピレーションを得た側面もある。さらには、若手育成の面において定評のある巨人を参考に、トップチームに選手を送り出すプロセスに注目した点もあるだろう。
ベティスの国際化プロジェクト「ベティス・ウィーク」は、ラ・リーガから2024年の最優秀国際アクティベーションとして表彰された。こうした背景を考えると、スポーツクラブ間の交流を通じて施設運営、ファンとの関係構築、持続可能な取り組みといった多角的な視点での学びが目的だったと解釈できる。
また、ベティスの試みは決して一方通行ではなく、この期間中、日本のマンガ学校の生徒やプロのアーティストを対象としたマンガコンテストを開催。参加者はベティスをテーマにしたマンガの表紙を制作し、優勝者にはトップチーム選手のサイン入りユニフォームが贈られた上で、優勝作品はベティスの公式サイトで紹介され、エスタディオ・ベニート・ビジャマリンでも展示されるという。
さらにベティスは、岸本斉史氏による人気マンガ『NARUTO—ナルト—』との特別コラボユニフォームを発表し、合計845着を限定販売。しかし、あくまでスペイン国内に向けてのもので、日本での発売は行われなかった。
ベティスが国際部門を派遣した背景には世界的なネットワークを強化し、日本での知名度向上やビジネスチャンスを模索する狙いがあった半面、積極的に日本文化を紹介することで、地元サポーターに向けてクラブがグローバル化していることのアピールとも推測できる。
今回のこの交流は、単にスポーツ面の交流にとどまらず、文化交流、地域交流、経済交流など多岐にわたる分野での相互理解と協力関係構築を目指すものだ。巨人のプロジェクトを視察したことで、日本のスポーツクラブが地域社会と連携し、地域活性化にも貢献していることを学んだはずだ。

単一の競技にこだわっている時代ではない
これとは逆に昨年12月、プロ野球、横浜DeNAベイスターズのスカウト4人が、スカウティングに関する意見交換を目的に欧州サッカークラブの視察を行った。具体的な視察先や視察の内容は明かされなかったが、日本シリーズを制し38年ぶりの日本一となった直後とあって、成績に浮かれることなく新たな取り組みに臨む姿勢は、野球界のみならず他のスポーツ界からも注目された。
スポーツビジネスの世界はもはや単一の競技にこだわっている時代ではない。J2大宮アルディージャを買収したレッドブルグループは、ドイツ(RBライプツィヒ)、オーストリア(レッドブル・ザルツブルグ)、米国(ニューヨーク・レッドブルズ)など世界中でサッカークラブを保有している上、F1、アイスホッケーにも進出し、マルチオーナーシステムのメリットを最大限に活用している。
保有する各クラブに経営ノウハウをフィードバックさせている上、本業である「レッドブル」(1987年発売)は、1984年創業からわずか30年足らずで「世界で最も飲まれているエナジードリンク」となった。
ベティスが今回訪問した巨人は、他球団との比較から推定される売上高は年間約250億円と言われている(正確な売上高の公開はしていない)。当然ながら日本国内のスポーツクラブの中では他を圧倒する数字だが、これをユーロ換算すれば約1億5,400万ユーロで欧州5大リーグの中堅クラブ程度だ。ベティスからすれば、“身の丈に合った視察先”という見方もできる。
そんな巨人の新たな二軍施設は、ベティスにとっても大いに参考になったはずだ。欧州ではホームスタジアムや練習施設にレストランや商業施設を併設し、試合がない日でも稼げる仕組みを整えることが当たり前となっている。ベティスは決してレアル・マドリードやバルセロナになることはできないが、眼前のライバル、セビージャに追い付き追い越すことは可能に思える。巨人を参考にした新練習拠点がその大きな一歩となるのか注目していきたい。