渡辺久信だから言える。監督「森×野村」、捕手「伊東×古田」の違い

3月27日(水)6時35分 Sportiva

西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(18)

【初戦先発】西武・渡辺久信 後編

(前編の記事はこちら>>)

森祇晶と野村克也の違い

——後に渡辺さんはスワローズに移籍します。在籍は1998年の1年間だけでしたが、このときには野村克也監督の下でプレーをし、古田敦也捕手とバッテリーを組んでいます。そこで、ライオンズとスワローズの類似点や相違点などを伺いたいと思います。まずは、ライオンズ・森祇晶監督と、スワローズ・野村克也監督についてはいかがでしょうか?

渡辺 ずっと西武で野球をやっていた僕が、西武から戦力外通告を受けた1998年にヤクルトに移籍したのは、「野村さんの下で野球をやりたい」という思いがあったからです。森さんと野村さんは、一見すると似ているけど、「全然違うな」と僕は思いますね。

——具体的にはどのような点が違うのですか?

渡辺 森監督は、選手の性格をきちんと把握されている監督でしたね。選手の性格を見極めた上で、「こいつには厳しく言っても大丈夫」とか、「こいつは、おだてておいたほうがいい」といったように、使い分けていたと思います。僕や工藤さんはいつもボロカスに言われていました。他の人には言えない分を、僕たちに向かって吐き出している感じでしたね(笑)。

——厳しく言われることに対して、どのように接していたのですか?

渡辺 スルーしていました(笑)。「あぁ、また何か言ってるねぇ」みたいな感じでしたね。もし僕がそれを気にするタイプだったら、森監督も、僕には何も言っていなかったでしょうね。


日本シリーズで6連勝を飾るなど活躍し、1998年にヤクルトに移籍した渡辺 photo by Kyodo News

—— 一方の野村監督は?

渡辺 野村さんの場合は、しっかりと言葉で納得させてくれる監督でした。たとえば、カウントによって、投手心理、打者心理は、それぞれどのように違うのかということを、野村監督はきちんと言葉として伝えてくれました。もちろん、僕だってプロ野球選手として15年間やってきたわけだから、ある程度はわかっていますよ。でも、きちんと言葉で伝えられることによって、「この人、すげぇな」って、すごく共感したんです。

——では、森さん、野村さんと共通項はありますか?

渡辺 共通項? うーん、キャッチャー特有の”腹黒さ”かな? もちろん、いい意味でですよ。キャッチャーっていうのは、それぐらいじゃないと通用しないんでしょうね。……「腹黒い」って、いい言葉じゃないですね。何て言うのかな? あっ、「したたかさ」とか「計算高さ」のほうがいいね(笑)。いいキャッチャーってみんなそうですよ。

伊東はオーソドックス、古田は大胆不敵なリード

——では、同じくキャッチャーであるライオンズ・伊東勤さん、スワローズ・古田敦也さんのケースはどうですか?

渡辺 2人もやっぱり、タイプは違いますよね。伊東さんはオーソドックスなリードをします。でも、これは大事なことなんです。たまーに控え捕手が試合に出て、意表を突くすごくいいリードをすることがありますけど、これは当たり前なんですよ。その日、一試合に出るだけだから。でも、長年にわたってレギュラーを務めるキャッチャーの場合は、トータルの流れで物事を考えるわけです。その日はその日の試合でありながら、実はシーズンを通して物事を考えて、エサをまいているケースもあるわけですから。

——今日の試合が明日の試合の伏線になっていたり、ペナントレース終盤を見据えて、序盤の配球を考えたりするケースもあるわけですね。

渡辺 そうです。そうなると、どうしてもリードはオーソドックスにならざるを得ないんです。だから、伊東さんは「冒険をしないキャッチャー」のように見られがちだけど、逆にすごく安定感があるんです。「安定感のあるキャッチャー」という感じなんです。

——古田捕手はいかがですか?

渡辺 フル(古田)とは同い年なので、ずっと「いつか、古田とバッテリーを組んでみたい」と思っていました。フルのリードは、ひと言でいえば「大胆不敵」。相手バッターを打ち取った後、腹の中でクスクス笑っているような裏をかくリードが多かったかな? 

——マウンドでサイン交換をしていて、「えっ、その球を投げるの?」みたいなことがあるわけですか?

渡辺 うーん、別に投げたことのない球種を要求されるわけじゃないから、そこまで驚くことはなかったけど、「あぁ、そうなんだ」「なるほど、この球種か」っていう感じで楽しんで投げていました。

——両方のチームに在籍した立場から、この1992年、1993年日本シリーズ当時、それぞれのチームカラーをどのように分析しますか?

渡辺 結局、西武は大人のチームでしたね。ヤクルトと戦った1992年とか、1993年にはすでに完成されたチームで、少しずつ落ち気味な感じでもありました。でも、ヤクルトはチームとしての勢いがすごくて、伸びしろがまだまだある。そんな違いがあったんだと思います。

——とは言え、渡辺さんはスワローズの池山隆寛選手、古田敦也捕手と同学年です。年齢的には渡辺さんも十分、「若い」と言えるのではないですか?

渡辺 うん。でも、僕は早くから一軍で投げていたし、今とは違って完投が多かったから投球イニングも多かったし、最初の10年間はたぶん、人一倍投げていたからね。早めに出てきたから衰えるのも早かったし、周りが「あっちが痛い、こっちが痛い」と言っている中で、「オレは行きます」っていうタイプでしたから。結局、現役15年間、第一線で目いっぱい投げられたのはすごく誇りに思っていることですけどね。

西武もヤクルトも精神的にタフなチームだった

——1992年はライオンズの4勝3敗、1993年はスワローズに対して3勝4敗、通算で7勝7敗という大激戦でした。本当に紙一重の戦いでしたが、どのように振り返りますか?

渡辺 1992年はうちが勝ったけど、やっぱり苦労の末の勝利でした。延長戦が4回もありましたよね。どっちが勝ってもおかしくなかったと思いますよ。結果的に西武が勝ったのは、やっぱり経験の差ですね。長年、日本シリーズで戦ってきている場慣れ感みたいなものが、多少なりともあったのかもしれない。


当時の映像を見ながら激闘を振り返る渡辺氏 photo by Hasegawa Shoichi

——1993年はオレステス・デストラーデ選手のメジャー復帰もあって、ライオンズが惜敗しました。

渡辺 確かにデストラーデは抜けたけど、別に「戦力ダウンだ」とはあまり感じていなかった気がします。この年も「また、ヤクルトが相手か」と感じたぐらいで、特に何かを意識したことはなかったと思いますね。

——スワローズ関係者にお話を聞くと、「デストラーデが抜けたことで、今年は勝てるぞ」と強く思っていたと言っていました。

渡辺 確かに1992年までの西武のクリーンアップは、パ・リーグ全体で見てもトップクラスでしたからね。秋山(幸二)さんもよかったし、清原(和博)もよかったし、デストラーデもすごかった。でも、僕としてはトータルで見れば清原が一番いいバッターだったという思いがあります。

——これはみなさんに伺っているんですけど、先ほども言ったように両チームの対戦は2年間で7勝7敗でした。はたして、両者の決着は着いたのでしょうか? 一体、どちらが強かったのでしょうか?

渡辺 別にいいじゃないですか、決着を着けなくても(笑)。2年連続で第7戦までいくってことは、西武もヤクルトもどっちも強いんですよ。そして、どちらも精神力が強いんです。どちらかのチームが精神的にキレちゃったら、もう4勝1敗くらいでアッサリと決着が着いちゃうでしょ。でも、何試合も延長戦があったんだから、それはどちらも精神的に強いチームだったということなんです。両チームとも、技術はもちろんだけど、精神的にタフなチーム同士だったんですよ。それでいいじゃないですか。

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