ラモス瑠偉を駆り立てる“日の丸”への思い「育ててくれた日本に恩返しをする。それがラモス瑠偉だよ」/ビーチサッカー日本代表監督インタビュー
2018年3月29日(木)17時3分 サッカーキング
2017年2月14日、リハビリを乗り越えて退院。
2018年2月14日、ビーチサッカー日本代表監督の就任会見に出席。
死の淵に立ってから、わずか1年。誰よりも“日の丸”を愛するラモス瑠偉が、ビーチサッカー日本代表監督として帰ってきた。その決断に、どんな思いがあったのか。
インタビュー・写真=Noriko NAGANO
2018年3月19日、FIFAビーチサッカーワールドカップ2019を目指す新チームが始動した。トレーニングキャンプ初日からラモス瑠偉監督の大きな声が、沖縄のビーチに響く——。
──5年ぶりにビーチの監督に戻ってきて気持ちはいかがですか?
ラモス瑠偉 ビーチが似合う男は私しかいない。11人のサッカーもフットサルも好きだけど、ビーチは子どもの頃からやっていたし、好き。ビーチはやっぱりいいですよね。青い空の下で、青い海の白い砂浜でサッカーをやれる。こんな素敵なスポーツはないですよ。もうちょっと、みんなに知ってほしい。
◆実績あるラモス監督が戻ってきて
──やっぱり緊張感がありますね。
ラモス瑠偉 久しぶりに戻ってきて、この緊張感やプレッシャーがいいものですね。ビーチとフットサルは、日本代表のお荷物じゃない。日の丸を背負っている人間は、プライドをもってやらないと。ゲートボールだろうが、凧揚げだろうが、日の丸を背負って戦うには、真剣さがないとダメ。そういうのを選手たちに伝えて、もう一回ワールドカップに出たい。この4年でアジアのレベルが高くなっているし、みんなが日本をすごく意識している。ラモスが帰ってきて、『ラモスだけには負けたくない』という監督が結構いる。だから逆に刺激がある。
──監督就任が発表されてから、周りの反応は?
ラモス瑠偉 もうすごいですよ。倒れたときも、ポルトガルやイラン、ブラジルの選手たちから、結構、メールをいただいたけど、病気からの復帰が早かったことをみんながすごく喜んでくれた。もう一回、日本のビーチを盛り上げるために帰ってきて、みんながすごく応援してくれているという雰囲気でした。
◆日の丸を背負うことが命をつなぐ
──死の淵から生還して、ビーチの監督をもう一回やるというのは、自分の中でどういう意味があると思いますか?
ラモス瑠偉 まず私は日本でビーチサッカーを作った人間ですよ。1人でやったわけじゃないけど、スタートのときに自分がいなかったら、今の日本のビーチサッカーはない気がします。何よりも、日の丸を背負ってやる重み、その快感をもう一回味わいたかった。完璧に病気を治すための最後の点滴がこれじゃないかと思っています。この快感を味あわせてくれる皆さんに感謝しています。ただ、厳しいぞ!鬼だぞ!私が監督になって、選手たちの何人かは喜んでいるけど、何人かはビビっている。すぐに分かったよ(笑)。
──トレーニングではもっと吠えているラモスさんを想像していたのですが、笑顔いっぱいの表情ですね。
ラモス瑠偉 何人かの選手は初招集だし、いつもはアメとムチだけど、あんまり最初からビビらせると逆によくないしね。どこのサッカーでもそうだろうけど、新しい監督が入ったときに、前の監督の色を頭の中から消さなきゃダメ。それぞれの監督のやり方がある。早く新しい監督のやろうとしていることを理解しないと。前の監督がどうこうではなく、私はトップを目指しているから、頭の中をまたゼロにして、みんなには日頃のトレーニングに100%集中してやってほしい。私たちにはそんなに時間がない。ワールドカップ予選が1年後にあって、結構難しいんですよね。
ただ、どうしても今度のワールドカップに出たいし、ワールドカップでみんなを驚かせたいから、そのためにいろんな人の協力がないとできない。ラモスが戻ってきたから、ワールドカップに出られるというほど甘くはない。そんなに甘かったら、私は引き受けていない。やっぱり、アジア王者としてワールドカップに出たい。
──前回指揮を執った2013年のタヒチワールドカップでの悔しさは?
ラモス瑠偉 まだ残っています。ブラジルとはめちゃくちゃいい試合をしていて、自分たちのミスで逆転されたのはすごく悔しい。すべての責任は私にあると思いますけど、みんなが自分たちの力を出しきれなかったことが、すごく残っている。悪いのは選手じゃない。あの時……、前の年に妻が亡くなって、理由にはならないけど。妻がビーチを愛していて、ずっとサポートしてくれて、いろんなアドバイスをもらっていた。本当にビーチが好きで、ビーチに詳しくて。当時は、コーチのためのお金がなくて自分1人でやっていたから。ワールドカップに出ただけで満足したわけじゃないんだけど、なんだかくだらないことでやられました。
試合が始まる前はすごく雰囲気がよくて、あの時こそ、もう一回ベスト4にいける気がしていたのに、いきなり何が起きたのか……。あれからサッカーの監督をやっている間も、ビデオを見ながら、何があったんだろうなーとか、違うことができなかったのかなーとか考えていました。
──2013年のワールドカップが終わったとき、いつかビーチに戻ってこようという気持ちはありましたか?
ラモス瑠偉 なかったんですよ。11人のサッカーで、どこかの地方を盛り上げるために息子と一緒にやりたいと思っていたから。ただ、いつか必要であれば、もちろんビーチが大好きだし、もう一回戻りたいという気持ちはあったし、2年か3年離れて、『なんだかんだ言っても、やっぱりラモスしかいない』と思わせたいのはどこかにあった。だけど、『自分からやりたいとは絶対に手を挙げない』と思っていたんです。充分やってきたからさ。
──ビーチの監督を辞めた後の2大会はどう見ていましたか?
ラモス瑠偉 それぞれの監督のやり方があるし、良い悪いじゃないんだけど、せっかく私が作った粘り強いチーム、最後のところで諦めないというところがなかったんですよね。アプローチの距離感が離れ過ぎちゃって、すぐ諦めちゃうしさ、踏ん張らないしさ、それは、もったいなかったね。
◆北澤豪フットサル委員長からのオファー
──北澤さんからビーチの監督のオファーがあったとき、すぐ『やるよ』と答えたそうですね?
ラモス瑠偉 彼はヴェルディ時代の仲間で、オフトファミリーでドーハを経験した1人の人間として、彼の力にならいつでもなりたいと思った。彼はまず体のことを気遣ってくれて、そのあと、『ラモスさんしかいない』って言ってくれた。ただ、『大変だぞ』という話をした。ビーチは今、アジア各国に上手い選手がいっぱいいるし、彼らも徹底的に練習をやっている。各国が力を入れたら、簡単には勝てない。
それから、体のことを心配して、私が倒れることを怖がっているけど、みんな死ぬときは死ぬやん!何をやっても。ビーチサッカー日本代表のユニフォームを着て死んだら、こんな名誉なことはないよ。
──誇りですか?
ラモス瑠偉 誇りですよ。人間はいつか死ぬから、死ぬのは怖くない。ただ、死ぬ前にもう一回、代表を強くしたい。神様は今回、そのチャンスを与えてくれてるんじゃないかな。日本代表を仕切るというのは、どんなに名誉なことか。ユースだろうが、高校生だろうが、ゲートボールだろうが、日本代表だぞ。日本代表は誰にでもなれるわけじゃない。
──監督就任の決断をするときに、背中を押してくれた人は?
ラモス瑠偉 娘と妻です。妻は、今のビーチサッカーの状況も分かっていて、『もう、あなたしかいないよ。みんながあなたをリスペクトしているし、あなたに帰ってきてって言ってる。あなたの性格だったら無視できないでしょ、だから、行け』って、妻が言ってくれた。娘も喜んでくれている。
──今回呼んだメンバーを見てみてどうですか?
ラモス瑠偉 あと2、3人見たいけど、たぶんこれがベストじゃないかな。ビーチの戦術はまだこれからだけど、はまったら面白い気がするね。
──何人か絡んだら?
ラモス瑠偉 そうそう。面白いね。それを覚えさせないと。強いチームに攻められたとき、どうやって守るのかをまだ何人かが分かってないけど、一生懸命だし、まだ時間があるし、今回宿題を与えて、各チームでトレーニングしてくれれば、もっとみんなうまくなるんじゃないかな。
◆関西弁で熱血指導
──巧みな関西弁で笑わせて選手を惹きつけていますが、そもそも関西弁はどこで覚えたのですか?
ラモス瑠偉 私は昔からずっと関西弁。私の関西弁は大阪弁で、明石家さんまさんの影響ね。草サッカーを一緒にしていたし、大阪にも何回も行っていた。さんまさんに会ったときから、面白い喋り方をするなと思っていた。それで、竹内力さん(主演)の『ミナミの帝王』を見て、関西弁を覚えたんですよ。
──牧野真二コーチとは、これまでの監督と選手の関係から、今回立場を変えて初めてですが、どうですか?
ラモス瑠偉 やりやすいですよ。彼はサッカーもやっていたし、フットサルもやって、頭がいいし、ビーチも大好きだし、私のやり方を分かっている。それをみんなに伝えるために、彼の力を借りないと。11人のサッカーでも、私が怒ると、みんなビビってカチカチになって、自分の良さを出しきれない。この壁を乗り越えれば、上手になっていく。都並(敏史)、武田(修宏)、藤吉(信次)、みんなそうだった。ワンクッション入れるためにも、牧野の力が必要なんです。
──でも、今回はラモスさんも選手をすごく褒めていますよね。
ラモス瑠偉 褒めないとダメですよ。ただ、褒めて調子に乗って、集中が切れてくだらないミスをしたら、私がなんのために褒めているの!ってなる。褒められたプレーヤーがそれを覚えて、同じことを何回もやれって!いちいち可愛がっている時間はないもん。そこで乗り越えなければ、もういいよ、出て行け!昔のメンバーでやるから、ってなる。ただ、もったいない、今チャンスを与えてるのに。
──初日からかなり動き回っていますが、疲れは出ていませんか?
ラモス瑠偉 大丈夫。そんなこと、ビビっている場合じゃない。だから、疲れない。このあと、ホテルまで走って帰りますよ。
──日の丸の力なんですね。
ラモス瑠偉 そう、日の丸やで。国を背負ってるんだから。日本に来て、この国がいろいろいい思いをさせてくれたから、恩返しをしたいくらい好きになった。好きでたまらない国を愛するし、育ててくれた国に恩返しをする。それがラモス瑠偉だよ。私の日本への感謝の気持ちは、そういうものです。他の国に行ってトップに立ったとき、日の丸の旗を見ると、あんなに嬉しいことはないですね。まずはワールドカップ予選でアジアチャンピオンになって、あの瞬間をもう一回味わいたいな。
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ラモス瑠偉
1957年2月9日生まれ、ブラジル・リオデジャネイロ出身。1977年4月に来日、読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)に入団。1989年11月、日本に帰化し、翌年日本代表入り。オフト・ジャパンでアメリカ・ワールドカップ アジア予選に出場した。日本代表として32試合出場。1998年に現役引退。1984年に結婚し、1男1女をもうけた初音夫人は2011年に死去。2015年11月に俊子さんと結婚した。
[指導歴]
(サッカー)
2005年 柏レイソル コーチ
2006年〜2007年 東京ヴェルディ1969 監督
2014年〜2016年 FC岐阜 監督
(ビーチサッカー)
2005年FIFAビーチサッカーワールドカップリオデジャネイロ大会監督(第4位)
2009年FIFAビーチサッカーワールドカップドバイ大会監督(ベスト8)
2011年FIFAビーチサッカーワールドカップラベンナ大会監督
2013年FIFAビーチサッカーワールドカップタヒチ大会監督(ベスト8)