プロ野球開幕戦 大役に備え2週間前から体調調整する審判も

3月29日(土)16時0分 NEWSポストセブン

 プロ野球がまもなく開幕する。実際の試合で喝采を浴びるのは、当然のことながら選手たちだが、その影で試合を司るのが審判。スポーツライターの永谷脩氏が、元セ・リーグ審判部長の田中俊幸氏の思い出を綴る。


 * * *

 1990年代前半、ヤクルトがキャンプを張っていた米国アリゾナ州・ユマでのこと。最終日、1人の審判から頼み事をされた(12球団のキャンプ地には審判員も派遣され、ストライクゾーンの確認などを行なう)。監督になったばかりの野村克也と、記念撮影がしたいという。


「俺は畏れ多くて口もきけないから、一緒に頼んでくれないか」


 頼みに行くと、野村は快く応じてくれたが、「アイツも偉くなったもんだ。ワシと一緒に写真を撮ろうなんて」と嫌味の一つを加えることを忘れなかった。「あの方はシーズン中からいつもそうなんだ。“お前、ワシに指図するのか”だからね(笑い)」


 審判の名は田中俊幸、後にセ・リーグ審判部長を務める男である。田中は1959年に投手として南海に入団。2年間在籍したが、一度も一軍経験のないまま引退、審判に転じた。当時の南海では野村は主砲。確かに口をきける存在ではなかった。


 審判としては、現役時代とは違うセ・リーグで1965年から2935試合に出場した。しかし1999年、巨人−中日戦で起きた井上一樹の捕球を巡るミスジャッジ。判定を覆さなかったが、この責任を取って審判部長を辞任し、同時に自らも引退を決めるなど、潔い一面もあった。


 神宮球場での試合の帰りなど、渋谷にまだあった仁丹ビルの裏手にある居酒屋に立ち寄っては一緒に飲んだ。酒に酔うほどに、「審判である前に人間たれと言うけれど、審判は石ころと同じなんだよ」とよく言っていたものである。ストレスも多かったのだろう。野村に言わせると、「あれほど下手なヤツも珍しいが、試合の流れだけはしっかり作っていた」という評価だった。


 その田中が審判として初めて、開幕戦、しかも巨人戦の主審を務めたのは1986年(ヤクルト戦)。当時はまだ地上波での放送で、注目の集まる完全生中継だった。


 大役が決まってからというもの、田中は体調を整えるため、試合の2週間前から水分を控えめにして、アルコールも断った。審判は一旦試合が始まると、好きなときにトイレに行くことすらできないからだ。開幕の日が近づくにあたって、緊張するのは監督・選手だけではない。審判員とて同じである。


 子供のいない田中は、ペルシャ猫を飼っていた。名前は「寅次郎」、映画『男はつらいよ』が大好きだった田中が名付けたものである。寅次郎は、普段は練馬区にあった自宅に田中が帰ってくると、玄関口で待っていて、まとわりついて離れないのが常だった。


 しかし主審になったこの年は、指名された日以来、近づこうとしなかった。食事の時はいつも膝の上に座って、一緒に食べていたのに、それもしなくなった。「開幕前の緊張は、猫にもわかるのかな」と不思議がっていたのを思い出す。大役を無事に果たし、自宅に戻った時には、寅次郎は玄関口で普段通り待っていて、田中にじゃれついてきたという。


「周囲に緊張がわかるようでは、まだプロとして失格。猫にまでわかってしまうのだから」


 田中は当時をこう振り返っていた。審判を辞した後は、夢だった舞台俳優に転身。第二の人生を楽しんでいたが、2008年に急逝してしまった。


※週刊ポスト2014年4月4・11日号

NEWSポストセブン

審判をもっと詳しく

BIGLOBE
トップへ