「G馬場は1960年代の米遠征1年間で1億稼いだ」との証言

4月2日(月)7時0分 NEWSポストセブン

馬場の代名詞といえば16文キック

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 身長209cmの長躯で日本のリング界のみならずアメリカでも成功を収めたジャイアント馬場。彼の雄姿を収めた『DVD付きマガジン全5巻〜伝説の激闘コレクション ジャイアント馬場「甦る16文キック」』(小学館)が5月より刊行がスタートする。というわけで、数々の名勝負を繰り広げた“世界の巨人”の名勝負ベスト3を、プロレス評論家に選んでもらった。


【第3位】 

昭和57(1982)年2月4日東京体育館

「ジャイアント馬場vsスタン・ハンセン」

 

 新日本のトップだったハンセンが全日本に電撃移籍を果たして実現した一戦。「当時ハンセンは全盛期、馬場は落ち目と見られており、戦前『馬場は殺されるんじゃないか』とまで心配されましたが、互角以上の闘いを見せ、馬場健在を大いにアピールした試合だった」(元『週刊ゴング』編集長・金沢克彦氏)


【第2位】

昭和49(1974)年12月2日 鹿児島県体育館

「ジャイアント馬場VSジャック・ブリスコ」


 プロレス界の最高峰NWA世界王座を日本人として初めて奪取した。「師匠・力道山が成し遂げられず、ライバル猪木は挑戦すらできなかったNWA王座を奪取し、ベルトを高々と掲げる馬場は本当にうれしそうでした」(『週刊プロレス』編集長・佐藤正行氏)


【第1位】

昭和42(1967)年8月14日 大阪球場

「ジャイアント馬場vsジン・キニスキー」


 馬場全盛期の代表的名勝負であり、馬場本人が「生涯のベストマッチ」と公言していた。「延長戦を含めた65分間闘って決着がつかず引き分けでしたが、二人とも全く息があがっておらず、馬場は『ランナーズハイならぬ、レスラーズハイの状態だった』といっていた」(プロレス評論家・菊池孝氏)


 * * *

 力道山なきあと、「もうなくなると思っていた」(前出・菊池氏)プロレスを復活させたのが馬場だ。身長209cmという規格外の巨体を武器に米国でブレイク。ニューヨークなどあらゆるテリトリーでメインイベントを張り、当時の世界三大王座に連続挑戦するという快挙を達成した。プロレス評論家の門馬忠雄氏は、その姿を「プロレス界の“野茂”だったと思います」と回想する。


「馬場はプロ野球では成功できませんでしたが、プロレスで大リーガーになった。当時、馬場がアメリカで1年間に稼いだ額は、あの時代において1億円を超えたと聞いていた」


 馬場は後に豊富な米国人脈を使い、日本プロレス分裂後の1972年、全日本プロレスを創立した。


撮影■木村盛綱


※週刊ポスト2012年4月13日号

NEWSポストセブン

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