ローアマから始まったマスターズ 4度目出場で“日本人史上最少記録”【松山英樹のマスターズ戦歴】

2024年4月5日(金)16時0分 ALBA Net

松山英樹のマスターズ戦績を振り返る!(写真は2012年、2014年、2015年大会で撮影)(撮影:ALBA)

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松山英樹が今年で13回目の出場となる世界4大メジャーの「マスターズ」が来週の11日(木)から始まる。今回はアマチュアとして初出場した2011年大会から、日本人最少スコアを打ち立てた15年大会までを振り返る。


■2011年 歴史的快挙となる日本人初の“ローアマ”獲得

日本人初のアマチュアでの出場となった松山。当時、同年の3月11日に東日本大震災の被害を受けた東北福祉大の学生だった。そういったことから海外のメディア陣からは大きな注目を受けた。そのなかで4日間を戦い切り、トータル1アンダー・27位タイで日本人初のローアマチュアを獲得。歴史に残る快挙となった。

当時の松山は「日本の被災地はまだ大変ですが、マスターズでのプレーで少しはみんなに希望と喜びを与えられたと思います」とスピーチ。その快挙と被災地への思いを背負った戦いぶりを称えて、パトロンからスタンディングオベーションが巻き起こった。

11年大会には日本勢から藤田寛之、池田勇太石川遼、松山の4人が出場していた。

■2012年 2年連続の快挙ならず、翌年の出場権を失う悔しい結果に

2年連続でアマチュアとしてマスターズに出場した松山だが、2度目のローアマ獲得とはいかなかった。初日は1アンダー・14位タイと好スタートを切ったが、2日目はスコアを伸ばせず「74」。トータル1オーバー・31位タイと順位を落としながらも、予選通過を果たした。

トータル1オーバー・27位タイで迎えた最終日は、来年の出場権を得られる16位以内に入ることを目指して挑んだ。だが、日に日に難易度を上げるオーガスタの前に「80」と崩れ、トータル9オーバー・54位タイでフィニッシュ。来季の出場権はおろか、ローアマチュアの座もパトリック・キャントレー(米国)に渡してしまった。

最終日までグリーンのスピードをつかみ切れず悔しいラウンドとなった。当時の松山は「これが自分の実力。この悔しさを来年返せるようにまた帰ってきたい」と話していた。

■2014年 前年に日本で“賞金王”。主戦場を米ツアーに移したシーズン

前年、プロ転向初年度となった13年に日本ツアーで4勝を挙げて賞金王に輝いた。14年から主戦場を米国男子ツアーに移し、同年のマスターズにプロとして初めて出場した。

初日に「80」を叩き8オーバー・90位タイでスタート。予選通過へわずかな望みをかけて2日目に挑んだ松山だったが、5バーディ・2ボギー・1ダブルボギーの「71」でスコアを1つ伸ばすにとどまり、トータル7オーバーでフィニッシュ。3度目のマスターズは予選落ちに終わった。

左手の故障からくる調整不足については「やってきたことが結果につながらなかった。準備がダメだったとは思わない」とキッパリと否定した。だが、米ツアー本格参戦から照準を合わせてきたマスターズでの予選落ちに「まだ考えられない。予選落ちしたら悔しい以外に何もない」と本音も明かした。

■2015年 “日本人史上最少スコア”4度目の出場で初のトップ5入り

4度目のオーガスタで、自身のメジャー最高位で終えた松山。この4日間は3日目まで60台が出せなかったプレーへの不満と、最終日に「66」をマークできた満足感と…悲喜こもごもの内容だった。

初日は4バーディ・3ボギーの「71」で回り1アンダー・18位タイ発進。前年の大会初日で「80」を叩いていた松山は当時「去年の初日に比べたら…」と結果には一定の評価をした。そして、トータル5アンダー・10位タイで最終日を迎えた松山は、1イーグル・4バーディ・ボギーなしの「66」をマーク。トータル11アンダーの単独5位で終えた。

伊沢利光、片山晋呉が持つ日本人最高位4位(当時)には及ばなかったものの、4日間『-11』は日本人史上最少スコアとなった。


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