引退3年目、辻内崇伸の今 いまだボロボロの左肩、それでも「後悔ない」

4月5日(火)11時14分 フルカウント

「たまに夢に出る」全力投球する姿—怪物左腕が語る現在地

 2005年夏——。甲子園に現れた150キロを超える剛速球を投げ込む怪物左腕に、多くの野球ファンが夢を見た。あれから11年。その男は今、もう満足にキャッチボールすることすらかなわない。ガラクタになった左肩をさすりながら、こう苦笑いした。

「たまに夢に出るんですよ。自分が思いっきり投げている夢を。でもすぐに現実に戻るんですけどね。今はマウンドからベースまで届くか届かないかのレベル。しかも山なりですよ。何なんですかね、この肩。本当はちょっとでも草野球ができるぐらいのレベルにはなって欲しいなとは思うんですけどね。でも甲子園の映像を見ても、あのときはいっぱい投げていたなと思うぐらいです。後悔はないです」

 辻内崇伸。大阪桐蔭高校3年生の時に出場した夏の甲子園。初戦の春日部共栄(埼玉)戦で、プロアマ通じ国内左腕では最速となる156キロを記録した。準決勝で駒大苫小牧(南北海道)に敗れたが、日本中の注目の的になった。その年のドラフト会議では、オリックスとの抽選の末、巨人が交渉権を獲得。ドラフト1位で、期待の新星として入団した。

 だがここからはケガとの闘いだった。2年目の07年に左肘内側側副靱帯の再建手術を行ったのを皮切りに、左肩痛に悩まされるなど、復帰しては離脱の繰り返し。背番号も15から39、そして98へと次第に大きくなっていった。最も1軍のマウンドに近づいたのは12年。8月16日の中日戦(ナゴヤドーム)から、プロ7年目で初めて1軍に昇格した。

「上がったときにいきなり新聞の1面でバンって取り上げられて。内海さんに『何でお前は1軍に上がるだけで1面になんねん』ってからかわれました」

今年から東北へ、今も思い出す巨人時代の指導

 だが結局、登板機会がないまま、同22日に出場登録を抹消された。この6日間が最初で最後の1軍帯同となった。13年に左肘遊離軟骨除去手術を受けたが、状態は思うように上がらず。再び左肩痛も発症したことから、同年オフに現役引退を決意。1軍でその剛腕を披露する機会はついぞ訪れなかった。

 そんな男が次なる道に選んだのは、女子プロ野球の指導者だった。一度は野球とは関係ない仕事に就職を決めていたが、再びユニホームに袖を通すことができるオファーを断ることはできなかった。14年から2年間は埼玉に拠点を置くアストライアの投手コーチを務め、今季からは「レイア」の投手コーチに就任。リーグ戦には参加せず、若手の育成に特化したチームで指導している。

「チームにいるのは19、20歳の選手。まだまだですけど、面白いですよ。177、8センチぐらいある選手もいて、身長が高いんです。女子プロ野球の世界に入って3年目になりますし、女子野球の発展に貢献したい気持ちは強いです」

 コーチとして3年目を迎えたが、指導者としての基本は巨人時代の経験にある。特に思い出すのが、入団から2011年まで指導を受けた小谷正勝投手コーチの姿勢だ。

第2の野球人生で思い描いている夢は?

「小谷さんは『教えるだけが指導者じゃない』と、よく言っていました。見ることが大事だ、と。小谷さんは選手にあまり言わないんです。それは今コーチになって、大事だなとつくづく思いますね。やっぱり、自分の感覚が絶対に大切。言われたらできるけど、言われなかったらできないでは絶対にダメ。今頃になって、あの時はこういうことを言ってたんだな、って納得することが多いです」

 かつて甲子園を沸かせた男は、プロ野球選手としては大成できなかった。だが今は指導者として、試行錯誤しながら自らの理想像に突き進んでいる。そして、その先に大きな夢を抱いている。

「今は色んな指導の仕方ができるようになりたいです。同じトレーニングをやっても、伸び方は人によって違うじゃないですか。この子にはこの引き出しで教えよう、あの子にはこうしようとか。最近、人を育てるのって、面白いなと思うようになってきました。目標は女子野球の悲願でもある130キロを出せる選手を作ること。そのためには、僕も選手以上にもっともっとコーチとして勉強します」

 辻内崇伸、28歳。第2の野球人生はまだ始まったばかりだ。

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