ブッフォン、うつ乗り越え1000試合出場。世界最高GKの知られざるキャリア第一歩と苦悩の日々

4月7日(金)11時57分 フットボールチャンネル

1000試合に出場したブッフォン、デビューは17歳。偉大なキャリアの第一歩

 ユベントスのイタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォンは、ロシアW杯欧州予選のブルガリア戦で公式戦1000試合出場を達成した。その一歩目はパルマから始まり、トップチームでもその実力を発揮していく。偉大なキャリアを歩んできたブッフォンだが、実はうつに苦しんだ日々がある。自伝で「いくら金持ちであろうとうつにはなる」と告白した守護神だが、そんな危機を乗り越え、選手として成熟したからこそこの偉業に辿り着くことができたのかもしれない。(文:神尾光臣【ミラノ】)

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 5日に行われたコッパ・イタリア準決勝の第2レグ、ナポリvsユベントス戦で、ユーベのゴールマウスは第2ゴールキーパーのネトが守っていた。ゴンサロ・イグアインが古巣相手に2ゴールを決めて決勝通過自体は決めていたが、攻めまくるナポリの前にユーベは防戦一方。そしてネトは、ミスキックをドリース・メルテンスに拾われてシュートを決められた他、後方のボール処理を度々ミスしていた。

 するとテレビカメラは、ある男の顔を大写しにした。心配を表情にも露わにベンチから戦況を見守っていたその男とは、主将ジャンルイジ・ブッフォンのことだ。それを見るなりファンは即座にSNSで反応。「ユーベよ、ジジとの契約をあと10年伸ばせ!」などと書き綴っていた。

 2018年1月28日には40歳を迎え、ロシアW杯をもって引退すると公に宣言はしていた。だが鋭い反応は衰えを見せないどころか、経験が加味されてより安定感を増している印象すらある。先月24日のロシアW杯欧州予選アルバニア戦で公式戦通算1000試合を達成(年代別代表は除く)。イタリアで歴代1位となっているパオロ・マルディーニの記録が1028試合だから、突破も時間の問題である。

 セリエAのデビューは約22年前、17歳の時だ。それもまた、華々しいものだった。

 1991年にパルマの下部組織に入団。そこからめきめきと実力をつけ、16歳で飛び級でプリマベーラ(ユース年代)のチーム入りを果たす。実はこの時プリマベーラにはU-17代表に選ばれていた優秀なGKがいたが、シーズン途中で交通事故に遭い第1GKはブッフォンのものに。そしてそこから、トップチームでデビューを果たすのにも時間は掛からなかった。

急きょ巡ってきたデビューのチャンス。一気に駆け上がったスターダム

 1995年11月。ミラン戦の数日前、第1GKのルカ・ブッチが故障した。このためブッフォンはプリマベーラから一時的に引き上げられ、トップチームで練習をすることになる。ところがその時のパフォーマンスがあまりにも良く、ネヴィオ・スカラ監督は第2GKのアレッサンドロ・ニスタではなくブッフォンを起用することに決めた。

 そして19日、ブッフォンは大ブレイクを果たした。ジョージ・ウエアのパスに反応して裏へ出たステファノ・エラーニオから1対1でボールを掻き出し、体のバネを効かせてロベルト・バッジョのヘディングシュートを弾き、さらにはマルコ・シモーネの決定的なシュートも鋭い反応で防いだ。

「試合前はメンバー表を見て『おい見ろよ、あいつらプリマベーラのGKを使ってくるぞ』なんて言っていたんだが、その理由を思い知らされることになったよ」。当時ミランの監督だったファビオ・カペッロは、のちに『ガゼッタ・デッロ・スポルト』のインタビューでそう述懐していた。

 そこからブッフォンは、一気にスターダムを駆け上がった。ゴールラインに張り付くことを良しとせず、果敢に前に飛び出してボールを掴みに行くプレースタイルは、当時は革新的とさえ評価されていた。ブッチの復帰に伴い再びプリマベーラへ戻るが、U-21代表に飛び級選出され1996年のU-21欧州選手権で優勝。翌シーズンにはカルロ・アンチェロッティ監督により、途中から第1GKとして完全に定着する。1998/99シーズンには、UEFAカップ(UEFAヨーロッパリーグの前身)で優勝を果たした。

 2001年にはリリアン・テュラムとのペアでユベントスに移籍。GKとしては破格の5288万ユーロの移籍金が支払われた(実質額。実際は金銭3800万ユーロにジョナタン・バキーニとのトレード込み)。そこからは、2006年までにピッチ上ではスクデット4度。イタリア代表では正GKとして、2006年のドイツW杯優勝に貢献した。

 同年にはカルチョポリの発覚によりユーベはセリエBへ降格させられるが、ブッフォンはアレッサンドロ・デル・ピエーロらと共にチームへ残留する。そして1年でセリエAへの再昇格へと導いた。そこからクラブレベルでのタイトルには見放されるが、苦労が実って2011/12シーズンからは5連覇を達成し、現在に至る。その間代表でも正GKの座を守り続け、EURO2012では準優勝に貢献した。

うつに苦しんだ日々…危機を克服して成熟した守護神の怪物ぶり

 いくらGKは長寿のポジションだとはいえ、これだけ長期にわたってトップの座に君臨した歩みを振り返ると、改めてその怪物ぶりに驚かされる。しかしブッフォン自身は思い悩むこともある1人の人間であり、そのためにキャリア続行の危機に瀕していたこともあった。

 2008年に出版した自伝『ヌーメロ・ウーノ』の中で、自身がうつに陥っていたことを告白した。「2003年から2004年にうつになって、精神科医にかかっていた。人生にもサッカーにも、つまり自分の仕事にもうまくいかなくなった。突然足の震えも感じた」。

 近親者や精神科医らの支えもあり、また読書や美術館巡りなど、1人の人間として過ごす時間を作ったことにより、うつの状態からは脱することはできたという。

 ブッフォンは、出版当時のインタビューでこう答えている。「いくら金持ちであろうが、また有名であろうが、うつには捕まるものだ。どういう仕事をしていたって、やる気が失せる時はくるものだし、時には人生そのものに満足がいかなくなる」。

 そういった危機を克服し、人間として成熟した彼だからこそ、セリエB降格などの激動にもかかわらず地に足をつけたキャリアを送ることができたのだろう。昨季に達成した973分の無失点記録(アディショナルタイムを加算すれば1023分間)も、その人格的な力の表れに違いない。自らのセーブのみならず、守備陣全体を統率した結果でもあるからだ。

 もっともブッフォンが偉大であればこそ、クラブはその後継者に悩む。やれミランからドンナルンマの引き抜きを考えているとか、セリエBのSPALで大活躍中のアレックス・メレトを抜擢するとか噂は絶えない。いずれにせよ人選次第では、ユベンティーノたちはブッフォンの名をコールし続け、引退も先延ばしになるかもしれないが…。

(文:神尾光臣【ミラノ】)

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