「出産したら競技は無理。そんな声に負けない」苦しみ乗り越えたママ選手・高木エレナの挑戦

4月10日(金)12時0分 REAL SPORTS

地方では初となるJISS(国立スポーツ科学センター)と連携しながらの「産後復帰プロジェクト」を経て、昨年、見事現役復帰を果たした三重バイオレットアイリスの高木エレナ。出産後、体重が十数kg増えていた状態からスタートし、彼女はいかにしてハンドボール選手として現役復帰を果たしたのか? そのプロセスにおける自身の葛藤、そして周囲のどのようなサポートが彼女の大きな支えとなったのか。いまだ女性アスリートが結婚、妊娠出産を境に競技をやめるケースが多い中、一人のトップアスリートの出産後から現役復帰までの道のりを追った。

(インタビュー・構成=木之下潤、写真提供=MARK THREE DESIGN)

産後復帰をどのようにプランしていったのか?

——妊娠期間中は「ゴールキーパーコーチ」という肩書で活動されて、昨シーズン産後復帰してからは選手兼コーチ、それとも選手一本のどちらで活動したのですか?

高木:昨シーズンは選手一本でした。

——産後復帰に向けて体重を戻すことはもちろん、運動能力を妊娠前の状態に戻すことも大事です。2019年5月にJISS(国立スポーツ科学センター)のスタッフが三重に来て、クラブのトレーナー、栄養士、産婦人科の先生と「産後復帰」のことを話し合ったと聞きました。

高木:JISSのスタッフ、クラブのトレーナーと栄養士、産婦人科の先生に集まってもらい、復帰に向けた話が行われました。その中で、こういう事例を地域でつくることは大切だということになりました。私自身も初めての経験ですが、きっと地域の女性アスリートで「ママさん選手として現役を続けたい」という人もいると思います。もし手厚い支援が受けられなくても、「どういうことをすればいいか」がわかれば、女性アスリートが現役を続けられる間口が広がると思ったので、そこに対して何か貢献できればいいなと考えました。

——おそらく「やりながら」でしか産後復帰のプログラムは組めないような気がします。子どもを出産したあとに動き出したプロジェクトということで間違いないですか?

高木:出産後、競技復帰の相談をクラブにしてから動き出したことです。JISSは東京にあるので、私が三重と東京を行き来することなどを現実的に考えていく過程で「難しい」という結論に至り、そこから実際に三重を拠点にトレーニングを開始しようとしたタイミングで、内々のこととして「産後復帰プロジェクト」の話し合いが持たれた形です。

——一度、子どもが生まれてからの流れを時系列で確認させてください。

高木:出産は、2018年12月。JISSとの話し合いは、2019年5月。そして、実際に競技に復帰してチームに加わった本格的なトレーニングを実施し始めたのは、2019年9月くらいからです。なので、5月からの数カ月はその準備期間としてクラブのトレーナーと二人三脚で軽くジョギングなどはしていました。初めは体重が十数kg増えていたのでヒザが痛くなって10分くらいでやめました。だから、自重のスクワットくらいからスタートし、階段を上ったりして体を運動に慣らしていくことを目的に少しずつハードルを上げていきました。

——なるほど。クラブのトレーナーとトレーニングを始めた時、体の状態はどんな感じだったのですか?

高木:すごく体が硬くなっていました。股関節は可動域が狭くなっていた感覚がありました。もともと痛みを抱えていたのですが、歪みがあって日常生活でも腰痛が出たりしていた状態でした。

——思うように体が動かない。妊娠、出産にあたって体の内部でどんな変化が起こったのか知りたいです。

高木:頭の中のイメージではできているんですけど、実際の体はスローモーションでできていない。例えば、自分ではキレイにスムーズに走っているつもりなんです。でも、ビデオ撮影した映像を確認すると、腕の振りかおかしかったり、イメージと体の動きのリズムが合っていなかったりして自分でもビックリするくらい恥ずかしい走り方をしていました。現実では、ドスドスしながら走っていて、でも自分の中ではキレイに走れているんです。あとは、体は重い感覚がありました。ずっと動いていなかったので、体がどう機能したらいいのかを忘れているというか、そんな感じですね。

——イメージはずっと妊娠前から継続しているけど、体が一度記憶を忘れてしまっていて慌てて動いているみたいな。

高木:そう、そんな感じです。ゴールキーパーとして立った時も「いつもここにいたら反応できてシュートを止められるのにダメだった」みたいなことは本当に多かったです。

——産後復帰にあたり、トレーナーと一緒にどんなメニューをこなしていったのですか? 「5分走って疲れていた」くらいなので、どんな段階を踏んだのか、と。

高木:まず、体重が増えたので減らしていくことが一つの目標でした。お腹の中に子どもが10カ月間いて、まったく力を入れずに過ごしていたので、体の中身のところから取り組まないといけないなと思っていました。また走ってみると思ったよりもヒザなどに負担がかかったので、バイクを5分、7分、10分という流れで徐々に時間を増やしながら少しずつ筋力を取り戻す作業をし、そこから走ることにつなげていきました。

体を動かす基礎を高めたことが痛みをなくした

——産後復帰の様子をテレビ番組で見た時に股関節か、骨盤かに力が入らないとコメントしていました。やはり子どもを生んだことによる体の変化からそういう状態になったんですか?

高木:何ていうんだろう……。引き締まりがない体というか、ドローンという感じで、「何をしても股関節が外れる」ではないですが、グラグラしているような感覚がありました。もともと痛みがあったのもありますけど。だから、「しっかりと股関節を絞めていかないといけない、体幹も鍛えていかないと競技復帰ができないよね」と思っていました。

——アスリートとしては上半身と下半身のバランスをつかさどる重要な部分です。

高木:私は何も考えずに妊娠期間を過ごしてしまったので、「体重やコンディションの管理が必要だったかな」と。少しでも何かに取り組んでいれば、もうちょっと競技復帰が早まったのかなとは感じました。

——バイクをしながら体の感覚を取り戻して、負荷が高いトレーニングを始められたのはどのくらいからですか?

高木:出産して5カ月目からクラブのトレーナーと一緒に産後復帰のプログラムを開始しました。3カ月間くらいは個人での体づくりです。自重でのスクワット、バーを持ったデッドリフトやスクワット、ハイクリーンなどはしていましたが、重さを上げていったのは6カ月目くらいからです。基礎力を上げるために徐々に負荷をかけていったのは出産して7カ月目くらいからですね。

——少しずつ負荷をかけていき、出産前と変わらない練習をできるようになったのはどのくらいの時期ですか?

高木:12月に出産して翌年5月から体を動かし始めたのですが、7月くらいまでは順調だったんです。基本的に息子と一緒にトレーニングに行っていました。寝返りを打つくらいでしたから。ただ8カ月目からは子どもが「ずりばい」を始めて行動範囲が広がったくらいからトレーニングに集中できなくなりました。だから、8月の1カ月くらいはまともにトレーニングができていません。

 それでクラブに相談したら、「三重にはファミリーサポートがあるよ」と教えてくれて、それを利用して子どもを預けることにしました。それが9月からなので、そこからは練習に週3回参加するようにしました。少しずつゴールキーパーに入るようになって、本格的にプレーができるようになってきたなという感覚を持ち始めたのは11カ月目くらいからですかね。

——そんな経緯が……。5月からスタートしているので、半年間くらい。

高木:昨年12月末の日本選手権を目標に復帰を目指していました。「焦らず、自分のペースでトレーニングをしていこう」というふうに考えていました。子どもを預けたり、育児をしたりしながらの復帰活動だったので、休みを入れたりしながら本当にクラブスタッフにいろんな理解をしてもらって続けることができました。そのおかげで「何とか試合に出場できる体をつくる」ことができました。ただ、あくまでベースとしての話です。

——トレーニングを積み重ねるなか、どんな気持ちで取り組んでいたのですか?

高木:実は、結婚する時もいろいろと批判的な声をかけられることがありました。「結婚してアスリートなんて続けられないよ」と言われていたので、私はそういう声に負けたくなくて、そのシーズンはベストパフォーマンスを発揮できました。だから、出産した時も「無理だよ」という声に負けたくなかった。

 もちろん精神的にきつい時もありましたけど、「本当にダメならやめよう。でも負けたくない」という気持ちが強くありました。試合には夫も子どもも見に来てくれましたし、私もそれを見るのが楽しくて、「よっしゃ、がんばろう」という姿を2人に見せたかった気持ちが強いです。

——結婚した時にそんな批判的な声が?

高木:男性から「競技は無理だよ」と言われたことがありますし、アスリート同士でも「よく結婚したね」とか「育児や家事をしながら競技を続けていくのは難しいよ」と言葉をかけられたこともあります。ただ実際に「両立しているか」と問われたら全然していないんですけど(笑)。スポーツに限らず、現実的には仕事でも女性が何かを続けることに対してマイナスなイメージは多いです。でも、このままの状態でも意味がないので、何かを成し遂げていけば何かが変わるし、「他の女性もがんばれるのかな」という思いもありました。

——もともとそういう価値観を持っていたのですか?

高木:小さい頃から「いろんなことに挑戦したい」タイプではありました。「いいな」「楽しいな」と思えば、まずやってみようと。まぁ何も考えずに行動するタイプとも言えますが(笑)。あと、最近はSNS上に、出産しても競技を続けている海外の女性アスリートがユニフォーム姿で子どもと一緒に撮った写真や動画を投稿している選手も多いです。そういうものを目にすると「私もユニホームを着て、子どもと一緒に写真に撮りたいな」と思ってはいて、何かに挑戦してみたい気持ちは持っていました。

——夫のサポートも大事だと思います。

高木:基本的に応援してくれます。でも、私自身が精神的につらそうな様子だと「休んだら」とサポートしてくれます。「こういう状態だったらこういうふうになるよね」と、冷静に導いてくれる感じです。どうしても私が突き進んでしまうタイプなので、それを抑えてくれることが多いです。

——本当に息子さんも含めて家族で産後復帰の道を歩いた感じですね。

高木:そうですね。試合の時も夫が面倒を見てくれるので、すごく理解されてサポートを受けています。少なからず夫自身もハンドボールをプレーしていた選手であることが大きいと思います。

実戦トレーニングに入ってからの“苦しみ”

——日本選手権に向けては順調に突き進んでいけたのですか?

高木:9月からチームに入って実戦トレーニングを始めて、1カ月くらいはいろんなことができた時期だったので、本当に新鮮なことが多くて楽しかったです。時間が限られているけど、できることをきっちりこなそうと出産前にも感じられなかったような疲労感があって心地よかったです。「日本選手権までに試合復帰したい」と時間を無駄にできなかったので、一日一日を大切にトレーニングしていました。

 ただ、2カ月目くらいからはイメージが先行し、それに体が追いつかないことを感じ始めました。正直、そのギャップに苦しみました。もっと基礎を上げていかないとイメージを実現化できないと、そこを高めるトレーニングをやっていきました。本来、チームにゴールキーパーが3人いて、全員で回してシーズンを戦えばいいと心に余裕がありましたが、1人がケガをしてしまって今シーズンは出場ができない状態になったので、もう1人と私とで戦っていくしかない状況になりました。途中から実戦的なトレーニングを積まざるをえないことになり、体が追いついていないので痛みが出たりとかはありました。

 12月の日本選手権後にも少し痛みがあったりして、実際にはかなり波がありました。練習も18時から21時半までトレーニングして、そこから息子を迎えに行って、交代勤務の夫とやりくりするのも大変でした。11月、12月の頃は気持ちとしては大丈夫だったのですが、身体的には疲労困憊な時期で、結果的に1月末に一度体調を崩してしまいました。一気に熱が上がって、嘔吐しました。1日で回復しましたが、監督に相談したら「やっぱり休みも必要だね」と少し休みを挟みながらリーグを戦っていきました。

——急に戦力としてプレーせざるをえない状況になって、自分自身のいい時のイメージと現実的に置かれた状態とのギャップに苦しんだのかなと想像します。

高木:練習が終わったあと、夫に「今日はこんなんだったんだよね」と話をすると、「過去にとらわれたらダメだよ。今やれることをきちんとやりな」と言われて「ああ、そうだよな。自分がやれることをやらないとな」と気持ちを切り替えて「明日はこれに集中してやろう」とは取り組んでいました。でも、試合を通してなかなか体が追いつかないことは感じていました。

——8月に息子さんを預ける場所が決まり、9月から夜の練習にも3回入る決断をしました。それまでは自分のペースで参加していたわけですね。

高木:夜の練習は行ける時に参加し、昼間にトレーニングをしたり。夫が午前中に家にいる時はその時間にジムに行ったりしてトレーニングを続けていました。9月に子どもを預ける場所が見つかったので、週3回だけ夜の練習に本格復帰をしました。もちろん急に全部のメニューをみんなと同じようにはこなせないので、体の様子を見ながらトレーニングをしていこうという話になりました。

——9月の本格復帰は身体的な状態が上がってきたから?

高木:瞬発的な動きも少しずつできるようになってきたので、無理のない程度にゴールキーパー練習も参加していましたが、9月に本格復帰してからも、最初は基本的に個人トレーニングです。基礎力をしっかりと高めながらゴールキーパー練習にちょこちょこ参加して「翌月はどうしようか」とトレーナーと模索しながら進めていました。その後、ある程度運動ができるベース、アスリートとしてプレーできる最低限のレベルに達したのでチーム練習にも参加しました。

——トレーナーからは、どう言われていたのですか?

高木:試合復帰は具体的に12月だと掲げていましたが、トレーナーも「あくまで目標だから自分のペースでやっていこう」と言い続けてくれました。「練習できる時とできない時があるだろうから、できる時にきちんと取り組めばいいから焦らなくてもいいよ」と精神的にも支えてくれました。当然トレーニングをすればできることも増えるので、少しずついろんなメニューを追加しながら強化を図っていった感じです。

実戦復帰で味わった“プレーすることの喜び”

——具体的にトレーニングのメニューはどのように追加していったのですか?

高木:ランニングも3分から始めました。トータル10分走るのですが、3分走って1分休むという流れでトータル10分になるように。それがトータル15分になり、インターバルまでの走りが5分と少しずつ負荷が上がっていく流れです。

——きちんと体を動かす筋力をつけてベースをつくり、チーム参加のタイミングでハンドボールという競技をプレーする上で必要な体づくりを行った。

高木:そういう流れでした。

——高木さんの中では順調に進んだのですか?

高木:順調でしたが、正直にいうと戦術面が絡むと追いつかない部分はありました。

——なるほど。

高木:もともとあった股関節の痛みがなくなったのは一番大きかったです。妊娠前からその股関節痛に悩まされていたので、出産後にケガなくシーズンを終えられたのはよかった。

——痛みの原因は何だったとお考えですか?

高木:体の基礎がうまくできていなかったのが大きかったと思います。産後復帰プロジェクトの中で基礎トレーニングの重要性に気づきました。

——日本選手権では、いつ頃に復帰されたのですか?

高木:12月24日からスタートで、25日の試合の後半に20分くらい出場しました。

——試合に出た時の気持ち、また自分のプレーの評価は?

高木:出場できたことは本当にうれしかったです。ただ集中力というか、ずっと状況を細かく分析しながら、ゴールキーパーとして局面で関わる時に力を発揮することをずっと継続することが難しいなと感じました。試合に慣れていかないといけないな、と。動けているなとは思っていても、ビデオで振り返ると動けていなかったり、いい準備ができていなかったり、そこが課題でした。

——試合勘みたいなもの?

高木:試合の流れで「ここを決められたら厳しいな」「ここを止めたら流れを取り戻せるな」というものは、実戦の中で起こる状況に対応していくことでしか取り戻せない部分です。

——練習でも、トレーニングマッチでも難しい?

高木:そうですね。難しいです。

——試合復帰は何試合くらいですか?

高木:新型コロナ(ウイルスの影響で)で2試合なくなったので、14試合です。

——14試合の内訳ですが、ずっと後半の一部ですか?

高木:1月の半ばくらいまでは出場時間を伸ばしていく流れで、途中出場を続けていました。2月の後半からはスタートから出場しています。その中でよいところも悪いところもありました。でも、負けた試合でも個人的によかった試合もありましたし、時間が経つほどコンディションも上がっていきました。

——闘争心といった部分はちゃんと出てきたのですか?

高木:やるからには出たいし、勝ちたい思いはありました。でも、夫に話をすると「そんなに甘くないよ」とたしなめられて、「まだまだそんなんじゃ試合には勝てないし、ゴールキーパーとしての責任も果たせないよ」と厳しい言葉をかけられていたので、「とにかく練習でがんばるしかない」と努力していました。ベンチにいても目的はチームが勝つことなので「この状況で何ができるのか」を考えて「後輩に声をかけるべきか」など1試合ごとに向き合ってやれることをやっていました。

 途中からだと「こんな感じかな」とイメージして準備できるのでリラックスして入れますが、やはりスタートから出ると緊張感が高いです。特に最初にスタートから出場した時はめちゃくちゃ緊張しましたね。2回目からはそれがわかっているのでコントロールして試合に入りました。もともとチームでメンタルトレーニングをずっと行っていたので「自分をどうコントロールするか」の部分は苦手ではなかったし、出産して心の折り合いをつける術も身につけたので、うまく試合に適応していけたとは思っています。

——今シーズン振り返って自分をどう評価していますか?

高木:ケガなくシーズンを終えたのはよかったです。でも、試合をすべて勝ち切れたかと言われると自分が出た試合でも全部勝ったわけではないですし、できなかったプレーもたくさんありました。応援してくれた人もいっぱいいましたので、その期待に応えられなかったのは選手として悔しいです。それを来シーズン、しっかり応えられるような選手にならないといけないなと決意を新たにしています。

<了>

PROFILE
高木エレナ(たかぎ・えれな)
1991年生まれ、福島県出身。三重バイオレットアイリス所属。日本体育大学進学後、2009年にU-20日本代表に選出。翌年には関東学生ハンドボール・秋季リーグで優秀新人賞を受賞し、女子ジュニア世界選手権(U-20)の日本代表に選ばれる。2011年に春季リーグで優秀選手賞、2012年に春季リーグで特別賞を受賞。2013年に日本ハンドボールリーグの三重バイオレットアイリスに入団。同年5月にU-22東アジア選手権の日本代表に選出される。2016年には日本代表に初選出。2017年8月に結婚を発表し、「高木エレナ」に登録名を変更。2018-19シーズンは産休のため、GKコーチに就任。昨シーズンはあらためて選手に復帰。

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