セリエA挑戦から20年…欧州移籍の先駆者カズが語った当時の苦難

4月10日(金)16時39分 サッカーキング

セリエA挑戦を振り返った三浦知良 [写真]=Getty Images

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 横浜FCに所属する元日本代表FW三浦知良が、11日に発売される『ワールドサッカーキング2015年5月 創刊10周年記念特別号 海外日本人プレーヤー 蹴球維新』内のインタビューにて、1994−95シーズンにプレーしたジェノア時代について語った。

 1994年、三浦はアジア人として初めてセリエAのピッチに立った。当時の移籍の経緯について「代理人だったマリオが2年くらい掛けてずっとアプローチを続けてくれて、イタリアのいろいろな関係者と会った。当時のユヴェントスのGMとも食事をしましたね。世界選抜の試合で向こうに行った時に、マリオがそういう機会を設けてくれた。とにかくいろいろな人を紹介してもらって、最終的にジェノアがレンタルという形で受け入れてくれることになった」と振り返り、1992年頃からイタリア挑戦に動いていたことを明かしている。

 イタリアと日本との距離感については、「日本人にとってイタリアはすごく身近な国になっていたと思うんです。でもイタリアからすると、日本はものすごく遠い国というか、異文化というか。僕らからしてみれば、パスタもエスプレッソもカプチーノもとても身近なものですけど、向こうからすると日本食はまだまだ浸透していない」と語り、日本人が思うよりも距離があったことを感じていたようだ。

 1995年のボスマン判決以降、ユーロ圏内の選手は外国人扱いを受けなくなり、現在は南米やアフリカ出身の選手でもユーロ圏の国との二重国籍であることが多い。しかし、三浦が移籍した当時はボスマン判決の前だったため、外国人枠の争いは現在より数段厳しいものだった。

 イタリア挑戦の難しさについては「僕がイタリアに行った頃は、オランダ人もスペイン人もポルトガル人もみんな外国人扱いでしたから。そこに日本人が入り込むというのはものすごく大変でした。ミランのマルコ・シモーネがインタビューで僕について『初めて携帯電話を持った時のような感覚だ』と言ってましたから。まるで宇宙人が来たみたいだって(笑)」と、強豪国の選手とも外国人枠を争った当時の苦労について語っている。

 また、ジェノアで迎えた最初の記者会見について「女性記者だったかな。『日本から来たあなたが、私たちに何を見せられるというのですか?』と質問された。その時に『ああ、セリエAに来たんだな』というのを実感しましたね(笑)」と、いきなり手厳しい質問をされたことが印象的だったと述べた。

 11日に発売される『ワールドサッカーキング2015年5月 創刊10周年記念特別号 海外日本人プレーヤー 蹴球維新』内のインタビュー内では、他にも当時のセリエAの選手が受けていた待遇やサポーターとの逸話、開幕戦で大けがを負った際の裏話などを語っている。

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