【特別連載】広島スタジアム問題のなぜ〜第1回 広島ビッグアーチが長らく抱え続けてきた問題点〜

4月10日(日)12時45分 サッカーキング

エディオンスタジアム広島に向かって歩くサポーター 。最寄り駅からは徒歩で約20分かかる [写真]=春木睦子

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 紛糾し続ける広島の新スタジアム建設問題。そのバックボーンにはいったい何があるのだろうか。

『サッカーキング』では、今回の新スタジアム建設問題に関する歴史的な背景を知ることで理解を深め、今後の方向性を明確にしていくために、広島在住でサンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』で編集長を務める中野和也氏に、「広島スタジアム問題のなぜ」というテーマで全5回の連載企画を依頼することにした。

 第1回はエディオンスタジアム広島(広島ビッグアーチ)が長らく抱え続けてきた問題点について。サンフレッチェ広島が新スタジアムを必要とするに至った経緯を確認していくことで、将来への道筋を開いていきたいと思う。

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 まず、個人的なことから書かせていただきたい。

 僕が初めて、スポーツのことを書いた記事を雑誌に掲載していただいたのが、1995年のこと。掲載誌は広島ローカルのスポーツ情報誌『アスリートマガジン(現広島アスリートマガジン)』だった。その時の記事タイトルが「憂鬱のシンボル、広島ビッグアーチ」。これには二つの意味があった。

 実はこの記事は、サンフレッチェ広島のことを書いたものではない。1995年5月21日に行われた日本代表対スコットランド代表の国際Aマッチが広島ビッグアーチ(現エディオンスタジアム広島)で行われた時のルポルタージュ。「憂鬱」の意味は、一つが試合内容のこと。これには今回は触れない。そしてもう一つが、スタジアムそのものについての内容だった。当時の記事を引用してみよう。

「永遠に止むことはないのかと思えるほどのしつこい雨のため、ビニールのポンチョはほとんど用をなさなくなり、冷たい雨が染みてくる。スタンド下の通路に入れば雨もしのげるのだが、そこはすでに人で溢れている。なぜSA席5000円という高価なチケット代を払って、ずぶぬれにならなければいけないのか。梅雨が存在する日本で、また天候が変わりやすい山合いにあるビッグアーチで、なぜ屋根付きスタジアムをプランニングできなかったのだろうか」

「雨は、ゲーム終了後ますます激しさを増した。傘の花で鈴なりになっているシャトルバス乗り場で、土砂降りとなってきた雨の中をたたずむこと、1時間。バスに乗り込んだ時は心身ともに冷え切って、口をきくことすら億劫になっていた。しかも、僕たちがバスに乗った後もまだ数千人がバスを待ち続けている」

 つまり、当時の広島ビッグアーチは完成してまだ3年という“新しいスタジアム”であったはずなのに、観客目線としてはすでに不満が存在していた。だから、こんな記事が成立したのである。

 例えば、広島市中心部からのアクセスが良かったら、スタジアムでずぶ濡れになっても逃げ場はある。雨の中で1時間以上もバスを待つことはない。だが、広島ビッグアーチはアストラムラインという新交通システムで市内中心部から約40分、シャトルバスなら渋滞なしで約30分程度を要するが、ほぼ一本道のアクセスしか存在しないこのスタジアム周辺は、試合がなくても渋滞が発生している。2万5000人の観衆が集まった試合後の道路は当然のようにクルマで溢れ、道は機能不全に陥った。かつて4万人を超える観客が集まったJリーグブームの時は、キックオフに間に合わない人が続出したこともある。

 スタジアムに屋根が掛けられていたら、ずぶ濡れになって観戦することがない。当時、例えば千葉マリンスタジアム(現QVCマリンフィールド)などはスタンドにしっかりと屋根が設置されていたのだが、“最新”だったはずのこのスタジアムには、申し訳なさそうに見えるほど小さな屋根がメインスタンドについているだけ。しかもスタンドの上部しかカバーしきれないから、高価なSS席を購入している観客もずぶ濡れ。記者席も前半分の机はやはり雨にさらされ、パソコンはもちろん、メモを取ることもできない。



 それでもまだ、サッカースタジアムであれば、プレーの臨場感や迫力が雨を忘れさせてくれたのかもしれない。だが、上空から見た時の形が真円になるような「こだわり」のデザインを具現化した広島ビッグアーチのスタンドの傾斜はなだらかで、バックスタンド上段からは、目の前で行われているサッカーの国際試合がまるで他人事のように感じられ、引き込まれる空気感を醸しだしづらい。陸上トラックがあるという以上の「遠さ」を感じてしまう。

 つまり、広島ビッグアーチというスタジアムは結果として、「スポーツを見る」という文化をまるで無視したような設計になっている。その実感は、記者としてこのスタジアムに足繁く通うようになった後、さらに強く心に刻まれるようになった。

 まず、アクセス。それは広島市内中央部から最寄りの駅、あるいはシャトルバスによる距離の遠さだけではない。アストラムライン「広域公園前」駅に降りた後、サポーターは長くダラダラと続く坂を歩いて登らねばならない。ビッグアーチの正面に辿り着くまで、健脚でも10分。普通なら20分はかかる。埼玉スタジアムの浦和美園駅からスタジアムまでの歩道が登り坂となっているイメージを持ってもらえば、分かりやすいかもしれない。

 シャトルバスに乗れば少しは坂の距離が軽減されるが、それでも半分になるだけ。厳しい登り坂が続くことは変わらない。若くて健脚の持ち主であればいいが、年齢を積み重ねたり、ケガを負っていたりする人にとっては、まさに苦行である。J1のスタジアムで、最寄り駅・最寄りバス停・シャトルバス降り場からこれほどの坂道をサポーターに歩かせるスタジアムは、エディオンスタジアム広島だけだ。



 大量のサポーターを飲み込むバックスタンドへのアクセスは、メイン左方向にあるホームゴール裏スタンドとの共用入口から向かうか、メインとは逆側の入口か、どちらかしかない。だが、アストラムラインやシャトルバスでやってきたサポーターはメイン左から入るしかないため、入場手続きが一気にさばけない。3万人超えを果たした昨シーズンのセカンドステージ最終節の湘南ベルマーレ戦では、入場まで何時間も待たされたあげく、キックオフに間に合わなかったサポーターが続出した。

 スタジアムの設備も厳しい。メインスタンドにはエレベータが1基しかなく、車いすのお客様と業者の荷物搬入、報道用の機材搬入などが、その1基に集約されるため、混雑することこの上ない。場内には常設のレストランやグルメスタンドがなく(メインスタンド下にレストランが1つあるだけ)、スタジアムグルメはメインスタンド前のおまつり広場に設置された仮設テント、もしくはバックスタンド裏にある屋台で提供するしかない。保健所の指導が厳しいこともあり、提供できるメニューやバリエーションには限界がある。

 マツダスタジアムは試合中に雨が降ればコンコースに避難し、そこから試合を見ることも可能だが、広島ビッグアーチはコンコースからピッチは見えない。メインとバックのスタンドは完全に分断され、自由に周遊することも叶わない。そして洋式トイレ数の乏しさは屋根以上の問題で、クラブライセンス制度の審査で常に罰則対象となっている。

 実は広島広域公園には、サッカースタジアムがないわけではない。第1球技場はサッカーやラグビーなどの球技専用スタジアムで公称1万人の収容人員を誇る。だが、実際はバックスタンドとゴール裏のスタンドは貧弱で、小さな芝生席があるだけ。屋根も当然メインスタンドだけであり、それも一部にしか架設されていない。J1どころか、J2スタジアムの基準も満たしていないのである。

 二度にわたるJ1昇格、そしてリーグ優勝でも二度の舞台となるなど、エディオンスタジアム広島には歴史がある。にも関わらず、サポーターの多くが強く“広島市中心部”でのサッカースタジアム建設を望む(サンフレッチェ広島がサッカースタジアム建設に向けて40万人もの署名を集めた事実は、その証)のは、今の広域公園におけるスタジアムが、現実的に快適な空間と化していないことが大きな要因だ。それがそのまま、クラブの観客動員の苦戦にもつながっている。

 広島東洋カープが長年本拠地としていた旧広島市民球場も、カープが優勝していた頃(1975年が初優勝、1991年が最後のリーグ優勝)から老朽化が目立っていた。ベンチには穴が開き、トイレへ行くにも難しいほどの通路の狭さなど、挙げればキリがない。広島市のど真ん中にある立地でありながら、2003年には1試合平均1万3514人というレベルの入場者数しか達成できなかった。実は優勝した1986年も1万6553人にとどまっていた事実もある。サンフレッチェ広島がリーグ王者に輝いた昨年は平均1万6382人。“ミスター・カープ”と呼ばれた山本浩二が監督としての初優勝を果たした1991年は1万8484人。一方、サンフレッチェが初優勝を果たした2012年は1万7720人。つまり、試合の多寡の問題があって総入場者数では桁が違うが、平均でならせば旧市民球場時代のカープとサンフレッチェの現状では、それほど大きな差はないのである。「まず、エディオンスタジアム広島を満員にしてからスタジアムの議論を」と言う向きもあるが、広島広域公園の現状とカープとの比較データを見ていけば、サンフレッチェがスタジアムを求める資格を有することは分かるだろう。その立地条件を考えれば、十分に健闘しているとも言える。



 昨年のカープがリーグ4位ながら平均2万9772人もの観客動員を記録したのは、「カープ女子」や「黒田復帰」という話題も大きかったが、そのベースに日本一と言っていい観戦環境を誇るマツダスタジアムがあるからだ。実際、2009年のマツダスタジアム開場以来、平均2万人を割った年は一度もない。広島市民球場時代には1979〜80年の2年連続日本一を成し遂げた2年間しか、平均2万人超えはなかったのに。

 サンフレッチェが広島市民、県民の関心事であることは、昨年の明治安田生命Jリーグチャンピオンシップでの広島地区視聴率が35.1パーセント(瞬間最高は44.1パーセント)だったことも証明する。この数字はカープのクライマックスシリーズ出場を懸けた昨季最終戦の44.1パーセントには及ばなかったものの、開幕戦の35.1パーセントと並ぶもの。カープは広島人にとってのDNA的な存在だが、サンフレッチェもまた財産であるという認識を、広島の人々は持っているのだ。ちなみに、FIFAクラブワールドカップの視聴率も広島地区は高く、準決勝のリーベル・プレート(アルゼンチン)戦は29.4パーセント(瞬間最高は39.9パーセント)だった。



 サンフレッチェ広島は1992年のクラブ創設以来、二度の降格を経験した。経営危機もあった。そして今、4年で三度の優勝という栄華を迎えた。昨年末のチャンピオンシップでは、3万6606人のサポーターがエディオンスタジアム広島を埋め尽くす状況も迎えた。だが、せっかくの日本一を獲得した後、サポーターは強烈な渋滞に巻き込まれ、シャトルバスにもなかなか乗れない事態に陥った。街中まで戻った時には最終バスや終電がとっくに出発してしまっていた人も、決して少なくはなかった。

 そういうサポーター=広島県民・市民のために、少しでも素晴らしい観戦環境を提供したい。アクセスのいい、雨が降っても濡れない、そして臨場感に満ちた“劇場”を提供したい。そしてその“劇場”が、広島の街により大きく貢献できる形を模索したい。サンフレッチェ広島がそう考えるのは、自然なことだろう。もし、広島広域公園が快適な場所であれば、そこに素晴らしいスタジアムがあり、アクセスも日々改善されていたならば、今の広島を覆う“サッカースタジアム問題”は起き得なかった。

 だが、現実はそうではない。なぜなのか。それは、広島が抱える都市計画問題と決して無縁ではないのである。

(「第2回 広島における都市計画失敗の歴史」に続く)

文=中野和也(紫熊倶楽部)

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