川崎宗則、「想像超える挑戦」の裏側 恩師が語る素顔と生き様

4月11日(月)12時12分 フルカウント

川崎はなぜ米国でプレーし続けるのか、森脇浩司氏が語る教え子の生き様とは

 今季カブスとマイナー契約を結んだ川崎宗則内野手が5年連続でメジャー昇格をつかんだ。スプリングキャンプではチーム最高打率を残したものの、一時契約解除となり、マイナー再契約。それでも開幕直後にカイル・シュワーバー外野手の負傷離脱を受けて昇格となると、10日(日本時間11日)のダイヤモンドバックス戦では代打で今季初出場。初安打初盗塁で早速、存在感を示した。

 渡米5年目で通算263試合に出場。マイナーでのプレーも多く、昨季はブルージェイズで23試合の出場にとどまった。それでも今年35歳を迎えるベテラン内野手は米球界でのプレーを選択し、メジャーとマイナーを行き来する過酷な環境で戦い続けている。その内に秘めるもの、目指すものは何なのか。なぜ米国でのプレーにこだわり続けるのか。ホークス時代に指導し、今も深い師弟関係が続く前オリックス監督の森脇浩司氏に語ってもらった。

今年は「グルテンフリー」も導入、向上心、好奇心、探求心に磨きがかかる川崎

 ムネがメジャーに昇格したのを知っても驚きはしなかった。むしろ、早々にそのチャンスは巡ってくると思っていた。彼が1999年にドラフト4位でダイエーに入団してからコーチと選手として多くの時間を過ごした。毎年シーズンが終わると必ず福岡で食事をする機会を設けてお互いを高め合っている。今年もキャンプに行く直前に馬原と3人で食事をした。彼らがホークスでプレーをした時は優勝を義務付けられた時だった。彼らは中心選手として、また野球人として見事にその役割を果たしてくれた。

 つたえ歩きから第一次反抗期、そして思春期、挫折を経て成人となった歩みを共有したからこそ感慨深くもあり、思い出話にも花が咲き、まさに我が子との時間である。

 今年はオリックスの改革に挑んだ私に質問が集中した。日々変化、日々成長と自己改革をいつも求めている彼には興味深かったのだろう。そして、昨年学んだこと、今年のビジョン、更には将来のビジョンまで語ってくれた数時間は瞬く間に過ぎた。「どんなことがあっても森脇さんは歩みを止めない。僕も負けずに歩み続けますよ」と彼の武器でもある強い向上心、好奇心、探求心には益々磨きがかかっていた。

 今年で35歳を迎える年齢で日本、アメリカでもキャリアを積んできた。それでもムネは変化、挑戦することを恐れない。今年はテニスのジョコビッチが小麦粉を含む食べ物を一切摂取しない「グルテンフリー」でコンディショ二ングが良くなり成績が向上したので早速取り入れているとのこと。得意げに話す屈託のない表情は昔のままだ。

プロ入り直後に恩師と交わした約束、「僕に失敗はありません」の意味

 入団当時はスピードはあったが、線が細くてホークスの練習にはとてもついていけない状態だった。試合には出ていたが、他チームの編成の方々の見方は1軍半が精一杯だろうというものが大方だった。

「森脇さんは僕のことをどう思いますか」

 最初にそう相談を受けたのはその時期だったのを鮮明に覚えている。そして簡単な一つの約束を交わした。

「試合でも練習でも1球に悔いを残さない、不公平な世界に身を置いている、平等に与えられている時間を有効に使うこと」

 それからというもの、浴びるぐらいのノックを受け、実際に倒れても弱音を吐くことはなかった。時々見に来られては心配されている御両親の姿が辛かったのも今は良い思い出の一つである。

 日本でもアメリカでも、メジャーであろうとマイナーであろうとも、いかなる状況、環境でも1球1球、その瞬間に真摯に向き合い準備も含め最善を尽くす彼のプレースタイルが変わることはありえない。彼が成長していくプロセスは皆さんが存じておられる通りだ。

 米国でも明るいキャラクターで選手、ファン、マスコミと全ての人から愛されている。面白可笑しな言動など少しプレーとは違ったところで注目を集めているが、それも彼の計算であり、彼自身なのだ。メジャーに挑戦した1年目は言葉、文化の違いに戸惑い円形脱毛症にもなった。その年のオフシーズンに食事をした時、「僕も繊細なんですね、1年目になっていて良かったです。ただ、あの時の練習の方がしんどかったからアメリカでも やっていけます」と、あくまでもポジティブだった。

「楽しむとは苦楽を味わうこと。これからの時間こそ目を背けることなく味わっていこう」

 これは彼が1軍デビューの時に私が投げかけた言葉だった。そして、ムネは更に付け加えた。「上手くいかないことが多く苦しいけど味わっているから先に繋がるっていくし、楽しいです。僕に失敗はありません」と。「心配はいらない、しばらくは帰って来ないよ」というメッセージだったのだ。

イチローも「もう誰にも止めることは出来ない」、イ・ボミとの共通点も

 日本でトッププレーヤーになって裸一貫でメジャーに挑戦する際には心配したものだ。私がホークスを退団した翌年の2010年。セントルイスで行われたマリナーズとカージナルスの交流戦を見に行った時にイチローと話す機会があり、「ムネはメジャーでどうだろうか?」と尋ねると彼はこう答えてくれた。

「日本人選手はアメリカに来るにあたって、これまでの経験の中で断念したり、当然のように計算します。ムネはやれるかどうかではなく、こっちでやりたい。その一心です。そうなればもう誰にも止めることは出来ないでしょう」と。

 成功するか失敗するか——。その次元ではなかったのだ。たとえ失敗してもまた一からやり直して必ず自分の夢を掴み取る。今はそれがたまたま野球というだけである。この思いを持ち続けて突き進む。ある意味、無謀と思えるこの挑戦には想像を超えるものがある。華々しい過去、地位も名声も、大金までも清算してのものだったのだ。

 当初のサポーターは奥様と愛息、そしてスカイプで話す御両親。ところが今は逢う人全てを味方にしてしまう勢いだ。

 余談になるが女子プロゴルファーのイ・ボミ選手のインタビューは全て日本語である。人間性も素晴らしく日本の文化、習慣を最も学びたいと思い実行した選手で、その謙虚さこそが彼女のプレーを支え、人気の要因ではないだろうか。

 やはり、ムネとシルエットが重なる。人が何を望んでいるのか、本当の自分は何を望んでいるか、そこから答えを出し、自分の信じた道を邁進する。これが彼の生き方であり生き様なのだ。「ゴールはなし、全てのラインがスタート」「逆境でこそ真価が問われる」が2人の合言葉だった。

 もう心配はすまい。倒れそうになった時は頭を打たないように手を差し伸べる準備だけをして後方から見守るのみ。また、私の挑戦がモチべーションだと彼は言う。21歳下の教え子に負けないように現場復帰、また心理カウンセラーを目指し、ボランティア活動にも積極的に取り組んで野球界、スポーツ界に少しでも貢献出来ればと思っている。ムネをはじめホークスの多くの選手、巨人、オリックスでも沢山の選手とご縁を頂いた。彼らに恩返ししたい一念である。

 荒波に飛び込んだムネの変化、成長は加速を増すばかりだ。昨今の社会はグローバル化が進んでいる。若者に何を求めているか。それは消極的な安定志向ではなく、今まで以上に、積極的かつ旺盛なチャレンジ精神、向上心、バイタリティーを持つ人を求めているという。

 ムネはアメリカでは人が羨むほどの成績は残していないかもしれない。しかし、彼の生き方、精神こそが今の若い人たちに参考になるものと信じたいし、変化の速度が鈍る年齢の私には絶好の鏡なのだ。今後もあくなき向上心、探求心、チャレンジ精神を体現し、子どもたちに夢と希望を与え続けてくれると確信している。

◇森脇浩司(もりわき・ひろし)
 
1960年8月6日、兵庫・西脇市出身。55歳。現役時代は近鉄、広島、南海でプレー。ダイエー、ソフトバンクでコーチや2軍監督を歴任し、06年には胃がんの手術を受けた王監督の代行を務めた。11年に巨人の2軍内野守備走塁コーチ。12年からオリックスでチーフ野手兼内野守備走塁コーチを務め、同年9月に岡田監督の休養に伴い代行監督として指揮し、翌年に監督就任。監督通算成績は341試合202勝193敗11分け。勝率5割5分1厘。178センチ、78キロ。右投右打。

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