名将か否か、日本代表・西野新監督の5つの軌跡。マイアミの奇跡、G大阪黄金期。近年は・・・【編集部フォーカス】

4月12日(木)11時15分 フットボールチャンネル

マイアミの奇跡

 ヴァイッド・ハリルホジッチ氏が日本代表監督を解任され、西野朗氏が新たに指揮を執ることとなった。ロシアワールドカップまで約2ヶ月という状況で、どのようにしてチームを束ねていくのか注目される。今回Fチャン編集部では、栄光も挫折も経験した西野朗新監督の指導者としてのキャリアを振り返る。

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西野朗(にしの・あきら)

 1955年4月7日生まれ。現役時代は攻撃的MFとして活躍し、早稲田大学在学中に日本代表に初選出。日本サッカーリーグでもプレーし、1990年に現役引退。翌年にU-20日本代表監督に就任し、1996年には28年ぶりとなる五輪出場に導いた。

 この年に行われたアトランタ五輪では、ロナウド、ロベルト・カルロス、リバウドらを擁するブラジルから大金星を挙げた。日本サッカー史に輝くこの1勝は、『マイアミの奇跡』として語り継がれている。

G大阪でクラブ史上初のJ1制覇

 1998年から2001年まで指揮を執った柏レイソルではナビスコカップ(現ルヴァンカップ)優勝を経験した。

 そして、2002年にはガンバ大阪の監督に就任。2005年には遠藤保仁、二川孝広、アラウージョらを擁する超攻撃的なサッカーで、クラブ史上初となるJ1優勝を達成。西野監督としても初めてのリーグ制覇となった。また、2007年にはナビスコカップ優勝を果たしており、名将への階段を着々と上っていくことになる。

ACL制覇、マンUとの打ち合い

 G大阪は国際舞台においても存在感を示していく。2008年、AFCチャンピオンズリーグ初優勝を飾り、西野監督はアジア年間最優秀監督賞を受賞した。

 J1はシーズン中盤に失速し8位に終わったが、その年の12月に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップでは世界のトップと激闘を繰り広げる。準決勝では欧州王者のマンチェスター・ユナイテッドと対戦。5失点を喫したが、G大阪も3点を奪うなど打ち合いを演じて見せた。

神戸で経験した途中就任、途中解任

 2011年シーズン限りでG大阪の監督を退いた。西野氏の新天地はヴィッセル神戸だった。2012年シーズン開幕後の5月、不調に陥っていた神戸の監督に就任。チームの立て直しと強化が期待されたが、思うような結果は得られなかった。

 J1第31節終了時点で獲得した勝ち点は36。15位と低迷していた。降格の危機に瀕したチームを浮上させられぬまま、残り3試合を残しての解任となった。神戸はこの年、16位でフィニッシュ。J2降格となった。

名古屋でも振るわず

 2014年シーズン、西野氏は名古屋グランパス監督に就任。開幕からなかなか勝ち星を伸ばせず、シーズン中の補強も敢行したが、結局10位で終えることになった。翌年も降格とは無縁だったが、優勝争いにも絡めず9位でのフィニッシュとなった。このシーズンをもって退任となった。

 2016年から日本サッカー協会の技術委員長に就任。そして今回、ハリルホジッチ前監督の解任に伴い、ロシアワールドカップまで約2ヶ月というタイミングで日本代表の指揮を執ることになった。

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