「菊池、誠也に感謝している」元広島メヒアが語るチームメイトとの秘話、カープアカデミーでの心構えも

2023年4月16日(日)6時0分 ココカラネクスト

メヒアは広島退団後、1年間メキシコでプレーした。(C)CoCoKARAnext

 ドミニカのカープアカデミー出身で、2016年から2021年まで広島東洋カープでプレーした、アレハンドロ・メヒア。育成契約から這い上がり、日本シリーズにまで出場した育成助っ人に、カープでの思い出や日本で成功するためのモチベーションを聞いた。

 カープアカデミーは、広島東洋カープが1990年にドミニカ共和国に開校した野球選手の育成組織。MLBで盗塁王や40ー40(40本塁打40盗塁)を記録したアルフォンソ・ソリアーノなども輩出し、現在も大谷翔平に並ぶ当時日本球界最速の165キロを記録したロベルト・コルニエルや、トライアウトで巨人に入団したメルセデス(現ロッテ)らがNPBで活躍している。メヒアは2013年にカープアカデミーに入り、2015年秋に練習生として広島に加入した。

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「アカデミーの環境は良くも悪くもないですが、メンタルはポジティブに持っておかないと、アカデミーで生活を送るのは難しいですね。自分と同期のサビエル・バティスタは、日本でやりたいという強い気持ちを持って毎日練習に臨んでいました。スタッフの方々にも色々と教えてもらい、2016年には日本で戦うチャンスをいただきました。カープアカデミーでは、10数年ぶりにドミニカの野手2人(メヒア、バティスタ)が広島と契約することになりましたが、それから段々とNPBにカープアカデミー出身の素晴らしい選手が増えてきていると思いますね。アカデミーで過ごした2年間は、自分の成長にも繋がりましたし、NPBへの道を開いてくれました」

 メヒアとバティスタは秋季キャンプで能力をアピールし、2016年に育成選手として契約。2017年には二軍で最多本塁打、最多打点を叩き出し、同年に支配下登録を勝ち取った。二軍で日本式の練習に明け暮れ、日本語でコミュニケーションを取りながら掴んだ一軍の舞台。2018年は開幕を一軍で迎え、カープのセ・リーグ3連覇に貢献し、日本シリーズにも出場した。

「カープは当時セ・リーグの王者で、素晴らしいチームでした。野球や日本語、チームメイトからはたくさんのことを学びました」

 2019年からは一塁のほか三塁手にも挑戦して出場の機会を増やすと、56試合で7本塁打を放った。躍進の陰には、広島が誇る守備職人の存在がある。

「自分は日本に来た時はあまり守備が良くなかったのですが、3年目くらいからサードを守るようになって、菊池(涼介)の教えを受けてある程度の守備も良くなりました。菊池は先輩でしたが、とても仲良くしてもらいました。彼はリーダー的な存在でしたね。彼のおかげで守備が良くなったので、感謝しています」

 2020年の開幕戦は、4番・鈴木誠也(カブス)、5番メヒアのクリーンナップで迎えた。同世代かつ同じ右投げ右打ちの強打者として、多くの刺激を得たという。

「誠也とはチームメイトであり、友達の関係でした。(インタビューの)一週間ほど前にも電話で話しましたし、今でも連絡し合う間柄ですね。年齢は自分が1歳上だけど、誠也は日本の中心選手として自分より長くやっている選手なので、リスペクトし合っていました。誠也とはルーティンが一緒で、日本人はあまりやらないウエイトトレーニングをしたり、バッティングを一緒にやったり、たくさんの練習を共にやってきました。彼に色々とアドバイスを求めましたし、いろんなことを教えてくれました。誠也にはとても感謝しています」

 チームメイトやファンに惜しまれつつも、メヒアは2021年シーズン限りで広島を退団。2022年からは活躍の場をメキシカンリーグに移した。NPB、メキシカンリーグでの経験をこう振り返る。

「広島退団後は1年間メキシコでプレーしていました。メキシコのレベルも上がっていて、NPBでの経験はとてもためになりました。広島から学んだことは自分の野球人生の財産になっています。アリガトウゴザイマシタ。マタネ」

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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