「いつか日本に恩返しを」“広島愛”溢れるディアスが実現を目指す夢とは?新井監督との”事件”も回想「前田さんと金本さんにすごく怒られていた(笑)」【後編】

2024年4月17日(水)18時0分 ココカラネクスト

ディアス氏にとっても新井監督との思い出は印象深いようだ(C)産経新聞社、左は本人提供写真

 エディ・ディアスは1999年から2002年まで4シーズンにわたり広島カープでプレーし、記録と記憶に残る助っ人として活躍した。現在は母国ベネズエラで指導者として活動しているディアスは、いずれ日本でコーチをするという大きな夢を抱いており、自分の経験を日本の選手に伝えることで「恩返し」をしたいと語る。

【画像】ディアスの自宅に飾っている広島時代の写真

 その日本での現役当時、「楽しい思い出ばかり」と振り返るディアスは、チームメイトとして過ごした新井貴浩現監督とのエピソードを楽しそうに話してくれた。来日初年度、ディアスの打球がスタンドに入りホームランだったはずが、ランナーで出塁していた新井監督がなぜか逆戻りし、ディアスが追い越してしまうという有名なハプニングを笑い声と共に回想した。

「あの出来事の後、新井さんは、前田(智徳)さんと金本(知憲)さんにすごく怒られていました(笑)。その姿をみた時、すごく可笑しくて笑ってしまいました。僕も打った後、彼が自分に向かってくるのが見えて、『なんでこっちに戻ってくるの?ホームは向こうだよ』と思ったんです。新井さんはそういうエピソードが多かったですね。自分より年下の新井さんはいつも、『ディアスさん、ディアスさん』と声をかけてきてくれて、日本語も色々と教えてくれましたし、一番仲の良かったチームメイトだったと思っています」

 広島加入から3年目の2001年にはベストナインにも選出される等、リーグを代表するまでの活躍をみせた。当時、対戦相手で最も印象に残った投手の名前も聞いてみた。

「ヤクルトの石井(一久)さんですね。彼はいつも真っすぐで勝負してきました。自分が三振に打ち取られた時でも、決して派手なガッツポーズなどもみせず、選手としても人間としてもリスペクトしていました。何度も対戦し、石井さんもきっとそう思っていてくれたと感じました。彼がメジャーに行く直前には、1試合で2本のホームランを打てたこともいい思い出です。僕はメジャーで対戦した中ではランディ・ジョンソンが最高の投手だと思いましたが、日本では石井さんが強く印象に残っています」

 ディアスが日本を離れてから20年以上が過ぎた現在、新井現監督以外でも、後に指導者やメジャーリーガーなど、広島在籍当時の多くの仲間が豊かなキャリアを歩んでいる。その点についても感慨深そうに言葉を紡いだ。

「以前、新井さんの監督就任をニュースで知った時には本当に嬉しく思いました。あの若かった選手が、と(笑)。また今でも、自宅の部屋には当時みんなで撮った写真も飾っており、常にカープの試合結果なども気にしていました。金本さんや緒方(孝市)さん、前田さんや黒田(博樹)さんなど、当時の仲間たちの活躍ぶりも知っています。お世話になった皆さんのことは忘れていませんし、『ベネズエラにも仲間がいるよ』と伝えたいです」

 現在、多くの日本人選手が海を渡りメジャーでプレーする時代が訪れていることからも、ディアスは日本野球を「MLBと同じレベル」と評している。そして、その歴史の中に自身の名前も残すことが出来たと喜んでおり、また、今後日本で指導者として活動する夢を実現させたいと熱く語る。

「日本のレベルは世界ナンバー1だと思います。WBCなどでも証明してくれました。その日本でプレーできたことは本当に光栄に感じていますし、あの4年間はこれからも最高の思い出です。自分の経験をぜひ、日本の若い選手たちに伝えられたら素晴らしいと思っています。いつでも、どの球団でも、声をかけていただけたら、すぐに日本に行きます」

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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