清水が連れてくるも他Jクラブ移籍後にブレークした外国籍選手5選
2025年4月17日(木)19時0分 FOOTBALL TRIBE

J1清水エスパルスで背番号「10」を背負い5シーズン在籍したFWカルリーニョス・ジュニオが、今2025シーズン開幕前日の2月14日に電撃移籍したJ2ジェフユナイテッド市原・千葉で、5試合3得点(第9節終了時点)の活躍を見せている。
また、2023シーズンまでの3シーズン清水に在籍し、2022シーズンにはチームがJ2降格した一方14ゴールを挙げJ1得点王に輝いたFWチアゴ・サンタナは、2024シーズン浦和レッズに移籍し12得点を挙げ、今季も開幕戦から第9節までスタメン出場を続け、3得点を記録している。
彼らはブラジル人選手ながら、欧州経由で清水入りした外国籍選手だが、Jリーグにもすぐに対応し成功を収めた選手だ。
一方で、清水を足掛かりに他クラブへ”ステップアップ”し、成功を手にした外国籍選手も数多くいる。ここではそんな選手にスポットを当て、なぜ清水で活躍できなかったのか、なぜ他クラブで成功したのか、などについて検証したい。

アラウージョ(清水在籍:2004)
1997-2003シーズンにわたってブラジルリーグのゴイアスECで活躍し、1999年にはU-23ブラジル代表にも選出されたFWアラウージョ。初の海外挑戦の場にJリーグを選び、2004年、清水のユニフォームに袖を通した。
この報を聞いた前年J1得点王のブラジル人FWウェズレイ(当時名古屋グランパス)は「あんな凄い選手がJリーグに!」と驚いたという。
しかし、2004シーズンから名古屋に就任したアントニーニョ監督(2021年死去)は、ファーストステージ11位という結果しか残せずに辞任。アラウージョはチーム最多の8ゴールと独り気を吐くも、ヘッドコーチから昇格した後任の石崎信弘監督(現ヴァンラーレ八戸監督)は彼を“戦力外扱い”し、韓国U-23代表として、アテネ五輪で活躍したFWチョ・ジェジン(2011年引退)を好んで起用した。
しかし石崎監督の元で清水が披露するサッカーは、長身のチョ・ジェジン目掛けてロングボールを蹴り込むだけの退屈極まりないもので、セカンドステージも14位(年間14位)に終わり、最終節でJ1残留を決める有り様だった。地元紙の静岡新聞に「石崎監督続投」を報じられると、サポーターは一斉に反発。同監督はホームゲーム最終戦後の挨拶も拒否し、逃げるようにクラブを後にした。
当のアラウージョには当然ながら、他のJ1クラブからのオファーが届く。そこから彼が選んだのは、西野朗監督が率い攻撃サッカーを展開していたガンバ大阪だ。背番号「9」を背負い、本来の決定力を存分に発揮し、33ゴールで得点王とMVPに輝き、G大阪をリーグ初優勝に導いた。
この活躍が認められ、2006シーズンには母国の名門クルゼイロ(2006-2007)、カタール・スターズリーグのアル・ガラファ(2007-2011)などを渡り歩き、特にアル・ガラファでは4シーズンで計101ゴールを記録した。
清水のスカウティングに狂いはなかったが、いかんせん当時の清水は、代表歴のあるMF澤登正朗、MF伊東輝悦、MF戸田和幸、DF斉藤俊秀、DF森岡隆三らがキャリアの晩年に差し掛かり、若手も思うように伸びてこない端境期にあった上、監督人事も失敗するなど、新入団の外国籍選手にとっては不憫な境遇だったといえるだろう。

安貞桓(清水在籍:2002-2003)
なぜ韓国サッカー界のアイドルだったFW安貞桓(アン・ジョンファン)が清水に来ることになったのか。それは、2002W杯日韓大会において韓国代表のエースとして出場した安貞桓が、後にバイロン・モレノ主審の不可解な判定などを含め、サッカー界の歴史に残る“一大スキャンダル”となった決勝トーナメント1回戦のイタリア代表戦で、ゴールデンゴールを決めたことが発端だ。
これに激怒したのが、当時安貞桓が所属していたセリエAペルージャのルチアーノ・ガウッチ会長(2020年死去)だった。元日本代表MF中田英寿の獲得を成功に導き、馬主としてもたった約65万円でトニービンを購入し、イタリア馬として27年ぶりとなる競馬界最高のG1レース・凱旋門賞制覇を成し遂げ、引退後は日本で種牡馬として9頭ものG1ホースを輩出するなど、“目利き”として知られる名物オーナーである。
ガウッチ会長は安貞桓を裏切り者呼ばわりし、即、契約を解除。元々、Kリーグ釜山アイコンズからのレンタル移籍だったため欧州クラブへの移籍を模索するが、W杯での活躍によって移籍金は跳ね上がり、オファーするクラブが現れなかった。そこで、パチンコメーカーのフィールズ株式会社の子会社のプロフェッショナル・マネージメント株式会社がペルージャと釜山双方に金銭を支払い、保有権を買い取る形で日本上陸を果たしたのだ。
清水では即、レギュラーポジションを奪取した安貞桓。ヤマザキナビスコカップ(現ルヴァン杯)では2年連続4強に進出し、第1回ACL(AFCチャンピオンズリーグ)にも出場し3ゴールを記録(清水はグループリーグ敗退)。しかしリーグ戦では中位に留まり優勝戦線に絡むことはなかった。
そして1年半の所属後、2004シーズンに横浜F・マリノスへ完全移籍。終盤4試合で4試合連続ゴールするなど、2003シーズンに続くJ1連覇に大きく貢献した。
清水と横浜FMで通算97試合47ゴールという好成績を残し、欧州再挑戦に挑むが、リーグ・アンのFCメス(2005-2006)、ブンデスリーガのMSVデュースブルク(2006)ではともに2部降格の憂き目に遭い、Kリーグに復帰。キャリアの最後は中国スーパーリーグ、大連実徳(2009-2011)で過ごした。
タナボタ的に清水にやってきた安貞桓だったが、ゴール数以上にクラブの人気や知名度の面で大きく貢献した。アラウージョ同様、移籍先のクラブを優勝に導いたことで、清水在籍期間がJリーグ適応への“試運転期間”だったと割り切れば、その後の活躍ぶりも理解できよう。

ミッチェル・デューク(清水在籍:2015-2019)
2015シーズンに清水に加入したオーストラリア代表FWミッチェル・デューク。ファーストステージ第11節ヴィッセル神戸戦(ノエビアスタジアム神戸/2-1勝利)で早くも移籍後初ゴールを記録したが、本来のポジションではないウインガー起用が多く、リーグ戦29試合に出場したものの得点はこの1得点に終わた。このシーズン、清水はクラブ史上初めてJ2に降格する。
J2を戦うことになった2016シーズンは開幕から7試合連続出場し、チームの中心選手となるデュークだったが、今度は前十字靭帯損傷の重傷を負う。チームはリーグ最終節で1シーズンでのJ1復帰を決めたものの、彼の貢献度は少なかった。
2017シーズンからもセンターフォワードとしては見なされず、その豊富な運動量とデュエルの強さが買われてウイング起用が続き、在籍通算106試合出場の一方で、通算5ゴールに終わった。清水に在籍していた際の印象は、“サイドで走り続ける汗かき役”というイメージだったが、本来、彼は点取り屋だ。自分が思い描く役割を与えられなかった苦悩もあっただろうが、彼はチームのために走り続けた。
その後、母国Aリーグのウェスタン・シドニー・ワンダラーズ(2019-2020)、サウジ・プロフェッショナルリーグのアル・タアーウン(2020-2021)を経て、2021シーズン、当時J2のファジアーノ岡山に加入し、再びJの舞台に帰ってくる。
岡山では即レギュラーとなり36試合8得点を記録。そしてシーズン後に開催された2022年のカタールW杯では豪州代表として出場し、グループリーグ第2戦のチュニジア代表戦ではゴールを決め、マン・オブ・ザ・マッチにも選出された。このデュークの得点は、同大会でJリーガーが決めた唯一の得点となった。
岡山と豪州代表での活躍により、2023シーズンにJ2町田ゼルビアに移籍すると、34試合10得点で同クラブ初のJ1昇格に大いに貢献。昨2024シーズンのJ1でも33試合に出場。今2025シーズンは3試合出場に留まっているが、2026年W杯北中米大会アジア最終予選を戦う豪州代表には名を連ねており、2大会連続W杯出場も現実味を帯びてきている。
現在負傷者が続出している町田にあって、黒田剛監督からの信頼も厚いデュークの存在は心強いだろう。得点力と献身性を併せ持った彼のプレースタイルは、“日本人以上に日本人的”とでも言えそうなもので、何よりもその真面目さはチームに好影響をもたらすだろう。

オ・セフン(清水在籍:2022-2024)
2022シーズン、蔚山現代から完全移籍で清水に加入したFWオ・セフン。U-17、U-19、U-23と年代別韓国代表に選出され、Kリーグでも実績があり、兵役も済んでいたこともあって、期待をもって受け入れられた。
しかし、当時の清水には、そのシーズン得点王を獲得することになるFWチアゴ・サンタナ(現浦和レッズ)がいた。オ・セフンはサンタナの壁を超えることはできず、もっぱらカップ戦要員に留まり、リーグ戦では通算38試合3得点に終わる。
そこに狙いをつけたのが、2024シーズン、初のJ1に挑むことになった町田だった。原靖フットボールダイレクターが、過去に清水のスポーツダイレクターだった縁もあり、両クラブ間の選手の行き来は多く、オ・セフンの期限付き移籍(翌年、完全移籍に移行)もその一環で実現したものだ。
町田ではいきなり33試合出場8得点の結果を残すと、今2025シーズンは第10節終了時点で全試合に出場、うち9試合でスタメン出場するなど、完全にチームの中心的存在に成長した。
同時に2026W杯北中米大会アジア最終予選に臨んでいる韓国代表にも選出され、いきなり2戦連続ゴール。プレミアリーグのトッテナム・ホットスパーで活躍するエースFWソン・フンミンの相棒の座を掴もうとしている。
移籍を機にレギュラーポジションを奪い、代表選出、そしてW杯出場というシンデレラストーリーの途中にあるオ・セフン。逆に現在、センターフォワード不足に悩む清水のサポーターは「セフンがいれば…」とないものねだりを呟かざるを得ない心境だろう。

ピーター・ウタカ(清水在籍:2015-2016)
2015シーズン、清水にやってきたナイジェリア人FWピーター・ウタカ。当初は謎だらけの経歴で“年齢詐称疑惑”も囁かれるほどだった。しかし、チームは低迷しJ2降格の憂き目に遭ってしまうのだが、ウタカは独り気を吐き28試合で9得点を記録。その決定力に目を付けたサンフレッチェ広島に期限付き移籍することになる。
2016シーズン、広島では不動のエースだった元日本代表FW佐藤寿人(2020年引退)のポジションを奪い、センターフォワードに座ると19得点を記録し、FWレアンドロ(当時ヴィッセル神戸)と共にJ1得点王に輝いた。
ところが年俸が上がってしまったことが災いし、清水復帰も広島残留も叶わず。2017シーズン広島に完全移籍した上でFC東京に期限付き移籍する。同シーズンはリーグ戦で25試合出場8得点と期待されたほどの活躍を果たせず、2018シーズン、デンマーク2部のヴェイレBKに半年契約で移籍。しかも6試合出場無得点に終わる。
しかしJクラブはまだウタカを見限ってはいなかった。2018年6月、徳島ヴォルティスに完全移籍すると半年で18試合出場6得点を記録。その後、ヴァンフォーレ甲府(2019、2023-2024)、京都サンガ(2020-2022)とJクラブを渡り歩き、京都在籍時の2020シーズンは22得点でJ2得点王のタイトルを獲得した。
昨2024シーズン、甲府と契約満了となって以来浪人状態にあったウタカだが、3月27日、今季からJ3に参入した栃木シティへの電撃加入が発表され、初出場となったJ3第9節高知ユナイテッド戦(高知県立春野総合運動公園陸上競技場/5-0)では後半28分に途中出場すると、その8分後の後半36分に早速、挨拶代わりの初ゴールを決めてみせた。
まだJ3が10節しか終わっていないことや、チームの好調ぶりを考えると、J史上初のJ1・J2・J3全てのカテゴリーでの得点王獲得も夢物語ではないだろう。
清水をきっかけに、足掛け10年もの間日本でプレーしているウタカ。インタビューで「静岡と山梨のどっちから見る富士山がきれい?」と問われ、清水サポーターにも甲府サポーターにも気を使い「フィフティーフィフティー」と答える茶目っ気ぶりで、どのクラブでも愛されキャラだ。41歳の挑戦はまだ終わっていない。