『横浜一強』――19年ぶり歓喜の舞台裏 横浜高を復権させた村田浩明監督の指導論に迫る
2025年4月20日(日)16時10分 ココカラネクスト

19年ぶりの優勝を成し遂げた横浜高校。いかにして強化を進めたのか(C)産経新聞社
3月に行われた第97回選抜高等学校野球大会で、19年ぶり4度目の優勝を遂げた横浜。『横浜一強』のスローガンのもと、昨秋の明治神宮大会に続く日本一を果たし、公式戦の連勝記録を20に伸ばした。
近年は甲子園に出ても、優勝争いに絡めない時期が続いていた。なぜ、再び頂点に返り咲くことができたのか。2020年春から指揮を執るOBの村田浩明監督の指導論に迫った。
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■夏の甲子園で力の差を感じた敗戦
日体大卒業後、県立霧が丘の部長を務めたあと、2014年に県立白山に異動。新チームから監督に就き、5年目の2018年夏に北神奈川大会ベスト8進出。自ら雑草取りを行うなど、選手とともにイチからチームを作り上げ、「県立から甲子園」を本気で目指していた。
だが、人生はどこでどう転ぶか誰にもわからない。2019年9月、愛する母校・横浜で当時の指導陣の不祥事が明るみになり、大きなニュースとなった。
横浜側が白羽の矢を立てたのは、白山で好チームを作り上げていた村田監督だった。不祥事が発覚した翌月には学校関係者から「母校に戻ってきてほしい」と最初の打診があったが、すぐに返事はできなかった。
何度かのやり取りのあと、正式に返事をしたのは年が明けた2月。妻とともに、高校時代の恩師である渡辺元智氏の自宅に呼ばれ、3時間近く話をした。最終的には、「お前しかいない」という言葉が決め手となり、母校に戻ることを決断した。
2021年夏、22年夏に神奈川大会を制するも、ともに甲子園では1勝止まり。甲子園に出ることよりも、甲子園で勝つことを求められるのが横浜だ。
村田監督にとって、忘れられない敗戦がある。2021年夏、初戦で1年生の緒方漣(國學院大)の逆転サヨナラ3ランで広島新庄を下すが、2回戦では智辯学園に0対5の完敗を喫した。
「圧倒的なパワーの差、スイングスピードの差を感じました。それは1年、2年でどうにかなるものではなく、3年間の積み重ねによるもの。あのときのうちは、まだ“横浜高校の野球”を作っている時期でした」
チームとしての規律、グラウンド上での全力プレー、横浜が大事にしてきた連携プレーなど、やるべきことを徹底する。就任当初は、そこが緩んでいたのも事実だった。
当時、自らに言い聞かせていた言葉が「石の上にも五年」だ。正しくは「石の上には三年」だが、それ以上に長い時間をかけて礎を築く。自分の色を出すのは、土台ができてから。横浜の野球を作ることに多くの時間を費やした。
■トレーニング・食事・睡眠で身体を変える
2025年1月、横浜の長浜グラウンド。村田監督に会うと、「身体が厚くなったと思いませんか。特に2年生は平均体重が80キロ近くになっています」と、トレーニングの成果を嬉しそうに教えてくれた。
緻密な野球で時代を築いてきた横浜だが、緻密さだけでは勝てない時代になった。新基準バットになれば、守れるのは当たり前。打撃でどれだけ優位性を作れるか。
「自分が高校生のときからですが、横浜高校は伝統的に野球の割合が多く、わかりやすく言えば、野球が9割でトレーニングが1割。がっちりした選手よりも、細身で動ける選手が活躍していました」
チームとしての土台が作られ始めた頃から、トレーニングの割合を意図的に増やし、「今までのやり方を思い切って変えていきたい」と口にする機会が増えた。
2022年から、高山大輝部長の創価大時代の1つ先輩である豊島和城トレーナーを招聘し、ウォーミングアップやトレーニングのやり方を一任。メディシンボールを使ったトレーニングに力を入れて、野球の動作につながるメニューを組んでいる。
食事にも計画的に取り組むようになり、昨年の冬季トレーニング期には10時、15時、17時と、補食の時間を細かく設定した。
村田監督の母親が寮でご飯を作っているが、一緒に補食用のおにぎりや焼きそばも作る。阿部葉太主将に聞くと、「焼きそばが特に美味しい」と好評だ。
睡眠も重要視し、夜10時以降、また朝6時半前の自主練習は禁止として、一日8時間近い睡眠を確保することに努めている。
今回のセンバツではガタイの良さはトップクラス。平均体重は80キロを超えていた(80.4キロ)。
■秋春連覇は通過点
村田監督は、外部の血も積極的に取り入れている。
2023年には、公立校の指導者としてともに鎬を削っていた渡邉陽介先生をスタッフに招いた。横浜のOBではないが、「選手の心にも、指導者の心にも入っていくのがうまい」という理由で声をかけた。
さらに、昨秋からは、駒大苫小牧の夏の甲子園2連覇時のスタッフでもある遠藤友彦氏を臨時コーチに招聘し、さまざまな助言を受けている。
歴史がある学校ほど、改革のハードルは高くなるものだが、なぜ変える決断を下せたのか。
「自分の色を出したい、出していかなきゃいけないとずっと思っていました。それが、横浜高校の伝統を継承することにつながることに、やっと気付けた自分がいます」
気付けた理由を聞くと、こう即答した。
「負けてきた。負け続けてきたんで」
2023年、2024年は夏の神奈川大会準優勝。決勝で悔しい逆転負けを喫した。
「何かを変えないと変わらない。負け続けて終わる人もいれば、負け続けて這い上がる人もいると思っています。それは、公立で指導者をやってきたことが土台になっていて、『何とか這い上がりたい』という想いでずっとやっていて。今、やっとスタートラインに立てたと感じています」
秋春連覇は通過点。進化の歩みを止めることなく、さらなる高みを目指していく。
[文:大利実]