「巨人と中日が特に強かった」元大洋のポンセが語ったNPBでの思い出 活躍を支えてくれたファンへの感謝「加入当初は不安もあった」【前編】

2024年4月22日(月)6時30分 ココカラネクスト

ポンセの日本に対する思い入れ強い。プレー当時は自身の成長のために懸命だったという(C)産経新聞社、左は本人提供写真

 1980年代後半、日本のプロ野球界で「スーパーマリオ」の愛称で親しまれ、打撃タイトルも獲得するなど、日本のファンに強い印象を残したのが、カルロス・ポンセだ。大洋ホエールズ(現DeNA)で5シーズンにわたりプレーし、主軸として活躍した。現在の状況や、日本でプレーしていた当時の思い出を聞いた。

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 1986年、大洋の新外国人助っ人として初来日。1990年で同球団を退団するとともに現役を引退した。プエルトリコ出身、引退後は30年以上にわたり米国・フロリダで生活を送っている。

「現在は米国、プエルトリコなどで大学生など若い選手に野球を教えています。日本にも現役引退後、何度も訪れて、昨年にも野球教室などに参加させて頂きました。今後も、選手指導や各種イベントで日本に行く予定もあります」

 ブルワーズでメジャーデビューを果たした翌年に来日を果たす。大洋加入後は、個性的な選手に囲まれながら、ポンセ自身もすぐに実力を発揮した。

「若い選手の多いチームでした。良いピッチャーもいて、チーム内の雰囲気も良かったです。自分が現役引退後、当時の若かったチームメイトたちがさらに成長して高い成績を収めたことなども聞いて、嬉しかったですね。対戦相手では当時、巨人と中日が特に強かったことが記憶に残っています」

 1年目は、打率.322、27本塁打、105打点を記録するなど、いきなり打撃3部門で好成績を残すと、翌年には98打点で打点王を獲得、さらに1988年には、33本塁打、102打点で2冠王に輝いた。Bクラスが続いていた大洋で、打撃タイトル争いを繰り広げた当時、鎬を削った他球団の強打者の成績よりも自分と向き合うことが重要だったと語る。

「他の打者のことはあまり気にしないようにしていました。日本に来た理由も、自分が選手として成長するためだったので、どうすればいい成績を残せるか、技術が向上するかを常に考えていました。初めての日本の野球でプレーするためにはやるべきことがたくさんあったのです。過去には見たこともなかった変化球もあり、自分のスイングも変える必要がありました。日本野球にアジャストすることが自分にとって大切なことだったのです」

 当時は、各チームが獲得する「助っ人」に対し、何よりも長打力が求められる時代だった。その中で、ポンセは主軸としてのみならず守備でも内外野をこなし、盗塁数も1年目に2ケタを記録するなど、走攻守で高いパフォーマンスを披露している。その活躍の裏には、ファンの後押しが大きな支えとなっていた。

「来日するまでは日本の野球について、わからないことが多かったんです。またその後、タイトル獲得などの結果を残せるとも思っていませんでした。チームのサポートとともにファンの応援も自分にとって大きかったです。チーム加入当初は活躍できるか不安もあったものの、ファンが声援を送ってくれたことが、それだけの成績に繋がったことは間違いありません」

 選手としてのプレーをきっかけに日本を好きになり、現在もSNSなどを通じてファンとの交流を続けていると言う。今後もイベントなどでの来日の予定もあるなど、日本への深い愛情は今も変わっていないようだ。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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