Jリーグを沸かせた歴代アフリカ人選手5選。当たり外れも大きい?
2025年4月23日(水)18時0分 FOOTBALL TRIBE

Jリーグを盛り上げている外国籍選手たちは、現在総勢217人(J1・91人、J2・76人、J3・50人)にも上る。その中心はブラジル人選手であり、それに続くのが韓国人選手であることは創設当初から現在まで変わりない。
しかし、リーグ創設33年目を迎えている今、Jクラブの強化担当のスカウティングもグローバル化し、意外な国から未知の選手を獲得するケースも増えた。元イラン代表FWシャハブ・ザヘディ(アビスパ福岡)や、ブルガリア代表FWアフメド・アフメドフ(清水エスパルス)、スロバキア代表FWアレクサンダル・チャヴリッチ(鹿島アントラーズ)など、Jリーグファンにとっては馴染みのない国からやってきた選手も活躍している。
もちろん、YouTubeなどでそのプレースタイルを確認することが可能となったことも大きいだろう。しかし、映像だけで獲得を決めた末、特に欧州や南米のマイナー国からやってきた外国籍選手が、Jのレベルになかったということも多い。
その中でも“当たり外れ”の振り幅の大きいのがアフリカ人選手だろう。来日して即、Jリーグに順応し得点王を獲得した選手から、プレー以前に日本での生活に馴染めず帰国した選手もおり、クラブにとってはリスクも伴う補強となる。しかしながら、日本文化にもクラブにも適応し、その実力を発揮さえすれば、とんでもない爆発力を有しているのがアフリカ人選手の魅力でもある。
ここではJリーグの歴代外国籍選手の中から、アフリカ人選手5人を挙げ、彼らがもたらした功績を紹介したい。

パトリック・エムボマ(カメルーン)
ガンバ大阪(1997-1998)、東京ヴェルディ(2003-2004)、ヴィッセル神戸(2004-2005)、2005年引退
Jリーグの歴代外国籍選手の中で、インパクトという面では五指に入る強烈さを見せたのがFWパトリック・エムボマだろう。1990-1997に所属したフランス、リーグ・アンのパリ・サンジェルマンではほとんど出番を与えられないまま期限付き移籍を繰り返し、新天地に選んだのが日本だった。
1997年4月12日の開幕戦、ベルマーレ平塚戦(万博記念競技場/4-1)でデビューしたエムボマは、超絶トラップでDFをかわし、強烈な左足ボレーでJ初ゴールを決めた。このプレーを見せ付けられた、当時平塚所属の元日本代表MF中田英寿氏をして「あんな凄いのを連れてくるなんて反則」と言わしめた。
圧倒的な身体能力とシュート力で強烈な存在感を示し、“浪速の黒豹”と呼ばれたエムボマ。カメルーン代表主将として、1998年のFIFAワールドカップ(W杯)フランス大会アフリカ予選と並行するハードスケジュールの中でも、その得点力を発揮し続け、リーグ戦34試合29得点で得点王のタイトルを獲得する。
当時のJリーグはまだ、引退直前の名選手がキャリアの最後にプレーする“年金リーグ”などと揶揄されていた時期だったが、ガンバ大阪サポーターはじめ、Jリーグファンが「本物」を目にした出来事でもあった。
その証拠に、エムボマはその後、イタリアのセリエA(カリアリ1998-2000、パルマ2000-2001)に移籍し、2002年の日韓W杯にも出場。カメルーン代表は大分県中津江村(現日田市)でキャンプを張ったが、チームの食事メニューにうどんをリクエストしたというエピソードも残されている。

マイケル・オルンガ(ケニア)
柏レイソル(2018-2020)、現アル・ドゥハイル所属
2018シーズンJ2降格、2019シーズンJ2優勝、2020シーズンJ1優勝というジェットコースターのような3シーズンを過ごした柏レイソル。その奇跡はこのケニア人FWマイケル・オルンガなしには成し得なかっただろう。
2018シーズンの柏は、2017シーズン4位でACL(AFCチャンピオンズリーグ)にも出場し、J1優勝の期待も掛けられていた。開幕戦のアウェイ、ベガルタ仙台戦(ユアテックスタジアム仙台/0-1)は落としたものの、開幕5戦で2勝1敗2分けと、まずまずのスタートを切るも、ACLグループリーグ敗退が決まると、イレブンの疲労がボディーブローのようにチームを蝕んでいく。
決して大型連敗したわけではなかったが、快勝したかと思ったら次戦では大敗するなど、安定感のない戦いぶりで、最終節を残してJ2降格が決定してしまった。同シーズン、夏の移籍で加入したオルンガは3得点を記録したが、降格からチームを救うことはできずも残留した。
2019シーズン、J2ではレベルの違いを見せ、30試合27得点を記録したオルンガ。チームは1年でのJ1復帰と同時にJ2優勝を決め、特に最終節の京都サンガ戦(三協フロンテア柏スタジアム)では、13-1という、およそサッカーのスコアとは思えない大勝を収め、この試合で8得点を記録。これは今でもJリーグ記録で、今後破られることはまずないだろう。
特筆すべきはその翌2020シーズンだ。2017シーズン3人目の監督として指揮を執ったネルシーニョ監督の下、降格と昇格を経験しつつ、チームの土台を作り上げたことが結実し、J史上初の「J1昇格クラブの優勝」という快挙を成し遂げる。チーム総得点85のうち、オルンガは27得点を挙げ、得点王、MVP、ベストイレブンに選出された。アフリカ人選手唯一のMVPだった。
優勝を置き土産に、カタールリーグのアル・ドゥハイルに移籍したオルンガは、2021シーズンのACLとカタールリーグでも2度の得点王を獲得(2021-22、2022-23)し、31歳の現在も健在ぶりをアピールしている。

ドゥンビア・セイドゥ(コートジボワール)
柏レイソル(2006-2008)、徳島ヴォルティス(2008)、2021年引退
FWドゥンビア・セイドゥの場合、Jリーグでの実績よりも、その後の大出世ぶりが目立つ。コートジボワールリーグのアスレティック・ダジャメに所属していた2005シーズン、18歳の若さで得点王に輝き、その実績を買われて来日。2006シーズン途中に柏レイソルに入団した。
しかし当時の柏では、フランサ、北嶋秀朗、李忠成ら、充実したFW陣の中にあって、レギュラーポジションを奪取することはできず、2008シーズンにはJ2徳島ヴォルティスに期限付き移籍。この移籍が彼のサッカー人生を変えたと言っても過言ではないだろう。柏時代からそのスピードの片鱗を見せてはいたが、徳島では16試合7得点を挙げ、その才能が開花した。
翌シーズンにはスイス・スーパーリーグのヤングボーイズに移籍し、ここから彼の快進撃が始まる。ヤングボーイズでは64試合でなんと50得点。2008/09、2009/10と2シーズン連続で得点王となり、ロシア・プレミアリーグのCSKAモスクワでも2011-12シーズンの得点王に輝き、1,440万ユーロ(約19億1,000万円)の移籍金でセリエAの名門ローマに移籍した。
しかし、イタリアの水は彼には合わなかったようだ。レンタル先の古巣CSKAモスクワや、プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッド、プリメイラ・リーガのスポルティングCPでも求められたほどの数字は残せず、輝きを放ったのは2016/17シーズンに所属し、得点王を獲得したスイスのバーゼル時代のみとなる。その後、スペインのジローナ、スイスのシオン、マルタのハムルーン・スパルタンズでプレーし、2021/22シーズン限りで現役を引退した。
ちなみにドゥンビアは2008年に来日し、日本代表と対戦したコートジボワール代表に初選出されたが、当時のコートジボワール代表監督のヴァイッド・ハリルホジッチ氏は、コートジボワール人選手がJリーグにいることを知らなかったという。その後の活躍から代表にも常に選出されるようになり、2010年の南アフリカW杯のメンバーにも選出されている。

オリオラ・サンデー(ナイジェリア)
徳島ヴォルティス(2022-2024)、ヴァンラーレ八戸(2023-2024)、RB大宮アルディージャ(2024-)
2019年に京都府の福知山成美高校への留学生として、ナイジェリアから来日したFWオリオラ・サンデー。来日6年目にして日本語に関しては通訳要らずのレベルにあり、『ラブ!!Jリーグ』(テレビ朝日系)では日本の歌謡曲好きであることを明かし、一青窈の『ハナミズキ』や、松任谷由実の『春よ、来い』を披露した。
U-15ナイジェリア代表の経歴があるものの、全国高校サッカー出場はならなかったサンデー。卒業後はJ2徳島ヴォルティス入りを果たすが、13試合無得点に終わる。2023シーズン途中に期限付き移籍したJ3ヴァンラーレ八戸では通算37試合5得点を記録。2024シーズン途中、J3大宮アルディージャに移籍すると、15試合5得点で、J2復帰に大いに貢献した。
大宮ではジョーカー起用が多いサンデーだが、今2025シーズン、4月20日のJ2第10節FC今治戦(アシックス里山スタジアム/0-0)では、今季2度目の先発出場を果たした。稀に見る大混戦の中、大宮は昇格圏の2位(第10節終了時点)につけているとあって、2年連続昇格と念願のJ1復帰を果たすために、彼の力は必須だ。

アマドゥ・バカヨコ(シエラレオネ)
北海道コンサドーレ札幌(2024-)
2024シーズンのJ1で19位となり、今2025シーズン9季ぶりのJ2を戦っている北海道コンサドーレ札幌。岩政大樹新監督を迎えながらも17位(第10節終了時点)と苦戦を強いられているが、4月20日のJ2第10節、藤枝MYFC戦(大和ハウスプレミストドーム/2-1)では、FWアマドゥ・バカヨコが貴重な決勝点を決める活躍を見せた。
出生地と国籍こそシエラレオネで、代表メンバーにも招集されている(15試合4得点)が、そのキャリアのほとんどをイングランドの3部から6部に所属するクラブを転々とするサッカー人生だったバカヨコ。1部リーグを経験したのは、スコティッシュ・プレミアリーグのダンディー(2023-2024)が初めてで、札幌に移籍してきた昨2024シーズンは6試合1得点、通算93分の出場時間しか与えられず、本領発揮とはいかなかった。
札幌のJ2降格と監督交代が彼にとってはチャンスとなり、第4節から7試合連続スタメン出場を続けている。今季まだ2得点だが、シュート決定率14.2という高い数字を誇るだけに、29歳と脂の乗り切った年齢と193㎝90㎏の恵まれたフィジカルを生かした彼の得点が、今後の札幌を浮上に導けるかカギを握っているといえるだろう。
Jリーグは1993年の創設以来、ブラジルや韓国、欧州からの外国籍選手が中心で、アフリカ人選手の数は、欧州5大リーグと比べると圧倒的に少なく、今もその傾向は続いている。これは、Jリーグの予算やスカウティングネットワークの限界、アフリカ人選手の欧州志向が強いことも要因の1つだ。
オルンガのMVP受賞以降、Jクラブはアフリカ人選手のポテンシャルに注目しつつも、実際に契約に至るケースは少ない。かつてオルンガ自身も「もっとアフリカ人選手がJリーグに来てほしい」と語ったように、将来的にはアフリカ人選手のJリーグ参戦の可能性は大いに残されている。
アフリカ人選手のスカウティングには、言語や文化の壁、ビザの問題、さらには欧州クラブとの競争も障壁となっている。また、Jリーグの外国人枠も、クラブがアフリカ人選手を獲得することを躊躇する要因となっている。
今後、Jリーグがアフリカ市場へのスカウティングを強化すれば、オルンガのような成功例が増える可能性があるが、そこまでのリスクを取るクラブが現れるかは不透明だ。しかし、ファンの立場からすれば“未知の逸材”が大爆発し、リーグを席巻する姿を期待しているのも、また事実なのだ。