MotoGPの軌跡(2):4ストローク990cc初年度から各メーカーは積極的にアップデートを投入

2020年4月27日(月)17時39分 AUTOSPORT web

 2001年までの世界GP(WGP/World Grand Prix)の略称で行われていたロードレース世界選手権。2002年から最高峰のバイクが4ストローク990ccとなり、シリーズの名称もMotoGPへと変更された。しかし、MotoGP初年度は2ストローク500ccマシンと4ストローク990ccマシンが混走する状況でのスタートとなった。2002年から2019年までのMotoGPの軌跡を連載形式で振り返っていく。
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 2002年シーズンは4ストローク990ccと2ストローク500ccマシンが混走で争われた。開幕戦の鈴鹿は雨のレースとなったが、4ストローク勢が表彰台を独占。その後、コースによっては2ストローク500ccが表彰台に立つ場面も見られたが、シーズンを通して4ストローク勢優位の構図は変わらなかった。


 2ストローク500cc時代の最後のタイトルを獲得したバレンティーノ・ロッシがMotoGP初年度も制した。ロッシは16戦中11勝、4回の2位入賞を記録する圧倒的な勝利だった。


 その活躍を支えたのがホンダRC211V。宇川徹が第2戦南アフリカでロッシに競り勝ち1勝を記録。シーズン序盤を2ストローク500ccのNSR500で戦い、終盤にRC211Vを得たアレックス・バロスが2勝を記録し、RC211Vは16戦14勝という圧倒的な強さを見せた。ホンダはパワーと車重のバランスを見極めて、V型5気筒エンジンを搭載したRC211Vを開発。車体もセンタータンクレイアウトでマスの集中化を図り、電子制御によるエンジンコントロールでも先行するなど、新時代のMotoGPに向けて万全の体制で臨んでいた。

2002年 MotoGP第2戦南アフリカで宇川徹が優勝を飾る


 一方、ヤマハはマックス・ビアッジが2勝を記録したものの、当初、2ストローク500ccのYZR500の車体をMotoGPマシン開発のベースとしていたことから、エンジン排気量は上限の990ccまで達しておらず、エンジンパワーでビハインドを負っていた。また、ライバルが電子制御のインジェクションを採用したのに対して、ヤマハの初期型YZR-M1はキャブレターを採用していたことから、MotoGPマシンのあり余るパワーをコントロールするのにも苦労していた。それでもヤマハの開発陣はシーズン中に大胆なスペックアップも何度も敢行、勝利を手にした。

2002年MotoGPシリーズ


 予定を1年前倒ししてGSV-Rを投入したスズキは、開幕戦で開発ライダーの梁明が2位入賞を果たし順調なスタートを切り、シーズン中も開発の手を緩めることなくアップデートを行なった。また、カワサキも2003年のフル参戦を見据えて、2002年のパシフィックGP(もてぎ)にZX-RRをワイルドカード参戦で投入した。


 日本人ライダーでは、宇川がランキング3位を獲得。シーズン中盤まで2ストローク500ccのYZR500で戦い終盤に4ストローク990ccのYZR-M1に乗り換えた阿部典史がランキング6位、前年度の250チャンピオンで、最高峰クラス1年目の加藤大治郎は、中盤まで2ストローク500ccのNSR500で表彰台に立つ活躍を見せ、中盤すぎには4ストローク990ccのRC211Vに乗り換えルーキー・オブ・ザ・イヤーとなるランキング7位を獲得した。


 中野真矢も序盤は2ストローク500ccのYZR500で戦い、終盤に4ストローク990ccのYZR-M1に乗り換え、ランキング11位。青木宣篤は2ストローク500ccのプロトンKR3で戦い、ランキング12位。原田哲也はシーズンを通して2ストローク500ccのNSR500で戦い、ランキング17位。原田はこのシーズンいっぱいで現役を退いた。

バレンティーノ・ロッシが2002年のMotoGPクラスを制覇


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