『ドリーム28 NSX アメリカンR(JGTC)』NSXのGT300参戦の第一歩【忘れがたき銘車たち】

2025年4月29日(火)18時0分 AUTOSPORT web


 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは2001〜2002年の全日本GT選手権 GT300クラスを戦った『ドリーム28 NSX アメリカンR』です。



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 2025年、スーパーGT GT300クラスからついに姿を消してしまったホンダNSX。NSXといえばGT500クラスへの参戦がよく知られるところだが、GT300クラスにも1990年代後半、そして2000年代より姿を見せ、GT3マシン時代も含めて長くGT300のレースシーンを支える存在であった。


 そのはじまりは、1998年。当時全日本GT選手権(JGTC)を名乗ったシリーズの第4戦富士スピードウェイラウンドをADVANタルガスポーツNSXが戦ったことに端を発する。このときはスポット参戦で予選までの走行となってしまったものの、それから3年後の2001年にGT300クラスへの本格参戦に至ることとなる。


 その時のマシンが『ドリーム28 NSX アメリカンR』だ。


このNSXを走らせたのはドリーム28と名乗るエントラントで、1998年のスポット参戦時にもNSXを走らせていたほか、のちに紫電をスーパーGTに投入したことでも知られる高橋一穂率いるホンダカーズ東海を母体としたレーシングチームだった。


 ドリーム28は、1999年モデルのMobil 1 NSXとして展示に使用されていたGT500マシンを入手すると、エンジンの換装やGT300クラス用のタイヤに合わせたサスペンションの改良などのモディファイを行った。そして、GT300仕様となったNSXを2001年の全日本GT選手権第5戦ツインリンクもてぎラウンドに投入した。


 ドリーム28 NSXはその初陣である第5戦、そして第6戦鈴鹿サーキットラウンドを戦うも両ラウンドとも13位に終わり、ポイントを獲得することはできなかった。しかし、翌2002年になるとその本領を発揮しはじめる。


 フル参戦初年度となった2002年シーズン。渡辺明と高橋一穂というふたりに託されたドリーム28のNSXは、第2戦の富士スピードウェイラウンドで予選2番手を獲得すると、第7戦MINEサーキットラウンドでは初のポールポジションを手にし、元GT500マシンたるポテンシャルの高さを見せつけた。


 また、決勝での最高位こそ第3戦スポーツランドSUGOラウンドでの4位だったものの、ほぼ全戦でポイントを獲得。これを皮切りにその後、2004年には無限“ワークス”のGT300 NSXが登場し、さらに2018年になるとGT3のNSXがGT300にデビューすることになる。


 途中、間を開けながらも長く続いたGT300でのNSX史、その第一歩はこのドリーム28といういちプライベーターによって歩み出したものであったのだ。



2001年の全日本GT選手権第5戦ツインリンクもてぎを戦ったドリーム28NSXアメリカンR。高橋一穂と木村博がステアリングを握った。


高橋一穂と渡辺明のドライブで、2002年の全日本GT選手権第7戦MINEサーキットを戦ったBOSSベルノ東海AR・NSX。

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