【忘れがたき銘車たち】スープラがル・マン24時間で見た現実『トヨタ・スープラ LM GT』

2021年5月3日(月)21時0分 AUTOSPORT web

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 両者がコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介します。第7回目のテーマはル・マン24時間に挑んだトヨタ・スープラLM GTです。


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 2021年のスーパーGT開幕戦において、脅威的な強さと速さを見せたトヨタGRスープラ。GRスープラは、そのGT以外にもGT4マシンが海外のカテゴリーで走り、戦いの場を世界へと広げている。


 そんなスープラだが、実はJZA1980時代には、2年間、ル・マン24時間レースの総合優勝を争うクラスに参戦していたことがあった。それがこのスープラLM GTだ。


 1995年、それまでのメインカテゴリーだったスポーツプロトタイプのグループCカーから一転、規定によりホモロゲーション用のストリート車両があることが前提のGTカーカテゴリー『GT1』が新たなル・マンのトレンドとなった。


 このGT1に日本のメーカーからホンダはNSX、日産はGT-Rとそれぞれのフラッグシップモデルをベースにマシンを仕立て参戦。トヨタもこの流れに乗り、当時JGTCに参戦していたJZA80型のスープラを持ち込んで、ル・マンのGT1クラスへと挑んだ。


 このスープラLM GTは、基本的には2.1リッターの3S-GTを搭載するJGTC仕様である。マシンも5月のGT富士を走ったものをル・マン用にコンバートし、さらにル・マンが終わるとまたGT用に戻していたほどだった。


ル・マン用のモディファイとしては、まずターボ径やリストリクター径をGT1規定に合わせて大型化。これにより最高出力は決勝で600ps、予選で700psを発揮していたとされる(JGTC仕様は実質420ps程度)。


 さらに、前後の車軸間がフルフラットでなければならなかったため、床下に3ピースのカーボンパネルを装着。そのための熱対策としてドア下、リヤバンパーサイドにエアインテーク、アウトレットを設け、ブレーキにはカーボンディスクを採用するなどの改造が行なわれた。


 こうして挑んだ1995年のル・マンだったが、予選はクラストップから約15秒遅れのクラス21位/総合31位。決勝では、トランスミッション交換で1時間以上をピットで過ごすことになり、クラス8位/総合14位でチェッカー。


 無事に完走は果たしたものの、この年に総合優勝を果たしたマクラーレンF1 GTRなど、トップクラスのマシンには大きく水を開けられてしまった。


 翌1996年、エアロパーツのアップデートなどを受けた熟成版で再びル・マンへと挑戦するが、この年はポルシェ911 GT1が登場し、GT1マシンの“過激化”が始まった年で、911GT1がLMP1車両とほぼ同等のラップタイムを記録するほど競争は激化。もちろんスープラもポテンシャルアップは果たしていたが、もはや勝負にならなくなっていた。


 この2年を最後にスープラでのル・マン挑戦は終了。本気になったトヨタはGT1の究極系『TS020』を開発、1年のブランクを置いて再びル・マンの総合優勝戦線へと殴り込みをかけるのだった。

カラーリングも変更された1996年。前年覇者の関谷正徳に加え、影山正美、光貞秀俊という当時の若手ふたりを起用した日本人トリオで挑んだが、決勝でワークスポルシェと絡み、クラッシュ。リタイアに終わった。

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