「ちょっと舐めていました」――阪神・湯浅京己の告白 怪腕が向き合った難病、そして感覚と球質が一致しない“不安な日々”
2025年5月4日(日)6時30分 ココカラネクスト

復帰戦から間もなくして甲子園のマウンドにも立った湯浅。当然ながら虎党たちからは割れんばかりの声援を送られた。(C)産経新聞社
頭が真っ白になった復帰戦の胸中
阪神の湯浅京己は、カムバックを果たしたマウンドで投げられる喜びを体現するように腕を振った。
4月29日の中日戦の7回、出番はやってきた。
【動画】帰ってきた虎の怪腕 湯浅京己の復帰戦の投球をチェック
「なんも覚えてない。必死っていうか、緊張してた」
頭は真っ白となった。それでも、“後押し”はしっかりと感じていた。
「それ(声援)は聞こえてましたし、本当にありがたいなと」
その名がコールされると、敵地バンテリンドームに詰めかけた虎党は沸いた。1軍での公式戦は23年11月2日の日本シリーズ第5戦(甲子園)以来、実に544日ぶり。ドームに響き渡った「おかえり」の声援は、多くのファンが背番号65の帰りを待っていた証でもあった。
国指定の難病「胸椎黄色じん帯骨化症」からの復活を目指した湯浅は、昨年8月に手術を執行。長いリハビリに耐え、右足のしびれなどの症状と戦いながらここまでやってきた。
ただ、戻ってくることがゴールではない。1軍の舞台でもう一度、輝きを放って見せる——。「絶対点やらんと思って、投げました」というマウンドは、再起へのスタートだった。
先頭の木下拓哉にフォークを中前に運ばれて出塁を許すなど1死二塁のピンチを背負うも、湯浅は粘った。岡林勇希を三邪飛に仕留めると、かつての同僚である板山祐太郎をフォークで遊ゴロに打ち取った。3つ目のアウトを奪った瞬間、右拳を力強く握って、あふれ出る感情を表出させた。
胸椎黄色じん帯骨化症は、手術したからといって完治する病ではない。実は、つい1か月前も人知れず困難に直面していた。
「ちょっと舐めていました」
滑り出しそのものは順調だった。手術後から照準を定めていた2月の春季キャンプで全体練習合流を果たし、初日のブルペンでも平田勝男2軍監督をうならせるボールを投げ込んだ。2月22日に行われたKBOリーグのハンファと行った練習試合で実戦復帰。次なる目標として「開幕1軍」を見据えていた中で、3月に右足の脱力感やしびれなどの症状が出るようになった。
「3月に2、3回症状が出て……。一回出たら続くんですよね」
付き合っていくしかない病だけに、湯浅も最善の治療を模索した。「症状が出た時にいろいろ試してみよう」と温冷交代浴やサウナなど血流を良くする方法もトライ。だが、和らぐどころか症状はひどくなる一方。とりわけ春先の状態は本人が「3月が一番しんどかった」と漏らすほどだった。
「投げては『はぁ……またか』の繰り返しでした。(感覚的に)ずっと気持ち悪かった」
登板を重ねても、感覚と球質が一致しない。プロとして不安を拭えない日々は続いた。
復帰後に鳴りやまなかったスマホにはダルビッシュ有のメッセージも
ようやく視界が開けたのは、4月4日に行われた2軍での中日戦だった。結果は1回を投げて1失点ながら、湯浅には「それまでと投げている感覚が全然違った」と手応えがあった。
リリース時の力感を感じられるようになり、感覚と実際の球質のギャップも無くなった。1軍昇格を意識し始めたのもその頃だった。そして4月24日に敵地で迎えたDeNA戦で今季初昇格。藤川球児監督は「支配下の中にいる1人の選手として1軍に昇格している。ただそれだけです」と、1軍での必要戦力という指標で招集したことを明かした。
出場選手登録されてから4試合は登板機会が無く、「早く投げたい気持ちはありました」と“その時”を待っていた中、出番は巡ってきた。
復帰登板後、湯浅のスマホ通知は鳴り止まなかった。巨人の大勢や、WBCで同僚となって以来、親交ができたパドレスのダルビッシュ有からもメッセージが届いたからだった。「ダルさんからも来て、びっくりしました。見てくれていたんだな」と感激しっぱなしだった。
余韻に浸る間もなく、翌日30日には、同点の延長10回に今季初の連投となるマウンドでピンチを招きながら1回無失点と力投。「身体も問題なく普通にやれていたので、とりあえずゼロで後ろにつなげるように頑張ろうと投げました」との言葉には、救援陣のバトンリレーに加わった充実感がにじんだ。
「支えてもらった人がたくさんいるので、その人たちに恩返しするためにも1試合でも多く投げたい。良い姿を見せられるように頑張りたい」
今季は数字的な目標はあえて掲げていない。とにかく恩返しの気持ちだけを常に持って腕を振るつもりだ。思えば、まだ胸椎黄色じん帯骨化症と分かっていなかった昨年の今頃は、原因不明の体調不良、右足の脱力感に悩まされ、生き地獄のような苦境を味わっていた。だからこそ、1軍までたどり着いた今は「症状は出ますけど、昨年に比べたら全然違うので」と言える。
無論、復帰を果たしてもここから平坦な道が続くとは思っていない。ただ、今は“前進できている”という実感がある。それは昨年あまり感じられなかった感触だ。
「任された場面でしっかりゼロで帰ってくることがリリーフの仕事。任された場面で仕事をできるように」
復帰への道は一旦終わった。これからは実力が問われる勝負の舞台へと段階は変わる。苦闘を経て、たくましくなった背番号65。完全復活へ“疾走”する準備は整った。
[取材・文:遠藤礼]