【アイルトン・セナの思い出】PART10:レースに専念するあまり、女性との付き合いに慣れていなかったセナ

5月6日(月)8時0分 AUTOSPORT web

 5月1日で、レース界の伝説アイルトン・セナが死去してから25年になる。1994年のサンマリノGPの週末は酷いものだった。ローランド・ラッツェンバーガーが予選中に事故で死亡し、翌日には決勝レース中に、セナが単独クラッシュで命を失ったのだ。


 元マクラーレンの会長兼CEOのロン・デニスは、1988年から1993年にかけてマクラーレンに在籍し、3度の世界タイトルをチームにもたらしたセナについて、多くの思い出を持っている。


 これは本シリーズにおける、セナについてのデニスの10回目の談話だ。


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 同じブラジル人同士のネルソン・ピケとセナの仲は良くなかった。ピケはセナが同性愛者だとほのめかしたこともある。


「アイルトンは、男性と女性、両方の人々を受け入れていたということだ」とデニスはセナについて語った。


「そして非常に力強い友情と、友情への深い献身を示していた。彼は本物の友人だった。人生における逆境にどのようにして陥ったかに関わりなく、彼は状況を好転させようとしてくれた」


「彼はそのような人物だったので、ほとんどの男性が持っているような激しい厳しさがなかった。彼は切に思いやりを持とうとしていたのだ。そうした思いやりが非常に悪いやり方で伝わってしまった」


「長いこと私はアイルトンと彼のさまざまなガールフレンドを見てきた。彼の関係の作り方は、我々も常にそうであるように、いつも正しいものとは限らなかった。すべてのガールフレンドについて、彼は付き合うことに初めから長けていなかったのだ」


「ドライバーによく見られることだが、彼らは最初からモータースポーツに専念しているのだ。彼らはカートレースやフォーミュラ・フォードに出場する。そしてひとりの人間としての成長が阻害される活動に完全に入れ込んでいくのだ」


「私自身の人生で言えば、私は非常に遅い時期に結婚しただけでなく、ガールフレンドというものに長いこと興味がなかった」


「私の鼻はエキゾーストパイプに向けられていた。最初はクーパー、次はブラバムで週に7日働いていた。3年や5年それを続けていた。今でも現場でそうした傾向の人間を見ることができる。彼らは仕事中毒で、チーム内で上に登りつめようとする。一部のドライバーも同様だ」


「非常に多くの場合、ドライバーというものはレーシングドライバーになることに取りつかれている。そうすると、生きていく上でのスキルやコミュニケーション能力を損なってしまう」


「コミュニケーションというのは、話をするだけのことではない。すべてのタイプのコミュニケーションのことだ。つまり彼は女性と付き合い始めるようなことに慣れていなかった」


「こうしたことはすべてある方向へ(ピケによって)伝わっていき、主にブラジルでのアイルトンの人気に傷をつけることになった。これが本当に起きたことだ。なぜならドライバーであるがために、彼らは当時のブラジルで最も有名なスポーツマンになるために張り合っていた。これは状況を変えるのにうまいやり方だったのだ」


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