19歳初登板で稲葉篤紀に投じた驚きの一球。武田翔太に度肝を抜かれた

5月6日(水)11時20分 Sportiva

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日本プロ野球名シーン
「忘れられないあの投球」
第4回 ソフトバンク・武田翔太
プロ初登板・初先発・初勝利(2012年)
 そういえば、彼はマウンドで笑っていた。
「僕はファンのみなさんに笑顔を見てもらいたいんです」
 セールスポイントを問われると、150キロを超す剛速球でも3種類のカーブや2種類のスライダーを巧みに操る七色の変化球を挙げるわけでもなく、あどけない表情でそう答えた。決してニカっとした笑顔ではない。唇は閉じたまま口角だけを上げ、もともと切れ長の目をさらに細くして、やさしい表情をつくる。
 まだ19歳だった頃の武田翔太(ソフトバンク)だ。

プロ初登板で6回無失点の好投を見せた武田翔太
 今から8年前、とんでもないルーキーが現れたと心底驚いた。この年、11試合に先発して8勝1敗。高卒ルーキーの8勝もすごいことだが、防御率はなんと1.07である。
 しかし、残念ながら新人王は獲得できなかった。益田直也(ロッテ)が72試合に登板して2勝2敗1セーブ(41ホールド)、防御率1.67の成績を挙げ、年間を通じて一軍で投げたことが評価された。ただ、武田は優秀新人賞という特別表彰が授与された。
 それにしても武田が残したインパクトは強烈だった。まだプロに入りたての十代の若者が、マウンドで笑顔を浮かべながら並み居る先輩打者たちをきりきり舞いにした。
 武田は抑えた時だけでなく、打たれた時も、マウンドに上がる時も、ベンチに下がる時も柔らかい表情を浮かべていた。そんなニューヒーローが見せる笑顔は「相手に失礼」と、時に非難の対象となった。しかし、武田の笑顔は決して相手に向けられたものではなかった。

「僕はキャッチャーや味方の野手に向かって笑みを浮かべているんです。それは中学生の頃から変わりません。バックを守る野手を盛り上げたいと思ったのが始まりでした」
 きっかけは中学2年の秋だった。髄膜炎を発症し入院した武田に、担任の教師はメンタルトレーニングの本を手渡した。その一冊が基盤をつくった。
「笑顔に関しては”プラス思考”です。以前は、味方がミスをすると心が揺らいでしまう自分がいました。でも、僕が”攻める”のは打者。”責める”べき相手は味方じゃない。だから『オッケー、オッケー。何個エラーしても大丈夫だよ』と呼びかけるつもりで、守っているみんなに笑顔を見せるようにしたんです」
 また、こんな自身の超感覚も教えてくれた。
「マウンドから必ず見るのは打者の表情です。顔を見れば、何を考えているのかわかりますから。あとは打者から出るオーラを感じるんです。どんな球を待っているのか、どのコースが苦手なのか……それが頭のなかにピンとくる。直感的にわかるんです」
 嘘みたいな話だが、武田はいたって大真面目である。事実、それを納得させるだけのピッチングを見せた。
 デビュー戦は2012年の七夕だった。7月7日の日本ハム戦(札幌ドーム)で、いきなり6回1安打無失点(5回までは無安打)の快投を見せ、プロ初登板・初先発・初勝利を達成した。

 それから中6日で臨んだ本拠地ヤフードーム(現・ペイペイドーム)でのロッテ戦も、6回無失点であっさり2勝目。ホークス球団(南海、ダイエー時代も含む)で高卒新人投手がデビュー戦から2連勝したのは初めてだった。その後もデビュー4連勝を飾り、高卒新人としては1966年の堀内恒夫(巨人)以来46年ぶりという偉業も成し遂げた。
 とにかく、何もかもがすごかった。そのなかでも、とくに武田の底知れぬ可能性を感じた1球がある。それはプロ初登板の日本ハム戦、5回表に先頭打者の稲葉篤紀に投じた”勝負球”の1球だった。
 2対0でソフトバンクが2点のリード。先に記したように、武田はノーヒットピッチングを続けていた。先発投手にとって5回は、勝ち投手の権利が得られる特別なイニングだ。己の欲望とも戦わなければならない。
 初球は膝もとに130キロのスライダーが惜しくも外れる。2球目、3球目はともに144キロのストレート。どちらもファウルとなり、1ボール2ストライクと追い込んだ。しかし、相手はこのシーズンに2000本安打を達成した球界屈指の大打者である。隙を見せたらやられる──それがプロの世界の常套句だ。
 運命の4球目。武田はど真ん中に123キロの緩いボールを投げ込んだ。甘いボールだったにもかかわらず、稲葉はバットを出せなかった。呆然とした顔で少しのけ反るようにして主審の「ストライク!」のコールを聞いた。

 なぜ、稲葉ほどの打者が甘い球を見逃してしまったのか……。じつは、長年プロの世界で戦ってきたベテランの稲葉だからこそ、打つことも、反応することもできなかったのだ。
 武田が投げたのは、プロに入ってから一度も投げたことのないチェンジアップだった。キャンプでもまったく練習していないから、武田の持ち球として誰も認識しておらず、それは日本ハムのスコアラーも例外ではなかった。
 そして武田は、事もなげにその1球を振り返った。
「前日の練習でしっくりきたので、試しに試合で投げてみたんです」
 高校時代にチェンジアップを投げたことはあったが、通用する手応えを得られず、以来封印してきた。しかし、デビュー戦の前日に「将来使えたらいいな」とふと思いつき、キャッチボール中に投げてみた。
「僕のなかで『これは使える』と。新しい変化球が生まれるのは、いつも遊びのなかからなんです」
 並外れた勝負度胸もさることながら、自らが持つ超感覚のなかで「チェンジアップを投げるのはここしかない」と感じ取ったあの1球には、無限の可能性を感じさせた。
 その後、武田は2015年に13勝を挙げ、その翌年には14勝をマークした。その活躍が認められ、2018年からはそれまでの背番号「30」から栄光の「18」へ変わった。昨年までの8年間で通算57勝を挙げている。

 ただ、あの試合を見た時、武田はチームのエースはおろか、球界を代表する投手になると思った。何度か右肩痛があり、右ひじのクリーニング手術を受けるなど、たびたび故障に泣かされた。それでもこの数字は、正直物足りなく感じてしまう。それほど武田翔太のピッチングは傑出していた。
 最近はマウンドで笑う姿も見なくなった。プロ野球という戦場で生きてきたなかで、少なからず心の変化があったのだろう。だが、飄々とした感じで、ものすごいピッチングを見せてくれる。それが武田の魅力である。
 昨年手術した右ひじは順調に回復しているようだ。自身のSNSに力強くキャッチボールする姿をたびたび投稿している。新型コロナウイルスによる外出自粛のなか、日課である10キロランニング(先発登板後も実行)がどこまでできているのか気がかりだが、武田の底知れぬ才能が今季はもっと花開くのではないかと期待して、プロ野球開幕の日を待ちたい。

Sportiva

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