ノーブルがホーム・ラストマッチに出場…プレミアリーグで1クラブ400試合出場を果たしたレジェンドたち

2022年5月16日(月)18時4分 サッカーキング

1クラブでプレミアリーグ400試合出場を成し遂げた7人のレジェンド [写真]=Getty Images

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 15日に行われたプレミアリーグ第37節で、7位ウェストハムが首位マンチェスター・Cと対戦した。今季限りで現役を退くウェストハムのMFマーク・ノーブルにとってはホームでのラストマッチ。『ロンドン・スタジアム』は試合開始前から18年に渡ってトップチームで活躍したキャプテンとのお別れムード一色だった。

 77分からピッチに入ったノーブルは、デクラン・ライスから腕章を受け取ると、王者を相手に2−2の引き分けに持ち込むことに貢献。6万人近いサポーターはレジェンドの勇姿を目に焼き付けた。プレミアリーグでの通算出場試合数は「413」に。その全てがウェストハムの選手として出場した試合だ。

 過去に1クラブでプレミアリーグ400試合出場を達成した選手は、ノーブルを含めて7人しかいない。いずれもクラブの歴史に名を刻むレジェンドばかりだ。

[写真]=Getty Images

■ライアン・ギグス(マンチェスター・U、632試合)



 1つのクラブでプレミアリーグ「632試合」に出場という記録が、この先に破られる可能性は極めて少ないだろう。プレミアリーグ創設シーズンからマンチェスター・Uでレギュラーを張り、40歳で現役を引退するまで同クラブ一筋だったライアン・ギグス。プレミアリーグでの出場試合数が20試合に届かなかったのは、選手兼コーチに就任し、途中から暫定監督を務めた2013−14シーズンの一度きりだった。

 1990年にマンチェスター・Uとプロ契約を交わし、翌年3月にエヴァートンとのリーグ戦でトップチームでのデビューを飾ったギグス。翌シーズンから主力として活躍し、13度のリーグ優勝と2度のチャンピオンズリーグ(CL)制覇を経験。数々の個人賞も受賞し、2008−09シーズンにはPFA年間最優秀選手に。暫定監督として2013−14シーズンを終えた直後に現役引退を発表し、後任のルイ・ファン・ハール氏の下ではアシスタントコーチを務めた。

 マンチェスター・Uでトップチームの選手として23年間を過ごし、トップチーム通算963試合、168得点という輝かしい数字を残したギグス。長年付けていた「11番」の永久欠番化には自ら反対し、その後はアドナン・ヤヌザイ、アントニー・マルシャル、メイソン・グリーンウッドに引き継がれたが、マンチェスター・Uを代表する「11番」がギグスであることは永遠に変わらないだろう。

■ジェイミー・キャラガー(リヴァプール、508試合)



 レギュラーとして、愛するクラブで引退できる選手は何人いるだろうか。リヴァプールのアカデミーで育ち、18歳の時にトップチームでのデビューを飾ったジェイミー・キャラガー。2013年2月にそのシーズン限りで現役を退くことを発表したが、最終節までスタメンとしてピッチに立ち続けた。

 左右のサイドバックの他、センターバックと守備的MFもこなした献身的なキャラガー。サポーターから絶大な支持を受けたのはもちろんのこと、敵将のサー・アレックス・ファーガソンさえも賛辞を惜しまなかった。キャラガーの引退と同じタイミングで、マンチェスター・U監督の座から退いた同氏は、「彼のことは大好きだった。ちょっとしたケガならものともせず、試合を欠場することがない。リヴァプールは、彼がいて幸運だった」と絶賛した。

 リヴァプールの公式サイトで「究極のワンクラブ・プレーヤー」と紹介されている元イングランド代表DFは、2000−01のカップ・トレブル(FA杯、リーグ杯、UEFAカップ)に大きく貢献。リヴァプールで公式戦737試合に出場したが、唯一の心残りは「一度もリーグ優勝ができなかった」ことだという。それでも、現役最後の試合となった2013年5月19日のQPR戦の交代時に、アンフィールドのサポーターからスタンディング・オベーションで迎えられたキャラガーは、プレミアリーグ優勝トロフィーにも負けない感動をスタンドのファンに与えたことは間違いないだろう。

■スティーヴン・ジェラード(リヴァプール、504試合)



 リヴァプールにとってのスティーヴン・ジェラードの存在を、親友であるキャラガーは次のように言い表した。「クラブだけでなく、街全体の看板だ。彼の穴を埋められるとは思わない。スティーヴンのような存在は一度きり。他の部分でチームを強くしなければいけない」。

 18歳でプロデビューを飾ってから、16年と177日目。2014−15シーズンのプレミアリーグ最終節、アウェイでのストーク戦が、ジェラードがリヴァプールの選手としてプレーをした最後の試合となった。パワー、スピード、得点力、タックル、パスセンスと、どれをとっても一級品だったジェラードは、同世代で最も完成されたMFだと言われていた。

 CL優勝トロフィーを掲げた直後の2005年夏には、ジョゼ・モウリーニョ氏が率いるチェルシーへの移籍が確実視されていたが、最終的にマージーサイドに残ったジェラード。リヴァプールで公式戦710試合に出場。キャプテンとしてピッチに立った回数は、クラブ史上最多の473試合を数えた。MLSのロサンゼルス・ギャラクシーでのプレーを最後に指導者に転身したレジェンド。現在はアストン・ヴィラの指揮官としてプレミアリーグの舞台で戦っている。

■ポール・スコールズ(マンチェスター・U、499試合)



 2度目の引退発表は、勇退する恩師ファーガソン氏にとって最後のホームゲームとなる2013年5月12日スウォンジー戦の前日だった。既にリーグ優勝を決めていたマンチェスター・Uは、27年もチームの指揮を執ったファーガソン氏と、22年に渡って同クラブに所属したスコールズに万感の思いで別れを告げた。

 スコールズがマンチェスター・Uのトップチームで初めてピッチに立ったのは、1994年9月21日のリーグ杯ポート・ヴェイル戦。その3日後のイプスウィッチ戦でプレミアリーグでのデビューも飾った赤毛のMFは、同試合でゴールもマーク。1995−96シーズンにはレギュラーの座を獲得し、1998−99シーズンのCL決勝はロイ・キーンと共に出場停止だったが、トレブル達成に大きく貢献した。

 2011年夏に一度は現役を退き、コーチングスタッフとしてオールド・トラッフォードに残ったスコールズだったが、翌年1月に現役に復帰。盟友ギグスは「しばらく実戦から離れていたのに長短のパスを完璧に決める。FWの選手なら尚更、ポールとプレー出来るのは幸せだと思う。走った先にパスが来るのだからね」と衰え知らずの盟友を称賛した。元イングランド代表MFはマンチェスター・Uでの公式戦出場試合数を718試合、総得点数は155まで伸ばすと、今度こそ本当にプレーヤー生活に別れを告げた。

■ジョン・テリー(チェルシー、492試合)



 2017年の夏、ジョン・テリーはプレミアリーグ史上初めて、“キャプテンとして”同リーグ優勝トロフィーを5回掲げた選手となり、チェルシーに別れを告げた。

 14歳でウェストハムの下部組織からチェルシーのアカデミーに加入。トップチームで初めてピッチに立ったのは、1998年10月に行われたリーグ杯アストン・ヴィラ戦で、ジャンルカ・ヴィアッリ氏がチームを率いていた時だった。翌シーズンの終盤に2部のノッティンガム・フォレストへローン移籍。復帰後、クラウディオ・ラニエリ当時監督の下で出場機会が増加した。

 2004年にジョゼ・モウリーニョ氏からキャプテンに任命されて以降、ピッチの内外でチームメイトを支え続けたテリーは、2016年にアントニオ・コンテ氏が就任後に出場機会が激減。翌年4月、同シーズン限りで20年以上も過ごしたスタンフォード・ブリッジから離れることを発表した。背番号にちなんで「26分」でピッチを去った2016−17シーズン最終節、ホームでのサンダーランド戦がチェルシーでの最後の試合となったテリー。チャンピオンシップのアストン・ヴィラで1シーズンプレーをした後にスパイクを脱いでいる。

■マーク・ノーブル(ウェストハム、413試合)



 ウェストハムの近代史には常にマーク・ノーブルの姿があった。13歳の時にアーセナルの下部組織からウェストハムのアカデミーに加入したノーブル。以来22年間、10代後半の短いローン期間を除き、ウェストハムのユニフォームを身にまとってピッチに立ち続けた。

 2004−05シーズンには17歳にしてトップチームの一員となり、同シーズンのチャンピオンシップのプレーオフにも出場したノーブル。プレミアリーグでのデビューは翌シーズンの開幕戦だった。クラブが2部に降格した2011−12シーズンも移籍することなく、ウェストハム愛を貫いたノーブル。同シーズンはチーム最多のリーグ戦45試合に出場し、クラブ年間最優秀選手に選ばれた。

 15日のマンチェスター・C戦で、ウェストハムでの公式戦出場数を549試合に伸ばしたノーブル。試合終了後のセレモニーで涙を堪えることができなかった。この試合前に受けたインタビューで、キャリアで最も印象的な出来事として、112年もウェストハムの本拠地として使用されたアップトン・パークでの最終戦となった2016年5月のマンチェスター・U戦でキャプテンを務めたことと、今季ヨーロッパリーグ(EL)のベスト4にチームを導いたことを挙げていたノーブル。この日の感動的なセレモニーもリストに追加されたはずだ。

■ギャリー・ネヴィル(マンチェスター・U、400試合)



 突然の引退発表は36歳になる直前だった。プレミアリーグ通算400試合目となった2011年1月1日のウェスト・ブロムウィッチ戦の最中に、自身の不甲斐ないプレーを痛感し、これが最後の試合になることを悟ったというギャリー・ネヴィル。その翌月、20年近くに及んだ現役生活にピリオドを打った。

 1991年にマンチェスター・Uに加入し、同シーズンのFAユース杯を制して「92年組」の一員となった右サイドバック。1993−94シーズン最終節でプレミアリーグでのデビューを果たし、1995−96シーズンからは不動のレギュラーとして活躍。ロイ・キーンが退団した2005−06シーズン途中からはキャプテンとしてチームを引っ張った。

 イングランド代表でも活躍し、順風満帆だったG・ネヴィルのキャリアに負傷が影を落とした。2007年3月17日のボルトン戦の開始11分に、足首のじん帯を損傷。復帰までに13カ月もの時を要した。「(ケガをした当時32歳という)年齢を考えて復帰はできないかもしれないと心配していたが、彼は本当に素晴らしかった」と不屈の精神で復帰を果たしたG・ネヴィルを称賛したファーガソン氏。「ライアン・ギグスやポール・スコールズのような才能はないが、試合に絶対に出るのだという気持ちが彼にはあった」と語り、マンチェスター・Uで通算602試合に出場した教え子に高評価を与えた。

(記事/Footmedia)

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