浦和DF槙野智章 小学3年でDF志願も1対1でボロ負けし涙

5月18日(金)11時38分 スポーツニッポン

生後11カ月で走ったという槙野(左から2人目)

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 ◇ロシア代表候補 青き原点(5)

 相手が強いほど血が騒ぐのは子供の頃からだ。当時、小学3年。既に広島の強豪・井口明神SCでFWとして名をはせていた槙野だったが「俺がDFをやる!」。突然、DFを志願したことがあった。敵チームに地元で有名な強力FWが君臨していたからだ。だが1対1にロマンを求めた勝負は惨敗に終わる。恩師の神谷喜八郎氏はこう振り返る。

 「自分からDFをやると言ってきて。でもボロボロで。人前で涙は見せない子でしたが、初めて泣いていましたね」。今や日本を代表するエースキラーに成長した槙野の原点は小学3年で流した、あの悔し涙だ。

 スポーツ一家に生まれた槙野は早くから大器の片りんを見せていた。母・令子さんによれば生後9カ月で歩き始め、11カ月で走った。小学1年の運動会では直前に遊具から転落して右腕を骨折。だが病院の制止を振り切り、ギプス姿で出場した徒競走は「ぶっち切りで優勝でした」(令子さん)。中学1年では遠投や走力を競うスポーツテストで広島県1位に。その一方で男気や正義感にあふれ、中学時代にはイジメに遭っていた女子生徒を救出したことも。まさに神童だった。

 サッカーは父・成伸さん、兄2人(伸一さん、哲人さん)の影響で始めた。小学3年でトップチームに昇格、小学4年でレギュラーに。当時はFW。10人抜きのゴールは今も地元の語り草だ。「小学5年で既に広島ジュニアユースから誘いを受けました」と神谷氏。中学1年まで1メートル52と小柄だったが、体の使い方がうまく当時からヘディングも強かった。身長が一気に20センチも伸びた中学2年、月岡利明コーチ(当時広島ジュニアユース)の勧めでDFに転向すると、いよいよ闘争本能が本領を発揮し始めた。

 自他ともに認める目立ちたがり屋で、今や日本代表の盛り上げ役も担う。これは広島ユース時代の森山佳郎監督の影響が大きい。プロを目指す以上、常に「人より目立て!」と指導を受けてきた。強烈な発信力を持つ男の原点だ。当時の槙野は「今日も目立っとったと思うよ」が口癖。試合後、両親に胸を張って報告していたという。成伸さんは「サッカーをしていた兄2人に負けまいと自然と負けず嫌いに育ちました」と目を細める。

 槙野自身、小学3年で流した涙は今も忘れていないと言う。相手エースを止めるのはもはや本能。ロシアでは世界中の猛者をつぶすため、ピッチに立つ。

 ◆槙野 智章(まきの・ともあき)1987年(昭62)5月11日生まれ、広島県出身の31歳。井口明神SC—広島ジュニアユース—広島ユースを経て06年に広島でJ1デビュー。中学1年までFWで森重(現FC東京)と2トップを組んでいた。11年のドイツ1部ケルン移籍を経て12年1月から浦和に。今年2月に女優の高梨臨と結婚。国際Aマッチ30戦4得点。昨年11月、ブラジル戦でのゴールは日本人11年ぶりだった。1メートル82、77キロ。

スポーツニッポン

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