中村俊輔の言葉に共感。那須大亮は常に「攻め」の決断を下してきた

5月18日(土)6時37分 Sportiva

ベテランJリーガーの決断
〜彼らはなぜ「現役」にこだわるのか
第7回:那須大亮(ヴィッセル神戸)/後編

 2002年に横浜F・マリノスに加入して以来、さまざまなポジションを預かることでプレーの幅を広げ、成長を続けてきた那須大亮。その事実には手応えを得ていたものの、実は胸の奥ではいつも”葛藤”と戦っていたという。なぜなら彼は”スペシャルワン”のセンターバックに憧れていたからだ。


「スペシャルワン」のセンターバックに憧れていたという那須大亮

 だが現実的には、2009年から在籍したジュビロ磐田でも、2012年に在籍した柏レイソルでも、さらにその後、5年間にわたってキャリアを積み上げた浦和レッズでも、那須はいろんなポジションでキャリアを重ねていくことになる。

 なかでも、レイソルでの1年間は、センターバックに両サイドバック、ボランチと、より一層、ユーティリティにポジションを変えながらシーズンを過ごした。そのことへの葛藤もあり、この1年は今でも「キャリアの中で最も記憶に残るシーズン」として脳裏に刻まれているそうだ。

 その証拠に当時、自分と向き合うために日々感じたことを記していたサッカーノートには、その時の迷いや悩みが、ぎっしりと書きつけられているという。

「ネルシーニョ監督の、勝負にこだわる姿勢やプロフェッショナリズムにはすごく感銘を受けたし、学んだこともたくさんありました。でも、30代に突入し、キャリアの後半に差し掛かっていたこともあってか、メンタル的には一番苦しい時期を過ごした気もします。

 ただ、今となっては、あの時、立ち止まらずに前を向けたこと、その時を乗り越えられたことが、のちの自分の支えになった。そう考えても、あらためて『意味のない時間なんてない』と思える1年でした」

 加えて、コンスタントに試合に出場しながら、天皇杯決勝まで駒を進め、クラブ史上初の天皇杯優勝に貢献できた経験も自信になった。

 その後、那須は2013年にレッズへ、2018年にヴィッセル神戸への移籍を決断することになるのだが、実はレイソルに始まる30歳を超えての”移籍”に際し、彼は自身にある基準を設けるようになったと言う。

 それは、「より競争のあるチームを選ぶ」ということ。

 一般的には、30代に突入し、キャリアの後半に差し掛かるほど、より試合に出場できる可能性が高いクラブや、複数年契約を結んでくれるクラブ、というような”守り”の選択をしがちだ。だが、那須はあえて”攻め”の選択を心がけてきた。

 事実、2013年に加入したレッズは、前年度にミハイロ・ペドロヴィッチ監督が就任し、5年ぶりとなるAFCチャンピオンズリーグ出場を決めるなど、組織としての結束力が高まっていたチーム状況にあったため、「そこに飛び込んでいく怖さはあった」と那須。2018年にヴィッセルへの移籍を決めた時も、自身が主戦場とするポジションには、前年度にレギュラーとして活躍した選手が存在した。それでも、”競争”に身を置くことに臆することはなかった。

「もちろん、移籍というのはオファーをもらわなければ成立しないものですが、オファーをいただいた際にはいつも……というか、30歳を過ぎてからの移籍はとくに選択肢の中から『どのチームがより競争できるか』に重きを置いて選んできました。

 当然、どこにいても競争は必ずあって、前の年にフルで試合に絡んだところで、翌年もポジションが保証されるなんてことはまずありません。でも、まっさらな競争に身をおくよりは、もともといたチームのほうが多少のアドバンテージはあるし、少なからず気心の知れた仲間もいる。そのほうが楽な面は間違いなくあると思います。

 ただ、それをわかったうえで、僕はより”競争”に身を置ける環境を選択してきました。それで、結果的に苦しむことになっても、得られるものはたくさんあるから」

 そんな選択をしてこられたのは、その時々でチームに在籍した同世代の仲間の存在が大きい。磐田の時は前田遼一(現FC岐阜)と駒野友一(現FC今治)、レッズの阿部勇樹、鈴木啓太(2015年引退)ら、近くで輝いている同期の存在はいつも自分を見つめ直す鏡になった。

「彼らの活躍に負けないように、『自分ももっと輝きたい』と思えたから、厳しくても”成長”できる可能性が高い選択をしてこられたんだと思います。と同時に、その時々で経験した移籍がどれも、確実に自分のメンタルを鍛え、成長させてくれたと思えるものであったことも、強気の選択をしてこられた理由かもしれない」

 さらに言うならば、そうして選択したクラブにおいて、たとえ試合に出られない状況に追いやられても——、たとえば現在、在籍するヴィッセルのように、同じポジションに新たなライバルが次々と送り込まれてきても、那須には「試合に出られないから移籍」という考えはないと言う。

 それはかつて、中村俊輔に言われた言葉に共感しているからこそ、だ。

「いつだったか、俊輔さんがサラリと言ったんです。『(試合に)出られないという理由だけで移籍したら、結局、同じことを繰り返す。それよりもまずは、現状を変えるために何をすべきかを考えるのが先だ。そうやって我慢して、自分と向き合うことで得られるものは必ずあるぞ』と。

 その言葉がすごく腑に落ちたというか。現状と向き合わずに移籍を選ぶのは、自分にとって逃げでしかないな、と。それに、サッカーに限らず人生は常にリスクと隣り合わせじゃないですか? どれだけ『安全だ』と言われることにも必ずリスクはつきまとう。

 そう考えても……たとえ試合に出られそうなクラブを選んで移籍したところで、確実にピッチに立てる保証なんてない。それなら僕は、自分の意思で何かを選択したい。自分の意思が乗ったチャレンジなら、それがどう転ぼうと必ず自分の中でいいものにしようという”思い”が働くはずだから。

 僕にとって人生は、意思があって、思いがあって、初めて進むもの。だからこそ、そのチャレンジができなくなったら、引退を考える時だと思っています」

 話を聞いていると、とにかくその思考は明快で、ポジティブだが、そんな彼でも”引退”の文字が頭をよぎる瞬間はあると言う。

 30代に突入してからはとくに、自分をどれだけ奮い立たせても、どことなく気持ちが重く、「こんな感じで気持ちが持っていかれて、引退を決めちゃうんだろうな……」と考えた日もあるそうだ。最近も、「ああ、(現役生活が)終わっちゃうのかな〜」って思う瞬間に何度か直面しているが、今のところは「そう思って練習場を後にしても、翌朝になったら、その考えはどこかにいってしまっている」と笑う。

「その日の練習が終わって、『ああ〜、この気持ちが続いたら、引退が見えてくるのかな』って思うことはあります。でも、時間が経つにつれて『負けたくない』という気持ちが蘇ってくる。過去の自分に対して負けたくないし、今日より明日をより良いものにしたいから、寝て、起きたら、また『やってやる』と思っている自分がいます。

 ただ、自分の中にチャレンジしようと思う気持ちがなくなったら、『引退する』と決めているので、もしも朝、目が覚めてそう思えなくなっていたら、その時は迷わず決断すると思いますけど」

 その瞬間が、いつ、どんなタイミングで訪れるのか、正直、那須自身もわからない。だが、それまでは余計なことは考えず、ただガムシャラに成長を求めて、「もがきながらも、楽しんでサッカーに向き合う」と決めている。

 あの日、いろんなポジションを任される葛藤と戦いながらも、未来を明るくしようとサッカーに向き合えたことが、結果的に、自分の力になり、支えになり、18年のキャリアにつながってきたように。今を精一杯に戦う先には、想像以上に輝く未来があると信じられるから。

(おわり)

Sportiva

「中村俊輔」をもっと詳しく

「中村俊輔」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ