『フェラーリ550GTSマラネロ(2004年)』国産3大ワークスに果敢に挑んだFRの跳ね馬【忘れがたき銘車たち】

2024年5月22日(水)8時31分 AUTOSPORT web

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、2004年の全日本GT選手権(JGTC)GT500クラスを戦った『フェラーリ550GTSマラネロ』です。


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 2000年代前半の全日本GT選手権(JGTC)のGT500クラスは、現在のSUPER GT GT500クラスと同じく、ニッサン、トヨタ、ホンダという3メーカーのワークスマシンたちが、毎戦開発競争を繰り広げてチャンピオンを争っており、そこに他メーカーの入り込む余地などないほどであった。


 だが、そんな時代ではあったものの、有力と思われる外国車をGT500クラスに投入していたプライベーターもいた。


 そのプライベーターのひとつが一ツ山レーシングで、一ツ山は2003年までイエローコーンカラーのマクラーレンF1 GTRを走らせていたが、2004年より新たなマシンを投入した。それがフェラーリ550GTSマラネロだった。


 そもそもこの550GTSマラネロをGTマシンに仕立てたのは、スバル・レガシィやスバル・インプレッサ555といったグループAラリーカーなどを製作して、数多くの勝利を得てきたイギリスのプロドライブだった。


 このプロドライブ製の550GTSマラネロはFIA-GT規定をもとに作られていて、2003年にはFIA-GT選手権でチャンピオンを獲得していたほか、2002、2003年とル・マン24時間レースにおいてクラスポールポジションを獲得するなどの実績をJGTC投入より前にすでに残していた。


 一ツ山では、この550GTSマラネロをプロドライブより購入。タイヤハウスの拡大など、JGTC用のモディファイは施したが、基本的にはFIA-GT選手権仕様のまま、日本のレースを戦い始めた。


 JGTCでは2003年より車両規定が大きく変わり、バルクヘッド前後のパイプフレーム化が可能となるなど、よりレーシングカー化が進んでいた時期だったが、この550GTSマラネロは基本的にノーマルのフレームを活かしたつくりになっていた。


 そのため、空力的に有利な長いフロントオーバーハングや、5.8リッターV12という強力なエンジンと搭載するなどの武器もあったが、3メーカーのGT500マシンたちを前に苦戦。2004年はノーポイントでシーズンを終えることになった。


 翌2005年のSUPER GT初年度にも参戦したが目立った戦績は残せず。その後、一ツ山の550GTSマラネロはGTではなく、ベースが長距離レースを想定していたマシンであったことも活かして、全日本スポーツカー耐久選手権(ジャパン・ル・マン・チャレンジ)において、その本領を発揮することになる。

2004年の全日本GT選手権第1戦TIサーキット英田を戦ったフェラーリ 550GTS マラネロ。光貞秀俊と植松忠雄がステアリングを握った。


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