C大阪「長居の悲劇」から20年、今明かされる真実

5月23日(土)12時0分 日刊スポーツ

副島博志氏

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セレッソ大阪の歴史で「長居の悲劇」と語り継がれる試合がある。2000年5月27日、ホーム長居(現ヤンマー)スタジアムで迎えたJリーグ第1ステージ最終節。首位C大阪は、勝てば無条件で初優勝が決まる一戦で15位川崎フロンターレに敗れ、2位横浜Fマリノスに逆転で優勝を奪われた。あれから20年。C大阪はいまだにリーグ優勝がない。当時監督だった副島博志(60)が、舞台裏の真実を初めて明かした。(敬称略)
【取材・構成=横田和幸編集委員】
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当時40歳だった青年監督は還暦を迎え、現在は大阪市住吉区にある、私立大阪学芸高女子サッカー部監督を務める。就任5年目の昨季は、全日本高校女子選手権で初の全国ベスト4に躍進させ、近い将来の日本一が見えてきた。
「長居の悲劇」から丸20年。当時担当だった記者が改めて取材すると、副島は最近の出来事のように細かく語り始めた。
「千載一遇の試合に勝てなかった悔しさは、今でもあります。試合の1週間前から、過熱する取材の中で選手に静かな環境を提供してあげられなかった。試合当日に会場に向かう選手バスの中は、緊張で静まり帰っていました」
チーム全体の精神状態を敗因に挙げた一方で、今まで誰にも話さなかったという真実を口にした。
「今60歳の僕が、40歳だった当時の僕に言えるのは『若かったなあ』ということ。経験値、人として、すべて未熟だった」
試合は川崎Fに先制されたが、FW西沢明訓の同点弾で何とか延長戦へと持ち込んだ。他会場で2位横浜は白星で終えていたが、C大阪は延長でも勝てば優勝だった。しかし、結果は1−2のVゴール負け。当時ホーム最多の4万3193人の観客が詰めかけた。あまりの悲劇に、MF森島寛晃(現社長)が泣き崩れる姿が日刊スポーツの紙面を飾っている。
「サッカーは何が起きるか分からない。勝つために、その準備ができていたのか。僕は勝負に徹しきれなかったと思う。でも、当時の僕の中では、彼をベンチに入れる選択肢は0%でした」
副島が語る「彼」とは当時29歳のFW真中靖夫。黄金時代の鹿島アントラーズで実績を重ね、前年99年にC大阪に移籍。ベルギー人監督のレネの下で主力に定着し、27試合5得点の成績を残していた。だが副島が新たに就任した00年は、システムの変更で真中は控え選手に甘んじていた。
「出番が少なくなった真中が、優勝争いをしていた終盤戦に突然、移籍を希望してきた。チームのこの状況で出せるわけがない。鹿島で優勝経験もあるベテランが、なぜそんなことを言うのか。僕はベンチから彼を外しました」
移籍はサッカービジネスの常識で、出場機会の変化によって生まれるのも当然のこと。真中が決して非常識な主張をしたわけではないが、タイミングが悪かった。
最終節川崎F戦直前の、横浜との首位攻防戦から真中はベンチを外れた。それまでは日本代表の西沢や森島との交代で、後半途中から出場していた。いわゆる貴重なスーパーサブだった。だが副島は、自身の「規律」を貫き通した。
副島にとって川崎F戦は皮肉な展開を見せた。同点弾を決めた西沢が、途中の接触プレーで肋骨(ろっこつ)を負傷し、走れない状態に陥った。延長戦突入確実だった後半44分にベンチに退き、投入したのはブラジル人のDFペリクレスだった。
得点が必要な状況で、5人枠のベンチにはこの時点でFWがいなかった。唯一のFW上村崇士は、後半途中から既に出場。監督采配を疑問視する声はあったが、副島が1人の選手のことで葛藤していたのは誰にも明かしていなかった。
「あの時、FWの駒が足りなくなった。真中がいれば、と思ったのは事実。勝ちたいんであれば、真中をベンチに入れるべきだったかもしれない。僕が、あの感情をのみ込めばよかったのかもしれない。他の選手が、なぜ真中をベンチ外にしたのかと思っていたでしょう。優勝に1番近づいての、あの悔しさは忘れません」
40歳の副島が真中をベンチに入れる可能性は0%だったが、60歳の副島なら数%はあったかもしれない。少なくとも自身の感情を抑え、最善の策を選択できたかもしれないという思いは伝わる。
「長居の悲劇」が終わり、真中は再びベンチに入るようになる。翌11年7月14日には、途中出場からわずか3分間でハットトリックという偉業を成し遂げている。その時も監督は副島だった。170センチと小柄ながら馬力がある真中の力量は認めていたのに、“あの時”だけは譲れなかった。
真中のハットトリックから数週間後、J2降格の危機にあった副島は事実上の解任となる。最後まで皮肉な運命をたどった。
00年第1ステージ(S)で結局、C大阪は2位に終わる。第2Sは9位に低迷し、年間順位は5位となった。第1Sで優勝しても年間優勝の保証はなかったとはいえ、痛恨の川崎F戦になった。05年にも最終節で優勝を逃すなど、C大阪は20年たった今でもリーグ制覇は果たせていない。
副島はその後、C大阪ユース(U−18)監督に就任した05年、下部組織でコーチをしていた真中と飲み会の席で一緒になった。「あの時、なぜ僕をベンチから外したのですか」と初めて聞かれたという。
「正直に言いました。すごい実績のあるベテランが、自分のことしか考えない言動をとれば、使えなかったと。真中本人も『僕が監督でも使いません』と言ってくれた。僕自身もすっきりした思いです」
副島はC大阪を皮切りにサガン鳥栖、ヴィッセル神戸などで監督を務めた。結果は残せなかったが、特に若手への指導に優れ、サッカー界では「育成の副島」という高い評価がある。
大阪学芸高は、なでしこリーグ1部C大阪堺レディースの下部組織に認定されており、同高部員でも登録さえすれば、日本女子最高峰のリーグに出場できる。昨年は同高から8選手をなでしこの公式戦に送り出した。現在3年生のGK石田心菜(ここな)は身長172センチで、昨年も1部昇格の立役者になった。将来、なでしこジャパンを背負う存在だという。
「女子選手はきめ細かく指導しないと、1つの言葉だけでは伝わっていないことが多い。僕は今でも、指導者として非常に大切なことを教わっています」
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【取材後記】
「長居の悲劇」の川崎F戦からもう20年がたつ。その直前の横浜との首位決戦は、C大阪守備陣が中村俊輔を封じ込める魂のサッカーで劇的勝利を収めた。最後の相手、川崎Fは当時15位で最下位転落の可能性もあった。流れは最高。記者を含めて、誰もが首位C大阪の優勝を疑わなかった。
副島さんへの取材は、当時を振り返ってもらおうとしたら、まったく予想外の話へと進んでいった。我々第三者でさえ、あの敗戦の記憶は究極の悔しさとして残る。葛藤を抱え込んで20年間を過ごしてきた副島さんは、逆に指導者としての人生訓にしている。現在もC大阪と関連した組織で仕事をする副島さんは、将来のなでしこジャパン育成へ情熱を注いでいる。
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◆副島博志(そえじま・ひろし)1959年(昭34)7月26日、佐賀県生まれ。MF、DFとして佐賀商高、ヤンマー(現C大阪)を経て住友金属(現鹿島)で現役引退。00年C大阪監督に就任し、01年途中で退任。鳥栖、神戸、桃山学院大監督などを歴任し、15年6月から大阪学芸高女子監督に。181センチ、73キロ。

日刊スポーツ

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