「焦燥的な買い物」と言われ…”屈辱”と”飛躍”を味わった1年で遠藤航は何を得たのか 激動のシーズンを振り返る

2024年5月25日(土)7時30分 ココカラネクスト

入団当初は懐疑的な目を向けられたものの、実力で信頼を勝ち取っていった(C)Getty Images

 昨年8月、遠藤航がシュツットガルトから推定移籍金2000万ユーロでリバプールへ移籍した時、現地のメディアやファンの反応は、控えめに言って、好意的なものばかりではなかった。一部のサポーターは「焦燥的に買ってしまった新戦力」と評し、ある日刊紙は「リバプールファンの気持ちを察する」と書いたように。

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 その理由はいくつかある。選手の高齢化に伴い、中盤を刷新しようとしていたリバプールは、7月にハンガリー代表ドミニク・ソボスライ(元ライプツィヒ)とアルゼンチン代表アレクシス・マカリステル(元ブライトン)を推定総額1億1200万ユーロを投じて迎えていた。そこに噂に上がっていたエクアドル代表モイゼス・カイセド(元ブライトン)を加えれば、これ以上ないほどの中盤が形成されると、多くのファンは期待していたが、チェルシーが推定移籍金1億1600万ユーロで獲得。その次善策として引き抜いたのが、遠藤だと考えられていたのだ。

 加えて、日本のサッカーファンなら誰もが知っている“ブンデスリーガのデュエル王”という事実も、イングランドのフットボールファンにはほとんど知られていなかった。つまり適切に評価されず、懐疑的な目を向けられていたわけだ。

 また当時、ソボスライは22歳、マカリステルは24歳、カイセドは21歳だったが、遠藤はすでに30歳。若手をターゲットにするクラブの補強ポリシーに反するものであり、世代交代にもならない。実際、ユルゲン・クロップ監督は三十路の日本代表MFを獲る際に、オーナーに直談判したという。

 さらにリバプールは夏の移籍期間最終日に、当時21歳のオランダ代表ライアン・フラフェンベルフを、推定移籍金4000万ユーロでバイエルン・ミュンヘンから獲得。カーティス・ジョーンズとハーヴィー・エリオットの生え抜きの若手コンビも名を連ねるなか、プレミアリーグに初挑戦する遠藤にとって、熾烈なポジション争いが幕を開けた。

 大方の予想通り、当初は主にカップ戦で起用され、リーグ戦では第11節まで先発の機会は一度だけ。しかもアンカーに配されていたのは、より前目を本職とするマカリステルだった。指揮官は「エンドウのことを何年も前から追っていた」と明かしたが──事実、当時のシュツットガルトにはクロップが率いた頃のドルトムントのチーフスカウトがおり、遠藤の話は頻繁に聞いていたはずだ──、実際に戦力として信頼を寄せるまでには時間を要した。

 しかしこれまでに所属したほとんどのチームで逆境を跳ね返してきた遠藤は、アンフィールドでも雌伏の時に、静かに爪を研いでいた。そしてチャンスが到来すると、両手でしかと掴んだ。

クロップ監督がチームを去った。来季はスロット新監督の下でどんな立ち位置を築くだろうか(C)Getty Images

 10月26日のヨーロッパリーグのトゥールーズ戦で移籍後初得点を決めると、翌々週末のブレントフォードとのリーグ戦にフル出場して3-0の快勝に寄与。直後の代表ウィークを経て、11月30日のヨーロッパリーグのLASK戦にフル出場し、2得点の起点となって4-0の完勝と首位通過に寄与すると、3日後のリーグ戦が分水嶺に。ホームでのフラム戦の83分に投入され、その4分後に同点ゴールを決めてスタジアムに息を吹き込み、トレント・アレクサンダー=アーノルドの逆転ゴールに繋げ、4-3の逆転勝利の立役者となったのだ。

「ファンにとっても、一生忘れられない試合になったね」とクロップ監督は試合後に笑顔で語った。「ワタ(遠藤)が実に重要だった。投入されるとすぐに素晴らしいプレーを見せ、勝負を決しかねない競り合いに勝ち、スーパーなパスを出し、トップクラスのゴールを決めてくれた」

 チームを救うプレミアリーグ初ゴールを決めた遠藤は、翌節シェフィールド・ユナイテッド戦からリーグ戦でも継続的に先発で起用されるようになり、リバプールは2024年元日のニューカッスル戦まで、全公式戦7試合(リーグカップのウェスト・ハム戦を含む)を5勝2分の無敗。その間にマカリステルが負傷離脱したこともあり、もはや完全にリバプールの主力とみなされるようになっていた。

 チームが首位に立ち、遠藤も好調を維持していたそんな時に、アジアカップが始まった。主将として王座奪還を目指す日本代表を牽引しないわけにはいかなかったが、監督が「グループステージで負けて帰ってきてほしい」と冗談とも本気とも取れるような発言をしたほど、背番号3の重要性は高まっていた。

 指揮官の願いに反して日本代表がグループステージを突破した1月24日の2日後、クロップ監督はクラブ公式チャンネルでシーズン終了後の退任を発表。2月3日の準々決勝で日本がイランに敗れたため、遠藤は予想よりも早くリバプールに戻ったが、翌4日に行われた大一番、敵地でのアーセナル戦には出場できず、チームは1-3の敗北を喫した。

 それでもリバプールで一時代を築いた名将との別れに花を添えようと意気込んだ選手たちは、リーグ戦で3連勝した後、チェルシーとのリーグカップ決勝を延長戦の末に1-0でモノにした。その4試合に遠藤はフル出場し、デビューシーズンに初タイトルを手にした。

 だが振り返れば、そこがリバプールと遠藤の今季のピークだったと思える。過密日程により疲労が蓄積し、徐々に調子が下降していくと──3月17日のFAカップ準々決勝ではユナイテッドと延長戦の末に3-4の敗戦──、4月に破綻をきたした。遠藤は4日のシェフィールド・ユナイテッドとのリーグ戦をコンディション不良で2か月ぶりに欠場すると、翌32節のマンチェスター・ユナイテッド戦(2-2の引き分け)では目前で新鋭コビー・メイヌーに見事な一撃を決められ、第33節のクリスタル・パレス戦では決勝点となった先制点につながるクロスを自身の股に通され、ハーフタイムにピッチを退いている。

 ヨーロッパリーグの準々決勝では、アタランタをホームに迎えた第1戦でまさかの0-3の大敗。パレスとのリーグ戦の後に行われた第2戦には、状態を危惧されてベンチに留められた。

 以降は唯一の望みとなったリーグ戦でも振るわず、エヴァートンとのマージーサイド・ダービーでの0-2の敗北を含め、3勝2分1敗。チームは3位でリーグ戦を終えた。

 一番期待されていなかった新戦力から、チームの中心選手のひとりと認知されるようになったものの、最終的にはプレミアリーグの厳しさを味わった遠藤。それでも世界最高のリーグでも通用したことは、自信に繋がったはずだ。来季からリバプールの指揮を執るアルネ・スロット新監督にも、重用されることを期待したい。

[文:井川洋一]

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