本田圭佑が感じた「煽ってきた責任」の重さ。「自分たちのスタイル」が結果を残せなかった理由とは?【日本代表平成の激闘史(11)】

5月27日(月)9時55分 フットボールチャンネル

高まるベスト8入りの機運

 平成22(2010)年南アフリカワールドカップ16強という予想外の成功で、当時26歳の長谷部誠や24歳の本田圭佑、23歳の長友佑都といった20代半ばの面々が自信をつけたこともあり、4年後のブラジルワールドカップは8強超えの機運が高まった。

 時を同じくして香川真司がボルシア・ドルトムント、内田篤人がシャルケ、長友がチェゼーナ、川島永嗣がリールセと代表主力候補が続々と欧州挑戦。揃って試合に出て、活躍し始めたことも、期待を大いに膨らませた。

 そのタイミングでやってきたのが、イタリアのビッグ3を率いたことがあるアルベルト・ザッケローニ監督だった。希代の戦術家として知られたザックの就任初戦だった平成22(2010)年10月のアルゼンチン戦で、フレッシュな日本はメッシ擁する強豪を1-0で一蹴。これで「史上最強」の呼び声が一気に高まっていく。

 その評価をさらに高めたのが、翌年1月のアジアカップ。日本は序盤から大苦戦を強いられながらも勝ち上がり、宿敵・韓国を準決勝で下し、ファイナルでオーストラリアを延長の末に撃破。2大会ぶりのアジア王者に輝いたのだ。

 この大会で22歳の吉田麻也が新たな守備の要として使えるメドが立ち、MVPに輝いた本田も頼もしいエースに飛躍するなど、新生ジャパンには凄まじい勢いが感じられた。

早すぎた成功の代償

 しかしながら、早すぎる成功がザックの選手起用を硬直化させてしまう。ここからブラジル切符を手にした最終予選・オーストラリア戦までの約2年半、指揮官はほぼ主力を固定。「メンバー表が配られなくてもスタメンが分かる」と報道陣に揶揄されるような状況が続いた。

 もちろん平成24(2012)年ロンドン五輪世代の清武弘嗣や酒井高徳らはしばしば起用されるケースがあったが、核となる陣容は一緒。それだけ指揮官は自信を持っていたのだろう。

 だが、そのメンバーで挑んだ平成25(2013)年のコンフェデレーションズカップで3戦全敗の屈辱を味わうと、突如として新戦力探しをスタート。同年8月の東アジア選手権で活躍した柿谷曜一朗や山口蛍、森重真人、青山敏弘らを大量抜擢し、急ピッチで融合させることになる。

 そんな矢先の10月の欧州遠征で連敗すると、今度は「ボールを保持し、主導権を握って攻める」というスタイルを問い直すことになってしまう。内田のように「勝つためには形は関係ない」と考える者がいる一方で、本田や遠藤保仁のように自分流に固執する人間もいて、チームが混迷を深めていった。

 それでも、11月のオランダ・ベルギーとの連戦に善戦したことで、チームは浮上のきっかけをつかんだかと思われた。ワールドカップイヤー突入後もニュージーランドやキプロス、コスタリカ、ザンビアに4連勝し、指揮官も前向きになっていた。

 この年に入ってから長期離脱を余儀なくされた長谷部と内田がギリギリ間に合い、大久保嘉人というラストピースを加えたことも、楽観ムードを後押しした部分があっただろう。

勝負を分けた4分間の悪夢

 迎えた6月14日のブラジル本大会初戦・コートジボワール戦。開始16分に本田のワールドクラスのゴールで先制したところまではまさにシナリオ通りだった。が、徐々に相手の圧力に押されるようになり、日本は苦戦を余儀なくされた。

 そして勝負の大きな分かれ目になったのが、後半17分のディディエ・ドログバの登場だ。世界トップFWの一挙手一投足に吉田と森重の両センターバックが翻弄され始め、彼の登場2分後にヴィルフィルド・ボニーに同点弾を浴びると、さらに2分後にはジョルビーニョに逆転ゴールを許してしまう。

 わずか4分間の出来事に日本は手も足も出ず、初戦黒星という最悪のスタートを強いられたのだ。

 19日の第2戦・ギリシャ戦は絶対に負けられない重要な一戦となった。そこでザックは就任時から絶大な信頼を寄せてきた香川を外すという大胆采配に打って出る。平成24(2012)年夏にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍し、日本人初のプレミアリーグ王者の一員となった彼だが、ワールドカップ直前のシーズンは出場機会が減り、ゴールもゼロという屈辱を味わっていた。

 コートジボワール戦もコンディションが上がり切らず、精彩を欠いていた。それでも就任当初から「キミは(アレッサンドロ・)デルピエロになれる」と寵愛し、左サイドに据え続けてきた10番をこの期に及んで外すとは、指揮官の乱心が透けて見えた。

同じ過ちを繰り返す

 代役左サイドに岡崎慎司(レスター)を置いたのも想定外だった。当時所属していたマインツで1トップを張り、シーズン2ケタ得点をマークした彼は、ザックジャパンでは長い間、右サイドで黒子の役割に徹してきた。そんな彼をトップで使うならともかく、一度もやったことのない左サイドとは、本人も戸惑いを覚えたに違いない。

 右に大久保が入ったこともどう感じただろう。いずれにしてもチームは戦う前から不穏な空気に包まれていたのだ。

 立ち上がりこそ積極的に仕掛けた日本だが、前半38分にコンスタンティノス・カツラニスが2度目の警告を受けて退場し、日本が数的優位に立ったことで流れがガラリと変わった。堅守速攻に絶対的自信を持つギリシャは引き分け狙いにシフトし、ゴール前をガッチリと固めてきた。

 そうなるとさすがの日本もそう簡単には崩せない。後半から遠藤と香川という持てる駒を次々と投入しても状況は変わらない。後半23分に内田が送った絶妙クロスも大久保が外してしまう。そして結末はまさかのスコアレスドロー。最下位に沈んだ日本は1次リーグ敗退濃厚となった。

 奇跡を起こすためには、24日の最終戦・コロンビア戦で勝つことが最低条件。しかし決戦の地・クイアバはコロンビア国境に近い町で、試合開始の16時も凄まじい暑さだった。

 前日午後に現地入りした選手たちは涼しいベースキャンプ地・イトゥとの違いに戸惑った。が、暑熱対策をしている暇はない。イトゥからレシフェ、ナタル、クイアバに長距離移動するだけでも大変なのに、気候の差にフィットする余裕はなかった。「キャンプ地選定ミス」を日本サッカー協会は後に認めたが、まさに2006年ドイツと同じ過ちを繰り返してしまったのである。

本田「自分の責任は重い」

 崖っぷちに立たされた中でも、日本は序盤から攻めに行った。1トップの大久保、ボランチに入った青山も奮闘した。だが、前半17分に今野泰幸がアドリアン・ラモスを倒していきなりPKを献上。これをフアン・クアドラードに決められ、早くもビハインドを背負うことになる。

 それでも前半終了間際に本田の右クロスを岡崎が泥臭いヘッドでゴール。1-1の同点に追いついてハーフタイムに突入する。この時点ではまだ突破の可能性がかすかに残されていた。

 その希望を粉々に打ち砕いたのが、ハメス・ロドリゲスだった。「10番をつけた彼は本物のスター」と今野や青山が口を揃えたように、後半頭から彼が出てきて何もかもが変わり、日本は瞬く間に3失点。終わってみれば1-4で完敗を喫していた。

 青山が「ここで世界レベルを知るのは遅すぎる」と号泣し、本田が「優勝と言ってみんなを煽ってきた自分の責任は重い」と反省の弁を口にしたように、誰もが打ちひしがれるグループ最下位という結果だった。

 所属クラブも史上最高レベルの集団がここまでズタズタにされた要因を挙げるなら、ザックのメンバー固定、主導権を握るスタイルへの強すぎるこだわり、大会直前の過度な走り込み、キャンプ地の選定とコンディショニングの失敗などいくつかある。

 しかし、これだけの選手を揃えていたのだから、本当に何とかならなかったのか。この悔しさが結果的にロシアつながるのだが、できればブラジルでの日本代表の大成功を見たかった。

(文・元川悦子)

【了】

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