2000安打を目前に引退した男たち… 谷、井端ら名選手たちの引き際

5月29日(水)7時5分 フルカウント

1978年に「日本プロ野球名球会」が誕生、2000安打、200勝が入会基準に

 2000本安打が打者の大きな勲章になったのは、1978年7月に「日本プロ野球名球会」が誕生し、その入会基準に200勝とともに2000本安打が制定されてからだ。

「名球会」が創設された時点で、入会基準を満たしていた打者は以下の10人だった。達成日順。

山内一弘(阪神) 1967年10年月14日
榎本喜八(東京) 1968年7年月21日
野村克也(南海) 1970年10年月18日
長嶋茂雄(巨人) 1971年5年月25日
広瀬叔功(南海) 1972年7年月1日
張本勲(東映) 1972年8年月19日
王貞治(巨人) 1974年8年月4日
江藤慎一(太平洋) 1975年9年月6日
土井正博(クラウン) 1977年7年月5日
高木守道(中日) 1978年4年月5日

 このうち榎本喜八は入会せず。野村克也以降の選手のうち長嶋茂雄を除く選手がまだ現役。また、1956年5年月31日に日本最初の2000本安打を達成した川上哲治(巨人)は、大正生まれだったために「昭和生まれ」という基準から外れ、名球会には入っていない。

 この時点で1900本代の安打で引退していた選手が3人いる。()は実働。

飯田徳治 1978安打(1947-1963)
毒島章一 1977安打(1954-1971)
小玉明利 1963安打(1954-1969)

 飯田徳治は南海の主力打者、野村克也の台頭と入れ違いで国鉄に移籍し、投の金田正一とともにスワローズの看板となったが、1963年に引退。2000本まであと22本だった、少し頑張っていれば、川上哲治に次ぐ2人目の2000本安打は飯田のはずだった(大正生まれのため名球会には入らない)。「仏の徳さん」と言われる無欲恬淡とした性格でもあり、大台にはこだわらなかった。打点王2回、盗塁王1回、MVPも受賞し、殿堂入りしている。

 毒島は東映の名リードオフマン。張本勲、大杉勝男、白仁天らと強力打線を組んだ。最多三塁打3回、通算三塁打記録を長く保持していた。毒島は2000本安打に大いに意欲を持っていたが、1971年にはコーチ兼任となった。出場は偵察メンバーとしてだけ。記者が東映の田宮謙治郎監督に「あと23本ですが」と聞くと「もう2000本打ったようなもんじゃないか」と言ったという。

 今年5月19日に逝去した小玉は近鉄の最多安打記録(1877安打)を持つ好打者だが、1967年にプレイングマネージャーになったものの最下位になり、翌年阪神に移籍。阪神では、正三塁手のポジションを開けて小玉を迎えたが、打撃不振に陥ったために2000本に届かず。生え抜きの近鉄であれば、チャンスを与えられたかもしれないが、阪神ではそうはいかず2年で引退した。

阪急、オリックス、ダイエーでプレーした松永浩美は1904安打で引退

 名球会が創設されてから、1900本代で引退する選手は永らく出なかった。以後で最初に1900本代で引退したのは、1997年の松永浩美だ。

松永浩美 1904安打(1981-1997)

松永は阪急、オリックスの中軸打者。「史上最高のスイッチヒッター」と呼ばれた、盗塁王1回。ベストナイン5回、ゴールデングラブ4回。1993年トレードで阪神に移籍。大いに期待されたが故障などで結果が残せず翌年にはFA移籍でダイエーへ。1年目は3割を打ったが、翌年から成績が下落し、2000本まで96本を残して97年に引退。

 松永は引退後、プロ野球OB選手によるマスターズリーグに参加。福岡ドンタクズでプレーし、2006年11月25日、96安打目を打ちNPBから通算で2000本安打を達成(最終的には2003安打)。名球会は一時期、松永を「名誉会員」と認定したが、その後マスターズリーグが中断され、名球会自身も組織の変更があったため、今は名球会に松永の名前はない。

 そこからまた時間が空いたが、2015年に1900本代で2人の打者が引退した。

谷佳知 1928安打(1997-2015)
井端弘和 1912安打(1998-2015)

 谷佳知は、オリックス時代に安打製造機と称されたが、2006年にトレードで巨人に移籍。移籍1年目は3割を打ったものの、以後、成績が徐々に下落。40歳の2013年オフに戦力外となり、翌年通算1921安打で古巣オリックスに復帰。しかしあと72本を残して引退した。

 井端は中日で、荒木雅博と史上屈指の二遊間と言われた「アライバコンビ」を組んだが、2013年オフに契約を解除され巨人に。控えの内野手としてプレーしたが、大学時代からの盟友、高橋由伸が現役引退し、監督就任するのに伴い、引退してコーチとなった。相棒の荒木が2017年に2000本安打を達成したことを考えると、もう少し現役プレーする姿を見たかった

 1900本代は以後出ていないが、昨年も村田修一(元巨人、当時BCリーグ栃木)が、通算1865安打で引退している。

「もう少しで2000本安打」で引退した選手のうち、毒島を除く5人が「移籍」を経験している。生え抜き選手でなくなったために、「成績が落ちても2000本安打まで頑張る」ことができなくなったというところか。2000本安打をめぐる悲喜こもごものドラマは今後も続くことだろう。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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