開幕までに知識を増やそう。カーナンバーとチーム名の由来を知る:JLOC

2020年6月1日(月)22時18分 AUTOSPORT web

 新型コロナウイルスの感染拡大に揺れる国内モータースポーツ界。2020年はGT500クラスへのクラス1車両の導入、年間2戦の海外開催、熾烈さを増すGT300クラスなど数多くのトピックスがあったスーパーGTも、開幕から5戦が延期となってしまった。ただ7月の開幕を前に、ちょっぴり知識をつけておけば、来たる開幕がより楽しく迎えられるはずだ。そこで、不定期連載となるがスーパーGT参戦チームのチーム名とカーナンバーの由来をお届けしよう。第39回目は、GT300クラスに参戦するJLOCだ。


■JLOC


#87
マシン:T-DASH ランボルギーニ GT3
ドライバー:元嶋佑弥/デニス・リンド
カーナンバー:87
監督:則竹功雄
タイヤ:ヨコハマ


#88
マシン:JLOC ランボルギーニ GT3
ドライバー:小暮卓史/アンドレ・クート
カーナンバー:88
監督:則竹功雄
タイヤ:ヨコハマ


 1994年にスタートしたJGTC全日本GT選手権。当時は国内外の多種多様なGTカーが集うレースとして始まったが、そのなかでも注目を集めていたのがスーパーカーブームを代表する一台、ランボルギーニ・カウンタックだった。このマシンを走らせたのが、今もスーパーGTに飽くなき挑戦を続けるJLOCだ。


 JLOCのチーム名は、『ジャパン・ランボルギーニ・オーナーズ・クラブ』の頭文字をとったもの。その名のとおり、ランボルギーニのオーナーズクラブだ。1980年代前半にJLOCは誕生し、関西を中心に運営されていたが、その後しばらくクラブは中断する。ただ、イタリアのアウトモビリ・ランボルギーニからは「日本にそのようなクラブがあるのであれば、ぜひ続けてほしい」と要望を受け、クラブ発足時から会員で、現在も代表としてチームを率いる則竹功雄氏が、当時のランボルギーニオーナーたちに声をかけ1987年に現在のJLOCが生まれ、則竹氏が会長に就任した。


 則竹会長は、1980年代初頭にまだ日本でランボルギーニ車が良好なメンテナンスを受けられなかったころ、多くのオーナーが苦労していたことを知っている人物。則竹会長自身も「エンジンの修理パーツがとても高額であるのみならず、手に入れることすら困難な時期で、車を良好な状態に保つことが大変な時期でもありました」という。そんななか、ランボルギーニ社に手紙を送ったところ、幸運にも半年後に日本のいちオーナーに対して返信が届き、それがきっかけで今日まで至るランボルギーニとの良好な関係が築かれたのだという。


 1994年、JGTC参戦に向けJLOC会員で、寺井エンジニアリングを率いていた故寺井輝昭氏がレース活動に向け動きはじめ、同じくJLOC会員でGENROQ編集長だった明嵐正彦氏をチーム代表に迎え、マシン製作に乗り出していた。


 ただ、当初予定していたマシンはなかなか完成せず、JGTC開幕戦の富士へ間に合わすべく、アートスポーツからノーマルのカウンタックを提供され、わずかな改造のみで出場。漫画『サーキットの狼』作者で、スーパーカーブームの火付け役である池沢さとしと和田孝夫が組んだレインX・アート・カウンタックは1994年のJGTCに登場した。


 当然ながら国産GTマシンはパフォーマンスが高く、しかもランボルギーニはF1のエンジン供給をのぞけば、本格的にサーキットレースを戦っていたメーカーではなかったが、1993年にF1活動を終えたランボルギーニF1チームに則竹が相談し、ランボルギーニ社から支援を受けられるようになった。


 1995年からはマシンをディアブロ・イオタにスイッチし、さらに97年にはディアブロGTRを、98年にはディアブロGT-1とランボルギーニのワンオフマシンを投入するが、国産GT500マシンたちの壁は高い。2001年には、初めてのJGTC専用マシンであるディアブロJGT-1を投入。さらに2004年には、ランボルギーニ・ムルシェラゴRG-1を投入した。


 しかし、JGTC参戦当初から参戦を続けていたGT500クラスは先鋭化が進み、ランボルギーニがGT1レース向けに開発したRG-1と言えど好結果を望むことは難しかった。そこで2005年第6戦から、1台のムルシェラゴをGT300クラスに投入。さらに最終戦には、GT500で88号車だったマシンを86号車にスイッチし、GT300で2台体制を敷いた。


 このスイッチは、2006年第1戦鈴鹿で見事に実を結ぶ。マルコ・アピチェラ/桧井保孝組88号車が見事優勝。ランボルギーニ車によるレースでの国際格式レースでの世界初勝利という快挙を達成したのだ。いまやGTカーレースの世界でお馴染みのランボルギーニだが、このJLOCの勝利がランボルギーニ本体にとっても大きな喜びとなり、その後のモータースポーツ活動に繋がったと言われている。ムルシェラゴは、2009年まで活躍した。


 2007年からは、新たにオリジナルマシンのガイヤルドRG-3を投入。また2012年からは、GT3カーの増加にともないドイツのライター・エンジニアリング製ガイヤルドGT3を投入。LP600+やFL2などさまざまなバージョンも投じられた。


 そして2016年からは、現在も活躍するウラカンGT3にスイッチ。いまやGT300のトップチームのひとつとして長き伝統と成績を誇るだけではなく、ランボルギーニのモータースポーツ部門であるスクアドラ・コルセとの信頼関係をもつ。また名前を挙げればきりがないほど、いまもトップドライバーとして活躍する多くの若手ドライバーにチャンスを与えてきた。また、その美しいスタイルとサウンドで本場のファンも虜にしたル・マン24時間の挑戦など、海外にもその名を轟かせている。


 そんなJLOCのエースナンバーは、JGTC参戦初年度から続く伝統の『88』だ。これを基本に『87』、『86』、『85』までが使用された(ムルシェラゴ時代には、トリプルエー出版のスポンサードで『66』を使ったこともある)。


 この由来は、1987年に誕生した現在のJLOCの初めてのオーナーズミーティングが、1988年に浜名湖で開催されたことからきているという。当時のメンバーたちの思いを繋げ、そして末広がりの『8』がふたつ重なる縁起が良い番号であることから、今も変わらず使用されている。


 2019年はタイトルも争い、今季は新たに87号車に元嶋佑弥とランボルギーニファクトリードライバーのデニス・リンド、88号車に小暮卓史とアンドレ・クートという強力なラインアップを敷くJLOC。ランボルギーニも厚い信頼を寄せるチームは、今季もGT300の主役の1チームとして活躍しそうだ。

2020年のスーパーGTに挑むJLOC ランボルギーニ GT3
2020年のスーパーGTに挑むT-DASH ランボルギーニ GT3
1994年のJGTCに参戦したレインX・アート・カウンタック
1996年のJGTCに参戦したタムラディアブロイオタ
1988年のウェディングディアブロ GT-1
2001年のノマド ディアブロ JGT-1
2006年スーパーGT第1戦鈴鹿 GT300優勝を飾ったアクティオ ムルシェ RG-1
2006年スーパーGT第1戦鈴鹿 GT300優勝を飾ったアクティオ ムルシェ RG-1のマルコ・アピチェラと桧井保孝
2014年スーパーGT第4戦SUGO 織戸学/青木孝行組マネパ ランボルギーニ GT3が優勝を飾った。
2014年スーパーGT第4戦SUGO 織戸学/青木孝行組マネパ ランボルギーニ GT3が優勝を飾った。
2019年スーパーGT第5戦富士 優勝した高橋翼/アンドレ・クート/藤波清斗組T-DASH ランボルギーニ GT3


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