アビスパ福岡、J1通算100勝400得点間近!知っておくべきクラブ史

2023年6月1日(木)18時0分 FOOTBALL TRIBE

写真:Getty Images

2023明治安田生命J1リーグで奮闘を続け、5月28日の第15節終了時点で10位につけるアビスパ福岡。


1996年にJリーグへ参入した福岡は、1つの節目であるJ1リーグ通算100勝、さらに通算400得点達成まで共にあと「1」と迫っている。ここでは、紆余曲折あったアビスパ福岡の歴史を振り返る。




アビスパ福岡 ベスト電器スタジアム 写真:Getty Images

Jリーグ参入まで


今年30周年を迎えたJリーグは1993年にスタート。通称「オリジナル10」と呼ばれる初年度の10クラブの中に九州勢はなく、最も西のクラブは広島県に本拠地を置くサンフレッチェ広島だった。日本列島がJリーグブームに沸くさなか、九州の多くの人たちにとってはテレビの中の出来事。なかば蚊帳の外だった。


そんななか1993年に、福岡青年会議所や福岡県サッカー協会を中心として「福岡にサッカーチームを」という誘致活動が起こる。ブームの後押しもあり、あっという間に約50万人の署名が集まった。さらに1995年に福岡で開催された大学生のオリンピック「ユニバーシアード」の会場として博多の森球技場(現ベスト電器スタジアム)が建設され、Jリーグの基準を満たすハード面は整っていく。


一方「Jリーグ準会員」となったものの基準を満たすスタジアムがなく、短期間でのJリーグ参入は難しい状況のクラブがあった。静岡県藤枝市に本拠地を置いていた、中央防犯サッカー部を前身とする中央防犯FC藤枝ブルックスである。Jクラブが欲しい福岡と、Jリーグに参入したい藤枝ブルックス。両者の思惑が重なり、クラブは1995シーズン福岡市へ移転。福岡ブルックスに改名し、JFLで24勝6敗の成績を残し優勝。1シーズンで駆け抜けてJリーグ参入を達成し、参入と同時にアビスパ福岡に改称した。




Jリーグ旗 写真:Getty Images

下位が定位置だった90年代


ただ、日本サッカー最高峰のJリーグはやはりレベルが高かった。1年目の1996年から15位(16チーム中)、最下位(17チーム中)、最下位(18位チーム中)、14位(16チーム中)と4年続けて下位の常連だった福岡。当時小学生だった筆者は「勝てないのが当たり前、勝てたらラッキー」という感覚でスタジアムに通っていたものだ。


1998年の最下位時にはJ1参入決定戦へ。これは1999年をJ1リーグ、もしくはこの年からスタートするJ2リーグ、どちらで迎えるかを賭けたトーナメントである。初戦で川崎フロンターレ(当時JFL)と対戦した福岡は、のちに日本代表にも選出されるFW山下芳輝の後半ロスタイム弾で追い付き、延長戦で勝利。「神を見た夜」と呼ばれ、現在でも語られる伝説の一戦となっている。


この時はなんとかJ1に踏みとどまり、その後もギリギリでの残留を繰り返したことで、受験生に「落ちないグッズ」が売れるという経験もした。明け透けに言えば、紙一重でJ1にいるクラブだった。




MFダビド・ビスコンティ(左)横浜マリノス所属時 写真:Getty Images

今でも語り草の2000年2ndステージ


そんな当時の福岡が唯一ともいうべき躍進を遂げたのが、ネストール・オマール・ピッコリ監督が就任した2000年のチームだ。当時のJリーグは2ステージ制で実施されており、1stステージは14位(16チーム中)。それでもキャンプからフィジカルトレーニングを重視し、徐々に「戦う集団」へと変貌を遂げ、2ndステージに花開く。


当時J1で2強と言われた、鹿島アントラーズに引き分け、ジュビロ磐田には勝利した福岡。終盤まで優勝争いに絡んでみせたのだ。最後に3連敗と息切れして2ndステージ6位で終えたものの、20年以上経った今もなおサポーターに語られるチームであった。新加入の高卒ルーキーDF平島崇、MFダビド・ビスコンティらが活躍した。


元アビスパ福岡 DF冨安健洋 写真:Getty Images

通称「5年周期」の始まり


2000年の躍進でその後の活躍を期待させたものの、翌年には16チーム中15位であえなくJ2降格となった福岡。そこからは通称「5年周期」と呼ばれた「4年かけてJ1に昇格し1年でJ2降格」というサイクルを繰り返すことになる。


2005年、松田浩監督(現テゲバジャーロ宮崎監督)が若手選手を積極的に起用し、ゾーンディフェンスとディシプリン(規律)を重視したサッカーでJ1昇格したものの、翌年降格。


2010年、篠田善之監督(現ヴァンフォーレ甲府監督)が豊富とはいえない戦力を巧みにやりくりし、J1昇格を達成したものの補強が進まず、翌年降格。


2015年、井原正巳監督(現柏レイソル監督)が守備を整備し、DF冨安健洋(現アーセナル)やGK中村航輔(現ポルティモネンセ)らの活躍もあって3位でJ1昇格プレーオフに進出。準決勝でV・ファーレン長崎に勝利し、決勝ではDF中村北斗の劇的ゴールでセレッソ大阪と引き分けてJ1昇格を果たす。ところが、翌年J1最下位でまたもや降格。


2020年、現在も指揮を執る長谷部茂利監督がJ1昇格に導いたことを含めて、実に20年もの間、このサイクルは続いた。




アビスパ福岡のサポーター 写真:Getty Images

クラブ存続の危機も


また、2013年10月に発覚した経営難についても触れなければならないだろう。運営資金約5,000万円が不足し、クラブははっきりと存続の危機に立たされたのだ。辛子明太子を生み出した「株式会社ふくや」や、地元サポーター、他クラブのサポーターも含めた支援のおかげでこの危機を乗り越えたからこそ、今があることを忘れてはならない。


筆者はこの時の経験によって「クラブがあること」の幸せをこの上ないほどに痛感した。各クラブはライバル関係ではあるが、今後1つたりとも消滅することなく、ともにリーグを盛り上げる存在でありたいものだ。




アビスパ福岡 MF前寛之 写真:Getty Images

2021シーズンの歓喜


20年間もの「5年周期」や経営難を経たこともあり、2度目の躍進となった2021年は古くからのサポーターにとってほど感慨深いシーズンとなった。前評判は低く、多くの有識者にJ2降格を予想されていたものの、ようやくJ1残留を果たしたのである。


J1にアジャストできていなかったシーズン序盤戦は苦戦したが、堅守を武器に第10節から第15節には6連勝を飾るなど、終わってみれば8位でトップハーフ入り。長きにわたる「5年周期」を終わらせると、翌2022年も残留に成功した。今季も第15節終了時点で10位と、リーグ全体における予算規模や観客動員数を考えると上出来な位置にいる。




ポートFC 写真:Getty Images

次なる200勝に向けて


このような良い流れで、現在福岡がJ1通算100勝まで「1」に迫っているのは素晴らしいことだ。長年の低迷による福岡県民への浸透や観客動員数の低迷、債務超過などの課題はあるが、いずれも徐々に改善傾向にある。


地元福岡県出身選手の増加や、地元の強豪校との関係構築、5月29日に発表されたばかりのタイリーグ1部のポートFCとのパートナーシップ締結など、クラブは新たなステージを見据えて進み続けている。


まもなく達成するであろう100勝目は、どのような景色だろうか。次の200勝目までの道中は、どのような行程を辿るだろうか。

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