大谷翔平のほろ苦い甲子園デビュー。150キロ計測も帝京4番松本剛に決勝打

6月5日(金)11時30分 Sportiva

こんな対決あったのか!
高校野球レア勝負@甲子園
第5回 2011年夏
大谷翔平(花巻東)×松本剛(帝京)

 2011年夏、第93回全国高等学校野球選手権大会1回戦の花巻東と帝京の一戦。右翼手として先発出場していた花巻東の2年生エース・大谷翔平(現・エンゼルス)が、黄色のグラブに持ち替えマウンドに上がったのは4回表。点差を広げられ、なおも一死一、三塁とピンチが続く場面だった。大谷の投手としての甲子園デビューに球場が沸いた。

大谷翔平にとってほろ苦い甲子園デビューとなった
 この大舞台で初めて対戦する打者は帝京の4番打者であり、右の強打者としてプロから熱視線を浴びていた松本剛(現・日本ハム)だった。
 その初球、148キロのストレートをとらえた打球はライトへの犠飛となり、帝京に貴重な追加点が入った。その後も大谷は連続四球と暴投などで二死満塁のピンチを招くが、なんとかしのいで松本の犠飛による1点だけに抑える。
 5回表には150キロを記録し、2005年夏に駒大苫小牧の田中将大(現・ヤンキース)がマークした2年生投手としての甲子園最速記録に並んだ。しかし、大谷の顔が晴れることはなかった。
 大谷は岩手県大会直前の練習試合で左足に違和感を覚えた。患部の痛みは肉離れによるものだと思われていたが、甲子園後の検査で骨端線損傷という大きなケガだったことが判明。いずれにしても、帝京戦での大谷は万全な状態ではなかった。

 投球時のストライドを通常よりも狭め、下半身に負担がかからないフォームで投げ続けたが、本来のボールではないことは明らかだった。そんな状態でありながら150キロを出すあたり、あらためて大谷のポテンシャルの高さを見せつけられたが、常にストレスを抱えたままのピッチングを強いられた。
「腰を落とすと痛くて……下半身を使えずに上半身だけのピッチングになってしまいました」
 試合前、取り囲む報道陣に対して放った「3日前に100%に近い状態に戻りました」という言葉は精一杯の強がりだったのか。150キロを叩き出した5回表も、帝京の1年生捕手で9番に座る石川亮(現・日本ハム)の安打を皮切りに2点を失った。
 そんな流れのなかで迎えた6回裏、大谷は同点打となる強烈なレフトフェンス直撃の一打を放つ。それは打者としての能力の高さを証明するものであり、「絶対に負けられない」という意地の表れでもあった。
 だが直後の7回表、大谷は石川に143キロのストレートを左中間に運ばれ無死二塁とピンチを背負う。その後、二死一、三塁となり4番の松本が打席に立つ。
 大谷は1ボール2ストライクと投手優位のカウントに持ち込むが、4球目の146キロのストレートをライト前に運ばれた。4番とはいえ「長距離砲ではない」と自覚していた松本は、普段からシャープにスイングすることを心がけていた。この時も強引に打ちにいくのではなく、ミートすることを最優先したバッティングだった。


帝京の4番として2安打2打点の活躍を見せた松本剛
 結局、これが決勝打となり、帝京が8−7で花巻東に勝利した。試合後、松本は大谷との対決をこう振り返った。
「(ストレートは)速いと思ったけど、打てないとは思わなかった」
 一方の大谷はこんなコメントを残し、涙ながらに甲子園を去った。
「体の状態に関係なく、自分の力がなかった。もっと大きくなって甲子園に戻ってきたい」
 3時間6分の死闘を繰り広げた大谷、松本、石川の3人は、のちに日本ハムに入団し、チームメイトとして戦った。
 ちなみに、翌年春のセンバツでも甲子園出場を果たした大谷だったが、初戦で藤浪晋太郎(現・阪神)擁する大阪桐蔭の前に敗退。花巻東のメンバーとして甲子園で勝利を挙げることは叶わなかった。

Sportiva

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