【忘れがたき銘車たち】“ラリーの三菱”がサーキットでも速さを魅せる『グループA 三菱スタリオン』

2021年6月8日(火)7時0分 AUTOSPORT web

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、グループAレースに参戦した三菱スタリオンです。


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 先日、かつて三菱自動車のモータースポーツ活動を担っていた『ラリーアート』ブランドの復活が発表された。復活してどんな活動をするのか……現時点では具体的な内容は示されていないが、ラリーアート、三菱といえばラリーのイメージが強いというファンも多いだろう。


 だが、三菱はサーキットレースへも積極的に参戦していた。1960年代の『コルトF2』によるフォーミュラレースへの挑戦や、1971年の『コルトF2000』での日本GP制覇、さらに三菱500などによるツーリングカーレース活動など、その活動例はさまざまだ。


 そのなかでも1980年代、三菱スタリオンが見せたグループAレースでの活躍を覚えている方も多いのではないだろうか。


 スタリオンは、1982年に市販車が発売されると、まずはイギリスやアメリカなど海外のツーリングカーレースへとエントリーした。その後1984年には、英国BTCCでシリーズ4位に入るなど活躍を見せていた。


 そんなスタリオンが日本のレースに上陸したのは、1985年のインターTECでのこと。このインターTECでは、ボルボ240ターボが段違いの速さを見せて他を圧倒していたが、スタリオンは予選で、そのボルボ勢に続く予選3、4番手グリッドを獲得。


 決勝でもスタリオンは、ハルトゲBMW635CSiには先行されてしまったものの、1台が4位でフィニッシュを果たし、デビュー戦で上々の戦績を残した。


 翌1986年には、全日本ツーリングカー選手権(JTC)へとフル参戦。第3戦筑波で行われたレース・ド・ニッポンで1勝をマークすると、前年に引き続きインターTECで輝きを見せる。


 予選で中谷明彦のドライブするスタリオンが、トム・ウォーキンショー・レーシングの走らせる2台のジャガーXJSに割って入り、2番手グリッドを獲得したのだ。


 決勝ではリタイアに終わってしまうものの、前年のレースでは大きく差をつけられた外国車勢を慌てさせるほどの速さをアピールした。


 さらに、その翌年の1987年には開幕2連勝をマークするなど、高いポテンシャルで継続して強さを発揮していたが、1988年になると戦績は降下。同年いっぱいで日本のグループAからは姿を消すことになる。


 しかし、スタリオンが退いてからも、三菱はサーキットレースに関わることを止めず、シリーズ開始がスタリオン初参戦と同年であるミラージュカップやフォーミュラ・ミラージュ、N1耐久のギャランやGTO、全日本GT選手権のFTO、スーパー耐久のランサー・エボリューションと脈々と続いていくことになる(三菱ワークスとしての活動ばかりではないが……)。


 少々無理矢理かもしれないが、ラリーに目を向けていた三菱が1970年代前半以来、久々にサーキットレースでの活動にも力を入れる。そんなきっかけのひとつと思うと、グループAのスタリオンは偉大な1台だったと言えるのではないだろうか。

予選2番手を獲得した1986年のインターTEC。後方にはホールデンや前年覇者ボルボなど外国車勢を従えている。だが1時間を過ぎたころ、エンジントラブルによって無念のリタイア。

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