元マリノス・山田隆裕氏 メロンパン販売を経てバー経営者に

6月15日(金)7時0分 NEWSポストセブン

「サッカー界しか知らずに死んでいく人生は嫌だと思った」(撮影/渡辺利博)

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「あのとき、俺が出てたら勝ってましたよ。誰よりも自分が上手いと思ってましたから」


 山田隆裕(46)は、静かに丁寧な口調で話す。「あの時」とは、1993年アメリカW杯アジア最終予選イラク戦。いわゆる“ドーハの悲劇”だ。山田はその前に代表を辞退していた。


「後半残り10分くらいでゴン(中山雅史)さんとの交代で武田(修宏)さんが出たけど、あのとき俺がメンバーにいて出ていれば……そう思っている人がいっぱいいると思いますよ(笑い)。でも、ドーハ組はバランスも良く一番強かった。


 あの頃、なんで俺が呼ばれるのか意味がわかんなかったです。試合には出してくれないしスタッフからの説明もない。お金が必要だったので最終予選を辞退したんです。……というのも当時のマリノスは代表に呼ばれると、その間は優遇措置もなく、試合を休んだ分だけマイナス査定だったんです。使ってもらえないし給料は減るから代表に行きたくない。呼ぶなよって感じでした」


 中学2年のとき父親が事業に失敗、1億近い借金ができた。父親は蒸発。母、姉、隆裕の3人は一時バラバラに暮らした。とにかく借金を返すため、山田は金を稼ぐことを第一とした。


「サッカーがお金を稼げる仕事だったというだけで、他に稼げる仕事があったらそっちにいってました。引退後も悠々自適に暮らせるほど報酬を貰っていたわけではなかったので、現役中から常に起業を考えてましたね。それで、たまたま大阪の知り合いがメロンパンの移動販売をやっていた。僕がフランチャイズ化したら一気に広がりました」


 31歳で引退後、仙台市内でメロンパンの移動販売に転身するとこれが大当たり。1日2400個を売り上げ、2年後には20店舗に拡大。順風満帆に思えた。


「でも2009年、パンの生地を変えて売り上げが落ちたってことでフランチャイズのオーナーたちから裁判を起こされて廃業。まあ色々勉強になりました。それからは講演活動をしながら、ダイエットを兼ねて新聞配達やったり、知り合いの焼き鳥屋を手伝ったりもしましたね。焼き鳥に塩を振るの、上手いですよ」


 山田は、この春から西新宿にあるアイリッシュパブ「Peter Cole本店」のグランドマネージャーをしている。


「日本戦はパブリックビューイングをやるので、ぜひお店でみんなで応援しましょう」


■やまだ・たかひろ/1972年4月29日生まれ、大阪府出身。FW、MF。清水商業からマリノス入団。20歳で代表に呼ばれ、Jリーグ黎明期のスターとして脚光を浴びる。引退後は実業家として活躍し、現在は飲食店のグランドマネージャー。代表キャップ数1。


※週刊ポスト2018年6月22日号

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