錦織圭、身長の低さを有利に転じた一手。GS通算99勝の経験値が生きた

7月1日(木)16時5分 Sportiva

 グランドスラム通算勝ち星が区切りに到達し、その感想を問われた錦織圭が「しょぼいですね」と恥ずかしそうに笑ったのは、30勝の時だったか......。

 以降も50勝などのマイルストーンに到るたび、彼は「申し訳ないんですが、なんとも思わなくて」の言葉を繰り返してきた。第三者によって人工的な意味を付与された数字には、まるで関心がないようだった。

【写真】松岡修造以来のウインブルドンベスト8進出を果たした錦織圭


2年ぶりのウインブルドンを初戦突破した錦織圭
 2021年のウインブルドン。1回戦でアレクセイ・ポピリン(オーストラリア)から手にした勝利は、錦織のキャリアに"グランドスラム通算100勝"の金字塔を打ち立てる。

 そしてやはりこの時も、錦織本人は「いや、何も感じません。なんと答えれば正解なのか、わかりません」と、少しばかり、すまなそうに顔をしかめる。

「ただ......」と、なにか思い当たることがあったのか、そこから言葉をつないでいった。

「今日の試合などを見ると、経験の差が出たかなとは思います。彼はハードやクレーだったらもっといい試合ができるけれど、芝の経験がまだあまりない。芝だと動きがそこまで良くなかったりミスがあったり。いい選手ですが、芝だとまだ良さが出せていないのかなと思いました」

 今季ツアー初優勝も手にしている伸び盛りの21歳を、どこか気遣うかのような発言。それは純粋に錦織が、芝の上で打ち合い感じた彼我の戦力差であり、自身の優位性だったのだろう。

 今年のウインブルドンは、クレーから芝への適応がいかに困難であるかを、あらためて世に知らしめる試合で幕を開けた。

 全仏オープン準優勝者のステファノス・チチパス(ギリシャ)が初戦でストレート敗退。赤土の上ではあれほどに猛威を誇った勇猛な片手バックハンドが、芝ではまったくタイミングが合わない。

「クレーから芝への移行期は、この競技で最大のチャレンジだ」

 前哨戦に出ることなくウインブルドンに挑み敗北した22歳のチチパスは、呆然とそうこぼした。

 錦織にしても、2年ぶりとなる今年のウインブルドンの前に芝でこなしたのは、2試合のみである。ただ、勢いに乗る若手たちと違うのは、錦織には過去にこの"聖地"で31試合を戦ってきた経験があることだ。

 そのなかには、ミドルサンデーを挟み3日間にわたって繰り広げられたシモーネ・ボレッリ(イタリア)とのフルセットの精神戦がある(2015年)。最速サーブ記録を持つサム・グロス(オーストラリア)の剛腕を封じ込めた快勝もある(2016年)。

 それら踏破してきた足跡のひとつひとつが、サーブを武器とするポピリンを攻略する知恵と知識を錦織に与えた。

「リターンがキーだと思っていた」という錦織は、一般的にサーブの優位性が増すと言われる芝のコートで、リターン巧者が得られるメリットを次のように明瞭に述べている。

「芝だとリターンの時、ハードやクレーみたいに(ボールを)肩より上の高いところで打たされることはそんなにない。それがない分、コースが読めれば返せるのが、唯一、背の低い人が有利になるところです」

 その芝の特性を生かし、一発のリターンウイナーを狙うのではなく、確実かつロジカルなリターンからストローク戦に展開した。

「リターンがうまく入れば、すぐに攻撃に展開できるのが自分の有利なところかなと思います。真ん中でも深く返せば、そこからのポイントの組み立てがうまくできていた。相手のサーブはよかったですが、大事なところでリターンをしっかり沈められたのが大きかったですね」

 本人の言葉とおり、まさに大事な局面ほど錦織のリターンは相手の足もとを揺さぶり、ブレーク奪取の起点となった。

 第1セットは、まだ手探り状態の最初のゲーム。第2セットは、3度のブレークの危機を切り抜け、相手が気落ちした直後のゲーム。そして第3セットでは、互いにブレークチャンスを逃し、ふっと相手の集中力が途切れたゲームカウント4−4の第9ゲームを奪取。

 いずれのセットも、終始圧倒したわけではない。ただ、試合の流れを読み、相手の精神状態を見抜き、ここぞという場面ですっとアクセルを踏み込んだ。6−4、6−4、6−4の端正なスコアラインは、経験を生かし、芝目を読んだ勝利の証だ。

 クレーから芝への移行がいかに困難かは、錦織の2回戦の対戦相手が示しているとも言える。

 ランキング通りなら12シードのキャスパー・ルード(ノルウェー)になるところが、実際に勝ち上がってきたのは78位のジョーダン・トンプソン(オーストラリア)。全仏オープン初戦で敗れたトンプソンは、すぐに芝へと戦場を切り替え、ウインブルドンを迎える時点で3大会、7試合の経験値を積んできた。

 もとより芝が好きなトンプソンは、自信と相手への敬意をバランスよく抱きながら、初戦でシードダウンを実現。来たる錦織戦に向けても「彼はトップ10にずっといた選手。ケガでランキングを落としているだけで、実力はずっと上」と言い、自身を「アンダードッグ」と位置づけた。

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 挑まれる立場に身を置くことは、戦いの場において......とくに番狂わせの起きやすい芝においては、やはり大きなチャレンジだ。ただ、それも錦織が積みあげてきた実績ゆえであり、その実績の威光が相手の自滅を誘うこともある。

 本人は「何も感じない」という100勝の数字だが、ネットを挟む相手には何かを感じさせるのは間違いない。

 100勝の重みをひっさげ挑む一戦。それは、新たな旅路への一歩になる。


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